476. 寒さの中で思い出す、あたたかい世界の感覚

パタパタパタパタという雨の音を長いこと聞いていた。「今日も雨か」と、9月以降、2日に1回は思っている気がするが、実際のところはどうだろう。人間の記憶というのはあてにならない。雨が降っていなければわざわざ「晴れか」と思うこともない。期待を上回ったことはすぐに忘れても、期待に届かなかったことは記憶に残りやすいのではないかという気がしている。

12月6日、今日はオランダではクリスマスにあたるシンタクラースの命日だと聞く。そういえば、昨日は階下に住むオーナーのヤンさんのところをパートナーの女性が訪れていたようで、二人の、鼻歌とも合唱ともつかない歌声が聞こえてきていた。オランダの家庭では昨晩子どもたちにプレゼントが届いたのだろうか。昨日は外に出なかったので街の様子は分からないが、今はいつもと同じように外は静かで、時折通る車の音が聞こえてくるだけだ。

オランダのクリスマスについて調べているときに、オランダでは子どもたちに、プレゼントとともに詩が送られることもあるという言葉を目にした。

クリスマスと詩…小学生の頃に通っていたシュタイナーの遊びの教室でのクリスマスのことを思い出す。りんごろうそくと呼ばれるシュタイナーのクリスマスの行事については以前、日記に書いたことがある。その、暗闇の世界にひとり入っていく体験も印象的なものだったが、私にとっては、クリスマスの時期に先生が話してくれるお話も、その世界に没頭して聞き入ってしまうものだった。東の国に住む3人の博士がベツレヘムの星と呼ばれる輝く星を西の空に見て、ユダヤ人の王が生まれたことを知り旅をすることで始まるそのお話は、もしかしたら福岡に行く前、3歳よりも以前に住んでいた大阪で日曜日に教会学校に通っていた頃から聞いていた話だったのかもしれないし、中学・高校と通ったキリスト教の学校でもこの時期に聞く話の定番だったのではないかと思う。いろんなところで聞いてきた「イエスキリスト誕生」の話なのだが、シュタイナー教室で聞いたその話は、「聞いた」というよりも、「感じた」という感覚が大きい。

淡い色のクレヨンと水彩を使って描かれた優しい絵のような、ふんわりして、それでいて少しざらざらしたというか、中くらいの粒子がつくる世界のような質感を持っている。そのときの私にとってはそれはきっと、「おはなし」ではなく「現実」だったのだ。ちょうど、まだ、言語ではなく、身体感覚として、音全体としてそこにあるものを受け取りやすい年頃だったのかもしれない。

当時、小学校に上がる以前から、お習字・ピアノとある意味実用的とも言える習い事をしていたが、そこに「遊びの教室」という、何をするかも何に役に立つかも分からないシュタイナーの教室に通わせてくれたことは父と母なりの想いもあったのだろう。いや、今思えばよっぽど何か思うところがあったのかもしれない。お習字とピアノに関しては住んでいた団地の中でも「隣の棟」くらいに近いところに先生がいたため、小さくても一人で通うことができなかったが、シュタイナーの教室については別の校区、しかも隣などではなく少し離れた校区の公民館で教室が開かれていたので、毎週、母は私と一緒に自転車でその公民館まで行かなければならなかったのだ。しかも後になってその教室はまだ開かれて間もなかったということを知った。確かに、今調べてみると、福岡で通っていた『アトリエシュタイナー』という教室は1991年から開かれていると書かれていて、それは私が小学校の低学年だった時期と一致する。今、我が家にもある、ドイツでシュタイナー教育の学校に通った娘の話を書いた『ミュンヘンの小学生』という本は、実家にもあるが、実家のそれはとても古びていて、いつ父と母が最初にそれを手にしたのかは分からない。いずれにしろ、そこに何かがあったのだろう。

クリスマスのことからシュタイナーの教室のことを思い出し、もう一つ記憶が蘇ってきた。それは、私が最初に体験した身近な死のことだ。中学生のときに、シュタイナー教室で一緒だった、少し年上の男の子が亡くなった。「としきくん」と呼ばれていたその子は、私が教室に通い始めたときからもうそこにいて、車椅子に乗っていた。言葉や感情表現が自分とは違うとしきくんに、最初は戸惑ったように思う。でも、教室にいる他の子たちはあまり気にしていない様子で、にじみ絵を描いたり、みんなで教室の中を走り回ったりするような遊びでも、割と元気に動き回っていたように思う。としきくんのお父さんはステンドグラスの職人で、教室の子どもたちでステンドグラスをつくる体験をさせてもらったこともあった。そんなとしきくんが亡くなったのは、中学受験のための塾に通いだしたことを機に教室を離れて数年が経った頃だった。お葬式かお通夜かに向かう、もしくは帰ってくる途中で、中学校の制服を着た私と、黒いワンピースを着た母が乗ったタクシーの運転手さんが、「何かのお祝いか」というようなことを訪ねてきて、母がそうではないと答えたことがなぜか記憶に強く残っている。としきくんは一緒に遊んでいた頃からもう、限られた命と分かっていたのかもしれないし、そうではないかもしれない。としきくんだけではない。その教室にきていた子たちはみんな、「変わった子」だったように当時の私は感じていた。今になって思うと、それぞれが、「変わった子」でいられる場所だったのだろう。

それぞれの人の「生きる形」があることを、小学校の低学年からとしきくんの死までの時間を通してゆっくりと学んだように思う。

オランダのクリスマスの話からシュタイナーの教室のことを思い出したのは、教室で先生が、誕生日に詩をくれたことがあったはずだったからだ。それは、やさしいことばで、私のことというよりも、世界にいる私のこと、私の内側にあるものや私を包むものを含めて表現してくれていたように思う。あのときの詩はまだ実家にあるだろうか。きっとあるだろう。内容は覚えていないが、あのときもらったやさしいものが、心の土台になっている土の栄養となり、太陽となり、私を包んできてくれたのだと思う。

ここのところ、寒くなってきて「籠っている」自分を、「これでいいのだろうか」と思ってきた。でもきっと、これでいいのだ。大人になって、年中同じように何かをすること、日々、規則正しく何かを積み重ねることが(言うほどできないのだが)良しという価値観の中に身を置き、冬も他の時期と変わらず動いてきたが、子どもの頃はこの時期は静かにおはなしを聞いたり、何かをつくることに没頭したりする時期だった。念願の、「冬に籠る」ということがやっとできるようになろうとしているのだ。創造活動かどうかも分からない、ただただ目の前のことに集中するというのを存分に味わう時期なのだということを、ようやく受け入れた自分がいる。2019.12.06 Fri 8:33 Den Haag