448. 身体・心・身体

外はすっかり真っ暗、感覚としては22時くらいの暗さだがまだ20時前だ。と、時刻と明るさのことを書きながら、先ほどまで見ていた動画に出てきた、人が集中するのに適した時間帯の話を思い出す。それによると、人は、クロノタイプ(朝型・夜型のような、一人一人に適した生活のリズム)にもよるが、一般的に10時から14時までがインプットや集中する作業に適しており、16時からは19時はリラックスをして過ごすのが良く、そうするとさらに19時から22時は集中することができるという。これは海外の論文の結果をもとにしていて、なるほどと思っていたが、年間を通して日照時間が大きく変化する国も同じようにとらえていいのかという疑問が湧いてくる。人間にはサーカディアンリズムと呼ばれる約24時間周期のリズムを持っていると言われるので、集中する時間帯もサーカディアンリズムに組み込まれたものとなり、つまりは日の出や日没の時刻、日照時間の長さなどは関係がないということだろうか。太陽を浴びることによってセロトニンが分泌され、さらに約14時間から15時間後にメラトニンが分泌されることにより質の良い睡眠が取れると言われているが、それはあくまで睡眠の質の話であるという話なのだろうか。(このあたりの話は以前、睡眠健康指導士の資格を取るときに学んだがすっかり忘れてしまった。)

論文でも、結局のところ大枠のリズムというのはあるけれど、自分にとってどの時間帯が一番集中できるのかというのは、いくつかのパターンを試してみるといいという話だった。なぜ今この話を書いているのかというと、1日のどの時間帯に何を行うかというのがここ数ヶ月の自分のテーマとなっているためだ。正確には9月以降のテーマと言った方がいいかもしれない。夏の間は日が長かったことと、毎週末に開催されるオンラインゼミナールに参加していたため、一週間、一日の時間を何に割り当てるのかというのは今思えば割と明確だったように思う。やることが多く時間が足りないと思うくらいの方が、集中する時間とリラックスする時間の使い方の緩急が大きく、結果として集中する時間の生産性が上がっていたのだろう。「生産性」という言葉は、なんとなく、計測可能なものだけを指しているような感覚があってしっくりこないのだが、質も含めた意味で生産性ということにする。時間にゆとりができると、短い時間で集中する必要性というのがなくなるが、その分、集中度合いが緩慢になり、結果として、「時間はかかったけれど、生産性はどうだろう…」ということになっている。忙しいときは、時間が欲しいと思っていたが、時間があれば一日の満足度が上がるわけではないというのは、そうしてみるまで想像もしていなかった。時間がある人が、その時間を、命を輝かせているという実感を持って使うというのは、自制心を働かせてこそなのかもしれない。

今日は、午前中の仕事を終えた後に、家の中で軽く運動をした。HIIT(高強度インターバルトレーニング)と呼ばれるもので、20秒間の強い負荷の筋トレと10秒間の休憩を8回繰り返すことで、脂肪燃焼効果とともに、ドーパミンやエンドルフィン・ノルアドレナリン・セロトニンなどの脳内物質が分泌され、集中力の向上などが期待されるという。HIITに取り入れるのに適しているとされる筋トレの種類はいくつかあるが、室内でもあまり音を立てずにできることを選びやってみたところ、確かにここ数日間よりも高い集中力で目の前のことに取り組むことができたように感じた。天気が悪いと外に出たくなくなる私にとって、天気に左右されずに続けられる習慣をつくるというのが、能力の発揮および開発のポイントになるのではないかと思っているので、このトレーニングを続けることを試みてみたい。今のところ、続けられているものというのは、朝と晩、タイミングが決まっているものだ。朝晩は日中に入っている予定に左右されずに実行することができる。オランダ時間の9時から15時までの間は日本と予定が入るため、決まった時間の予定を確保しづらいが、できれば日中のどこかでHIITを行うことを習慣にしたい。ただ、この運動は毎日行う必要はなく、ヨガなどのゆったりとした動きと、一日ずつ交互に行うのが集中力や精神力を鍛えるのにいいとされている。バランスボールを使った体幹トレーニングのようなものと組み合わせてみたい。2019.11.11 Mon 20:18 Den Haag

449. 正体が分からないことから生まれる恐れ

日記をもう少し書きたいという気持ちもあるが、今日は足の先の冷えと腰痛があり、感覚的なものに意識を向けることが難しい。休みを取る必要がある時期でもあるので、今日起こったことを振り返って、休息の時間にしたい。

今日は、上の階の新しい住人と初めて顔を合わせた。

夕方、あれはそうだ、17時過ぎだ。珍しく玄関のベルが鳴った。今のところ我が家の玄関のベルを鳴らすのは、宅配業者か、寄付を募る団体のスタッフだ。誰だろう?と、リビングの窓から下を見下ろすと、ラフな格好をした男性が立っているのが見えた。宅配業者ではないことが分かる。普段なら、下の階に住むオーナーのヤンさんが玄関に出て対応してくれることが多いが、ヤンさんは今バカンスに出ているため不在だ。以前、上の階に住んでいたアナさんが、「元カレが来るかもしれない。そのときは玄関を開けないでくれ」と言っていたことを思い出す。オランダは欧州の中ではかなり安全な国だとは思うが、上下の階に誰もいない状態で、見知らぬ人が来ているのに対して玄関のドアを開けるのは少し怖いという気がした。なので、そのまま放っておくも、それぞれの階のベルが順番に、何度も鳴らされる。明らかにこの家に用があるということは分かるが、上の階の住人も不在のようで、どういう用事なのかやはり分からない。と、もう一度リビングから下を覗いてみると、家の前で上を見上げている男性と目があった。さすがにこれ以上居留守を使うわけにはいかない。階段の明かりをつけ、玄関まで降りていき、扉を開けると、すぐさま立っていた男性がオランダ語で話始めるので、英語で聞き返すと、「17時に2階(日本式の3階)のバスルームを見ることになっている」とのことだった。ということはこの人は水周りの修理業者なのか。その口ぶりに嘘はないように思えるが、上の階の住人が出てこないということは、今はいないということだ。上の階の住人はいないと思うと言うと、じゃあ伝言を伝えてもらうことはできないかと言う。せっかく約束の時間に来たのだから、確かにそのまま帰るわけにもいかないだろう。しかし、私は上の住人の連絡先を知らない。話したこともない。メモでも残しておけばいいかと考えていると、玄関の横に男性が現れた。ヤンさんよりは少し若いくらいだが、ピシッとスーツを着ている。と、二人が話し始めたので、私は二人に声をかけ、先に階段を登った。

結局上の階の住人と言葉を交わすことはしなかったが、どんな人が住んでいるのかが分かって少しホッとした。身なりと人となりが必ずしも一致するとは限らないが、スーツを着て仕事に出ているということで、少なくともきちんとした仕事をしている人なのだろう。朝早くから怪しい発声練習をし、その割には家からあまり出ず、端から見ると何をしているか分からないであろう私が言うのも何なのだが…。

こうして書きながら、「同じ家に誰がいるのか分からないことによる無意識の不安」を、この1ヶ月感じていたと言うことに気づく。正体が分からないものは、勝手に加工される。勝手に恐れを生む。それは水の入った袋に開いた小さな穴のように、少しずつ少しずつだが、エネルギーを消耗させていく。玄関のベルを鳴らすのが誰だか分からないというのもそうだ。ドアを開けて話してみれば、危険はないと分かるけれども、誰だか分からないうちは、勝手に危険を感じてやはりエネルギーを消耗する。一人で暮らすというのは、そういう絶対的な不安を抱えるということなのだということを改めて実感している。そういう意味で、オランダの家はちょうどいい。今は不在だが、オーナーさんが下の階に住んでいるというのは、一人暮らしの私にとって大きな安心になる。そういえば、ドイツで住んでいた家は、やはり大家さんのいる家を間借りするか、インターホンのついた家だった。だから、「誰だか分からない人に直接対応する必要」というのがなかったのだ。今思えば、日本を出たとは言え、これまで随分と安心な環境に身を置くことができていたのだと思う。

ひとまずは、本格的な冬を迎える前に、上の階の住人が、変な人ではなさそうだということが分かってホッとした。そんな月曜日だった。2019.11.11 Mon 20:46 Den Haag