455. 言葉と体験の枯渇

中庭を挟んで向かいに並ぶ家々のうち、一箇所だけ明かりが灯っている。この時間はオランダでは「早朝」にあたるのだろうか。この時間帯だけでなく、家の明かりはいつも少ない。街も静かだ。それはまだ、私が日本の基準でものを見ているからかもしれない。「このくらい家があったらこのくらいの人が住んでいるだろう」という目算があるのだろう。ハーグは人口約45万人。オランダの中では大きな街だが、私が暮らしてきた日本のいくつかの街より、ずっと澄んでいる人が少ないのだ。

昨日は、いくつかの作業がはかどり、いくつかの作業ははかどらなかった。そのどれも、基本的には言葉を綴ることなのだが、湧き出す言葉には限界があるのだろうか。

先日YouTubeで、お笑い芸人が売れ始めると、忙しくなり、数年で身近に起こった面白いことのネタがなくなるという話を聞いた。言葉もそれに近いのかもしれない。書いているだけでは、枯渇するのだ。動いて、体験して、それでこそ、感じることがあり、それが言葉になっていく。一見遠回りに見えることが近道になる。そもそも、心から湧き出てくるものでない言葉に、どれだけの力があるだろうか。

こう書いているのは、「書く」ことに生活が偏っていたことへの反省でもある。人生は長いようであっという間だ。内面世界を深めることもそうだが、外の世界をもっと感じることが結局のところ内面世界を深めることでもあり、それが、また外の世界の美しさを感じることでもあり、人生を味わうということなのだろう。

いくつかの決まった予定に向けて支度をし、動いていく。そうだ、今日は金曜日だ。一週間の唯一の決まったこと、ゴミ出しをして、それが一つの区切りとなる。2019.11.15 Fri 6:49 Den Haag