458. 日曜日、オランダのカフェ

もうすぐ17時。外はもう、「夕暮れ時」がすっかり進んでいる。昨日の天気とはうって変わって今日は雨。いや、昨日が珍しいくらいだったのだ。9月から、ずっと雨が続いているように思う。オランダの秋というのはこんなにも雨が多かったのかというのは、何度も感じていることだ。

昨日は、久しぶりに気持ちのいいお天気だったので、散歩がてら、中心部近くまで出かけた。我が家からハーグの街の中心部まではゆっくり歩いて30分ほど、商店街や運河沿いなど、ずっと気持ちが良くて楽しい道を歩いていくことができる。昨日は中心部とのちょうど中間地点くらいのところにあるカフェを目指していた。Buddaha Bowlという名前のその店は、何度も通りかかったことがあり、気になっていた場所だ。

オランダには、「気持ちが良さそうだな」「入ってみたいな」と思うカフェが多い。それを何から感じるのだろうと考えてみると、空間のつくり、そして働く人の様子、お客さんの様子の3つのポイントを自分は見ているということに気づく。日本で言う「インスタ映え」しそうな場所も多いのだが、オシャレだからではなく、好きだからやっているというような、そんな雰囲気がにじみ出ている場所は、その場の空気自体が心地良さそうで、かつ、働いている人も楽しそうに見える。これは、飲食店に限らず、オランダの店から感じることだ。いくつもあるケーキを見て悩んでいるとお店の人が「私はこれが好きよ」とおすすめしてくれる、そんな、人間的なところがオランダの好きなところでもある。働く人が無理をせずその場にいて、お客さんとも友達のように話している。お客さんも店員さんもごきげんなのが、オランダのカフェなのだと思う。そういえば「オランダ」と言っても、アムステルダムはやはり少し違う。それでもまだ、日本の都会よりもずっと、働く人が「自分」のままでそこにいるように思う。

日曜は空いているお店が少ないせいか、通りかかったカフェはどこも人がいっぱいだった。そして目当てのカフェもやはり席が埋まりかけていたが、入ってすぐの小さなテーブルを3つの椅子が囲んでいる席に座ることができた。しかしすぐに6人組がやってきて奥のソファーの席に座り、次に入ってきた二人組が、私の隣の空いている席二つに座ってもいいかと聞いてくるので、その席は二人に譲り、大きなテーブルの、二人の男の子を連れた男女と、向かい合って座る男女の間の空いている席に移動することにした。向かい合って座る男女のうち、男性は日本人だろうということはカフェに入ってすぐに分かった。「日本人の近くにはなるべく座らないように」と思うのは、私の独特の感覚なのだろうか、それとも海外に暮らす日本人はそう感じることがあるのだろうか。

私の場合は、聞いているつもりはなくても、話の内容が頭に入って来てしまうことがなんだかとても心地悪い。それは、話の内容がどうこうということではなく、自分の脳内の余白が縮まってしまうような感じなのだ。これは日本に滞在しているときには強く起こるので、どうにかしたいと思っている。意味が分からない言葉の中に暮らすというのは本当に気が楽だ。日本語を聞くとき、私の頭の中で何が起こっているかというと、絵が描かれていくような感じだ。言葉が風景をつくっていく。しかし、言葉がそのまま中に浮かぶこともある、その言葉の持つ、深遠な世界をもっと知りたいと思うことがある。それを、相手に確かめることができないことが気持ち悪いのだ。

YouTubeなどの動画を見て思うのだが、編集され、テロップのつけられた動画というのは、一見わかりやすく、「なんとなく」見ていてもその内容が分かるのだが、その分、人が自ら想像力を働かせる能力を低下させているのではないかと思う。実際に人と人とがコミュニケーションを交わすときには、テロップは出ないし、編集はされない。どんなにしっかりと聞いても分からないことだらけなのに、音を聞いているだけで、何だか分かったような気になる。そんな聞き方が身についていないだろうか。

聞きすぎても、聞かなさすぎても…。悩ましいところだ。「聴くスイッチ」の入り切りをできたらと思うけれど、人間はそんな簡単にデジタルな処理もできないのだろう。

窓の外は、日記を書き始めたときよりも、また一段と、透明な闇が増した。食事の支度をして、今日は久しぶりに、ゆっくり本を読んで過ごしたい。2019.11.18 Mon 17:13 Den Haag