467. 冬の寝つきと寝覚め

外はまだ暗いが、朝が東からやってきている。そう思ったのは、空に微かに朱が混ざっている感じがするからだろうか。しかしまだ夜明けまでには2時間ほど時間がある。朝が来ることを知っている記憶がこの感覚をもたらすのだろうか。地球の仕組みを知らなかったら、この空は、昨晩見た空と何ら変わらないように見えるのだろうか。それとももっともっと、昨晩との違いを感じるのだろうか。

あえてどちらかと予想をするなら、後者だろう。人間や動物には本来、様々な微細なものを感じる力があるはずだ。見えるものに囲まれ、説明された世界に生きていると、それが全てのように思えてくるが、そうではないことも本当は知っているのだろう。時計がなくても、カレンダーがなくても、本当は困りはしないはずなのだ。それなのに、自分の手の届かないところからも効率良く利益や収穫を得ようとするところから世界に「目盛り」をつけはじめ、それがやがて、私たちの感覚を鈍らせることになったのだろう。

そんなことを考えるのは、窓の外の景色があまりに静かで、そこに日中見ている世界とは全く別の世界を感じているからかもしれない。この数分間で、空には確実に朱が広がっている。

内容は覚えていないが、最近、寝入り端にも夢を見ていることに気付いた。ベッドに入る前、ソファで本を読みながらうたたねをし、そのときに何らかの映像を見ているのだ。夢というよりも、ビジョンと呼んだ方がいいのだろうか。

そして、眠りにつく前、私はよく考え事をしている。ある程度考えて答えが出ないことを「眠っている間に無意識の領域に整理をしてもらおう」と思っているのだが、ベッドに入ってなお考え事を続けることは寝つきを悪くしているような気もする。寝つきの良い人は、ベッドに入って数分ほどで眠れるというが本当だろうか。そういえば確かに東京で最後に住んでいた代田の家では、ベッドスペースが白い小箱のような不思議な空間になっていたこともあり、寝つきと寝起きの悪さを感じず、人生で最高の眠りを取れていたようにも思う。南と西に大きな窓があり、周囲に2階建の戸建の多いエリアの3階の家だったため、ブラインドを閉めずに寝て、自然光で目を覚ますことができたというのも大きいだろう。

オランダの冬はまだ始まったばかりだ。ここから数ヶ月は朝8時頃まで日が昇らない日が続く。しかし不思議なのは、今日、最近かけている目覚ましよりも早く目が覚めたことだ。これまで目覚ましをかけていなかったが、サマータイムが終わり、打ち合わせが朝7時から始まることもあるため念のためと6時に目覚ましをかけるようにしていて、今はほぼその目覚ましで目が覚める。いや、その前に随分と長く夢を見ている感覚はあるので、もしかしたらもっと早くに一度目が覚めているのかもしれないが、「起きよう」という意識を持つことには至らない。しかし今日は目が覚めて時計を見ると5:22と表示がされていた。今日は早くからの予定もないし、ゆっくり寝ていてもよかったのだが「十分に睡眠を取った」という感覚があり、起き出してシャワーを浴びた。外が明るくならないと気持ちよく起きられないと思っていたが、そうでもないようだ。これは、昨日から始めている断食の影響もあるかもしれない。

断食には以前から興味があったが、オランダに住む友人が現在1週間を超える断食をしているということで、私もいよいよチャレンジしてみようという気になり、まずは48時間ほどの断食をすることにした。日曜も、デルフトのカフェでスープを摂ったので、既に実質48時間近く固形物は摂っていないことになるのだが、身体の具合を見ながら今日の夜もしくは明日の朝まで続けたいと思っている。昨日は思ったほど、というか、びっくりするくらい、固形物を摂りたいという強い欲求は訪れなかった。日曜にネットファスティングをしたことも良かったのではないかと思っている。インターネットは添加物や化合物のようなものだ。摂れば摂るほどもっと摂りたくなるけれど、いくら摂っても満たされることはない。満たされないどころか、身体感覚が麻痺してくるように思う。情報を手軽に得ることはできるけれど、そもそも身体性の伴わない情報収集は、人生をどれだけ豊かにするだろうか。時間はかかっても、実体験から来る気づきや学びに勝るものはないという気が、今はしている。今回はネット上で得た情報を参考にしているが、次回は専門の書籍などを読んで定期的に断食をできればとお思っている。

今週は先週よりは少しゆったりしているので、やりたかったこと、主に執筆活動を進め、できれば久しぶりに書にも取り組みたいと思っている。パソコンを使う時間と使わない時間を交互に取ることの効果も検証してみたい。2019.11.26 Tue 6:45 Den Haag

468. 雨の中鳴らされた呼び鈴

リビングの小さなソファで、うたた寝をしていたらブーブーと呼び鈴が鳴った。この家の呼び鈴は、階ごとに音が違う。宅配業者をはじめとして、多くの場合、下から順に全ての階の呼び鈴が鳴らされる。届け物がある人は、「誰か」が受け取ってくれればそれでいいのだ。しかし今日は違った。最初から我が家の呼び鈴が、しかも2階続けて鳴らされたのだった。

この時間、我が家に用があるなんて誰だろうと思い、リビングの窓から玄関のあたりを覗き込むも人の姿は見えない。そうしているうちにもう一度、やはり我が家の呼び鈴が鳴った。階段の電気を付けないまま階段を降りて行き、玄関の手前にある風除室の扉を開けると、玄関のガラスの向こうに人影が見えた。やはりこの家に何らかの用があるようだ。身体の脇に何かの影が映っているので、近所に来た宅配の人が荷物を預けに来たのかもしれない。そう思いながら扉を開けると、そこには1階に住む、オーナーのヤンさんが、自転車を片手に立っていた。雨で髪も洋服も濡れている。そうか、ヤンさんだったから、1階には人がおらず、私なら確実にいるということを知っていて我が家の呼び鈴を続けて鳴らしたのだ。と今になって思う。

ヤンさんは詫びを言いながら玄関室に入ってきながら、あなたは私が送ったメッセージを見ているかと聞いてきた。ヤンさんとはワッツアップというアプリで連絡先を交換しているが、そう言えば久しくヤンさんからメッセージを受け取っていない。というか誰からも受け取っていない。10月の初めに、6週間のバカンスに行くとメッセージを送ったんだが。とヤンさんは続ける。そういえばその頃、私はiPhoneの画面のひび割れがいよいよ激しくなったので、本体を買い、SIMカードを移し替えていた。日本から持ってきたiPhoneには日本以外の国のSIMカードが入らないのでiPhoneはWi-Fiにつなぐ専用として、そしてもう一台のアンドロイドはSIMカードが2枚入るものだったのでオランダの番号のSIMと、ドイツの番号のSIMをどちらも入れて使うという少しややこしい使い方をしていた。

それもあってスマートフォンを一台にまとめることは都合が良く、新しい(と言っても古い型の)iPhoneにオランダのSIMを差し替えたのだった。ワッツアップはもともとドイツの番号のときに使い始めたものだったが、オランダの番号に連絡先などの引き継ぎをしたのだと思っていた。しかしどうやらそれが上手く行っていなかったようだ。とすると、ヤンさん以外にも誰か連絡をくれていた人がいるかもしれない、と、今、以前使っていたアンドロイドを早速充電してみているが、「誰か連絡をくれていたかも」と思っても特に誰からも連絡は来ていなかったというのは私の中での「あるある」だ。連絡をくれている人がいるとすれば、ドイツ人の友人くらいかもしれない。

新しい連絡先をメールすることをヤンさんに伝え、部屋に戻ると、ヤンさんの口笛が聞こえてきた。ヤンさんは外から口笛を吹きながら帰ってくることも多いが、雨でずぶ濡れになったこともあまり気にしていないのかもしれない。一度招き入れてもらったヤンさんの庭とサンルームは明るくて心地よくて、ヤンさんがこの家に帰ってきて口笛を吹く気持ちはよく分かる気がした。パートナーがオランダに来たらここには二人住民登録をすることができないから別の家を探さないといけないと思っていたけれど、パートナーがオランダに長く滞在するのはまだ先になりそうだ。そうであれば私はここで静かな暮らしを続けたい。家探しも楽しいが、それなりに時間とエネルギーがかかると思うと、まやかしの楽しさを味わうのではなく、堅実な暮らしと、変わらない暮らしの中での小さな変化を味わうことを今は大切にしたいと思う。

そうこうしているうちに、外はすっかり暗くなった。あたたかく、大好きだと思える家に暮らせることに、感謝が尽きない。日本から来た友人のお土産にもらった椎茸出汁のスープでも飲んで、今日の残りの時間を静かに過ごすことにする。2019.11.26 Tue 17:25 Den Haag