486. めぐる月と男女の身体

8時近いというのにまだ外は真っ暗だ。今日も天気は悪く、荒れ模様のようだ。午前中は静かに過ごし、少しでも天気が落ち着いている時間を見計らって散歩がてら近くのカフェに行き、読書でもして、スーパーに寄って帰ってくる。そんな半日を過ごすことになりそうだ。

昨晩、24時からのセッションが始まるときに、書斎で窓の外を見上げると、まん丸に近い月がちょうど南の空高い位置に昇ろうとしていた。太陽は今、随分と低い位置を動いているのに月はあんなにも高い位置を動いているということに驚いた。昼間は太陽が明るく世界を照らしているが、実はいつも変わらず淡々と世界を照らし続けているのは月の方なのかもしれない。

先日、満月とともに日本からパートナーがやってきて、同時に私にも月のめぐりがやってきた。身体は自然と一体なのだということをつくづく実感する。オランダに暮らして一年、基本的には月のリズムに身体も沿っている。そうではないこともあるが、月のリズムに沿っているときは、自分が自然な状態であれているというフィードバックなのだと思う。

1ヶ月に1回、血液の一部が入れ替わる。これは、心身のバランスを取るのにとても重要な役割を果たしているように感じる。潮の満ち引きと同じように、女性は、月が満ち、また欠けていくことを身を以て知っている。だから、自分自身や環境の変化に穏やかに適応していくことを自然と身につけているのだと思う。その点、私から見ると男性は女性に比べて自分が周囲に適応するのではなく、周囲を自分に合わせる、適用させようとする傾向にあるように感じる。もしくは、いろいろなものが積もり積もって、どうにもこうにも苦しくなってからやっと自分の状況に気づくことも多いように見える。一般的には女性の方がマッサージや目には見えないヒーリングのようなものを好むように思われがちだが、それは女性がこまめに自分自身の調整をすることに慣れているだけで、もっと癒しを必要としているのは男性なのではないかと思う。少なくとも、注射針が嫌いで献血のできない私にとっては、自然と血液の一部が入れ替わるというのは、デトックスをしているようなもので、それが月に1回やってくるというのはとてもありがたいと感じている。

月のめぐりは、それにともない身体の痛みや不調に似た症状も起こるため、現代社会で生きる女性にとってはどちらかというと歓迎されるものではないし、私もそうだと思っていたが、欧州に来て感じるのは、無理のない生活をしていたらとても自然なものだと思えるということだ。それが、毎日スーツを着て、ヒールの靴を履き、お腹や足の締まるストッキングを履き満員電車に乗って通勤し、朝から晩まで休みなく働かないといけないとなると、当然ながら辛い。そうせざるを得ないライフスタイル自体に問題があるのだと思う。そして、女性は「辛い」ということが分かりやすいが、男性も本当は心身にかなりの負担がかかっているのではないかと思う。男性にも何らかのリズムがあるのではないかというのは個人的に感じるところだ。それを少しでも感じて、ゆるやかに緩急をつけながら日々を過ごすのと、ただただ走り続けたのでは、50代、60代以降、身体と精神の状態が随分変わってくるのではないか。

私がこんな風に、男性の心身に興味を向けるのは、仕事柄女性よりも男性と、そして人生の午後を迎えている人たちと話をすることが多いことに加えて、自分の中に強い男性性のようなものがあることにも関係しているだろう。女性にも男性性があり、男性にも女性性がある。それはきっと誰しもがそうなのだろうけれど、私にはそれに対して強い自覚がある。男性の強い悲しみのようなものを想像することがあるが、それは自分自身が男性社会に近い環境の中で仕事をしてきたことや、仕事に力を入れすぎて家庭を顧みなかったという経験があるためかもしれない。元男子校の中学校が共学になった年に中学に入学し、先輩は全員男子、大学も工学部で、一学年150人中女性は10人もいなかったという環境に身を置いてきたそのプロセスと、もともと持っていたものが合い重なって、私の中の強い男性性と、それに呼応するように生まれる強い女性性をつくり出しているのだと思う。

今まで、敢えて言葉にしてこなかったことがまだまだたくさんある。それをそろそろ言葉にしていくときがきているのではないかという気がしている。それは、離れている祖国に、離れていながら本気で関わっていこうという気持ちの表れかもしれない。話題にしにくいとされていること、蓋をされていることを、そうではないものと同じように横並びにして太陽の元に出していきたい。それは、成長を目指す土台として、人々に癒しが必要だとつくづく思うからだ。また一つ、「自分がどう思われるか」という恐れを、手放しつつあるのだろう。2019.12.15 Sat 8:24 Den Haag