472. 壁の正体

朝にセットしていたスマートフォンのアラームが16時を告げた。外が暗くなる前に日記を書き始めようと思っていたのだが、日記をアップすることを忘れていたということに今になって気づく。10時前に今日の打ち合わせを終え、それから1時間ごとにパソコンを使う取り組みと使わない取り組みを繰り返した。そうしていると時間が過ぎるのは本当にあっという間で、「ああ、あれもやりたかったんだった」ということが後になって出てくる。しかし日が暮れるとどうも、創造的な取り組みや言葉を捕まえることが難しくなってしまう。それは私の中の思い込みのようなものがあるのだろうか。この時期、そしてこれからいっとき、日が出ている時間というのは限られている。できれば自分が活動的・創造的に過ごせる時間というのをもう少し増やしたい。

なんとなく、出口の見えないトンネルを歩いているようなここ2ヶ月だったが、この1週間は久しぶりに心がとても穏やかな日が続いた。日本にいるパートナーがオランダにやってくる日程が決まったということは大きい。「やってくる」と言っても、1ヶ月ほどでまた日本に戻ってしまう。そのとき私はどんな気持ちで彼を送り出すことになるのだろうか。

そういえば、階下に住むオーナーのヤンさんからワッツアップにメッセージが来ていた。通知だけ見て中身を確認していなかったので、開いてみると、今日の午後5時から10時の間にWi-Fiの電波を確認しに来る人がいるが問題ないかということだった。家にいるので問題ないという返事をし、スマートフォンのカバーを閉じる。

中庭の大きな木は、すっかり葉が落ちた。そこに、赤い嘴をした黄緑色の鳥がやってくる。いつか、街中で何羽もが一斉に飛び立つところを見たことがある鳥だ。今はおそらく二羽が、この中庭を飛び回っている。

ヤンさんが夜中に口笛を吹きながら帰ってきたのはいつのことだったろう。景色と記憶が入り混じっている。

明日で11月が終わる。この1ヶ月、私はどんな時間を過ごしてきたのか。

漠然と思い起こされるのは、「自分の立ち位置」について考えあぐねてきたということだ。それは執筆しようとしている書籍を「どういう立場で書こうとするか」ということにも関連している。確かにこれまで特定の領域に関して知見を得ることや経験を積み重ねてきた。「まだまだ」というところに目を向ければきりがないが、それでも今だからこそ伝えられること、人に役立ててもらえることというのはあるだろう。しかしそれを、「伝える」というのが私の取りたいスタンスなのかというのが、結局のところずっと悩んできたことだった。

書き進められないのは表現方法の問題なのかもしれないと思って、試しに知人や友人からもらった質問や相談をもとに、それに答える形の表現をしてみた。そうすると、誰に向けて書くかが明確だとするすると言葉が出てくることも分かった。しかし同時に、自分は「知っている」という立場を取ることに違和感があることも分かった。私がコーチの中でも、できる限り自分の体験や知見を共有しないポジションに身を置いているのは「それぞれの人が自分の人生のプロフェッショナルである」ということを信じているからなのだが、その意識が、いや、「知っている」という立場を取ることと相手が持っている力を発揮することを後押しすることが両立しないという意識が今の限界を作り出しているのかもしれない。

現に見渡してみると、深い知見を持ちながらも、他者の意識の成長・発達を支援している人というのは存在している。むしろそういう人の存在に助けられていると言ってもいい。そしてきっとそんな書籍に背中を押されてきた。

「対立関係にある」と思っているものがあるとき、それはきっと、選択肢や行動の限界を生み出しているのだろう。そうか、今回、私が書籍を執筆するにおいて乗り越えるテーマはきっとこれだったのだ。そもそも私が執筆をしようと思ったのは、「伝える」ことの可能性を感じたからではないか。それは「引き出す」ことの限界でもある。とにかく、前進しようと必死に取り組む人たちのもっと役に立ちたいと思ったのだ。そしてそれは、自分自身の限界を超えることでもある。

そう考えると、本棚に並んだ本たちがこれまでとは違ったものに見えてくる。これらの本たちの多くは、決して書いてある答えを押し付けるのではなく、選択肢を広げ、意識を成長させることを後押ししてくれたはずだ。そういった働きかけはどうしたらできるのか。どんな在り方から生まれてくるのか。

今、何冊かの書籍を、内容ではなくその構造に注目して読んでみたいという欲求が生まれている。明日か明後日はまたデジタルデトックスの日として、どこか気持ちのいい場所に出かけていき、そこで読書をしてもいいだろう。

この数ヶ月間悩んできたことが何から生まれてきたのかについてこうやって日記を書くことを通して知ることができた。今朝、16時にアラームをかけようと思ったのはこの気づきが呼んでいたのかもしれない。

いつも内外に広がる世界と向き合い綴っている友人の日記は、内外の世界と向き合うことを後押ししてくれる。その表現を外に開いてくれていることに強く感謝が湧いてきた。2019.11.29 Fri 19:36 Den Haag