441. 8切れのケーキを5人で分ける方法 -佐藤家の場合-

ウォーン、ウォーンと、どこからともなく、遠吠えのような声が聞こえてきた。隣にある保育所の子どもたちの声が重なり合ってそんなふうに聞こえているのだろうか。と、窓から隣の庭を覗くも、子どもたちが外で遊んでいる姿はない。この寒さだ、雨が降った後で地面も濡れているし、私もできれば外に出たくはない。

庭の木の一つは、葉の多くはすでに落ち、残ったものもかさついた黄色になっている。一つ一つの枝が見えるくらいスカスカになっているが、枝の先には小さな赤い実がたくさんついている。向かいの家の庭に伸びる木にも、そういえば赤い実がなっている。植物の色というのは、何のためについているのだろうという疑問が浮かんだ。「何のために」という疑問自体がおかしいのかもしれない。植物は自分で自分の姿を見て喜んだり憂いたりはしない。受粉を他の生き物に手伝ってもらうために他の生き物が興味を持つような色をしていることもあるかもしれないが、例えば木の葉が、新緑の黄緑から深緑へ、そして黄色、赤、茶色へと色を変えていくのは太陽や気候との関わりの中で起こることであって、「何のため」ではまく「ただそうなっているから」としか言いようがないのかもしれない。いや、そこに、生命としての意図が存在するのか。何かのために色が変わっているのか、結果として色が変わっているのか、植物に直接聞いてみたいところだ。

今朝は7:30からミーティングがあったが、昨晩も思ったほど早い時間には眠れなかった。先日情報を得たカリフォルニア大学のLife Changing Programの内容に沿って今月はいつも以上にしっかりと睡眠時間を取ろうとしているのだが、やってみて分かったのは人間そんなにたくさんは眠れないということだ。昨晩は開き直って、本を読み、考えごとをし、原稿を書いていたのだが、考えてみるとその前の日に長い睡眠を取っていたので、「寝すぎていた」というだけなのかもしれない。日曜日の夜も「ボルダリングに行ってぐっすりと眠れると思っていたのになぜ眠れないんんだろう」と、うだうだしていたが、何てことはない、思い返せばボルダリングから帰ってきて強い眠気を感じ、15分の仮眠を取ろうと横になったところが、アラームのタイマーを何度も掛け直し、結局1時間近くは休んでいた。後半は深い睡眠がとれていたように思うので、そのために夜眠れなくなったのだろう。「眠れない」のは「寝すぎ」なのだ。

そういえば、先日、オランダに住む友人の日記に私の食と睡眠に関するであろう記述があった。一緒にボルダリングをしたときに試みたことを親しみを込めて、微笑みながら著述しているということを想像した。そうなのだ、食と睡眠に関して私は、かなり原初的な欲求を持ちながら、それをどうにかこうにかやりくりしようとしながらもどうにかしきれていないという感じだ。本人はいたって真面目なつもりなのだが、はたから見るとそれが滑稽に見えたりもするだろう。(それをあたたかく見守り、楽しんでくれている友人には感謝が尽きない。)

食に関する姿勢は、3人兄妹の真ん中ということも関係するとは思うが、全てがそのためかというとそうでもないだろう。妹が生まれる前だからあれは2歳頃に大阪に住んでいたときのことだと思うが、母が言うには、ある日私が部屋の隅にうずくまって泣いていると思ったら、テーブルの上に置いてあった母のお饅頭を泣きながら食べていたと言うのだ。母がその話を笑いながら教えてくれたのはいつのことだったろう。その話を聞いたときはなぜ泣きながら食べていたのか分からなかったが、今思えばその後に怒られることを既に想像していたのではないかと想像する。怒られると分かっていながら、怒られる恐怖を感じながら、それでも人の饅頭を食べる。食に対するものすごい執着だ。

物心ついた後も、覚えているのは大皿に乗った料理を見たときに「一人当たり何個食べることができるのか」というのをまず計算していたということだ。そしてそれを計算よりも多く食べるということを目下の関心にしていた。しかもそれを「さりげなく」しようという気持ちがあったことが今思えば微笑ましいというか、笑ってしまう。自分の目の前のものから取っていくと、空いたスペースから自分が食べた分があからさまに分かってしまうと思い、わざわざ若干ずらして、隣に座っている妹や向かいに座っている兄の近くのスペースから皿の上に乗っているものを取り、それから自分の前にあるものを取るようにしていたのだ。「さりげなく」も何も、きっと、バレバレだっただろう。

家族の食について振り返ってみると、母はかなりゆっくり。いつも一番最後までマイペースに食べていた。父は性格はゆったりとして穏やかだが、今思えばその割に食べるのは早かったと思う。そうだ、父も、三人兄妹の真ん中で、私と同じように兄と妹がいるのだ。三人兄妹の真ん中というのは、生まれたときからずっと前を行く人がいて、気づけば、なんだかとても可愛がられる存在が現れ、食も含めて、自分の立ち位置を獲得するのに独特の葛藤というか感覚を持っているように思う。「自分が一番まっとうだなあ」などと思いながら、実は一番ゴーイングマイウェイなところがあるというのは父と私に共通したところだ。今でも、小さい頃、体調が悪いときに父にごはんを食べさせてもらうとスプーンを口に運んでくるスピードがやたら速かったことをよく覚えている。兄は、小さい頃に母が無理にごはんを食べさせようとしすぎたかもしれないと言っていたことを聞いたことがある。兄も父に似て比較的食べるのは速く、一方で妹は割とマイペースかもしれない。食べ物を分けるときにいつも「体の大きさ」と言われ、兄よりも少ない量を渡され「私が大きくなってもお兄ちゃんはいつももっと大きいじゃん!」と憤りを感じていたことも覚えている。

食に関して印象が強いのは誕生日ケーキを分けるときのことだ。ケーキはまず、切りやすい8等分にされる。それを5人が一切れずつ食べる。ここからが問題だ。3切れ残っている。普通に考えると「子ども3人で1切れずつ」となればおさまりがいいところを、母が「私も食べたい」と言うのだ。3切れのケーキを4人で分ける…。納得感のある分け方をすることは難しい。最終的にはいつもの「体の大きさ」が出てくる。それに毎回歯がゆい思いをしていた私は、兄が大学生になり家を出た後に誕生日ケーキを4等分して1人1切れずつ食べることができるようになってどんなにほっとしたことか。食べる総量としては大して変わらないのだが、自分の中での納得感が全く違ったのだということに今こうして言葉にして気づく。

今でも私は、人と食事をしているときに1つのお皿に同じものがいくつかのっていると、無意識に「○個は食べていいだろう」と計算しているのだろう。(というか、そういう計算を他の人はしないのだろうか。だとしたら、かなりの驚きというか衝撃だ! いやしかし、そういう習慣のない人もいるだろう。食を前にしたときに人の頭の中を見てみたいものだ。)

友人の日記を読んで笑ってしまったことから思い返した食のことを書いていたら随分長くなってしまった。私がいかに惰眠を貪るのが好きかについてはまた別の機会に書いてみたい。2019.11.6 Wed 10:07 Den Haag

442.選ばなかった人生

今日はなんだかとてもこわい夢を見た。夢が終わるまで、私はそれを現実だと思っていたのだと思う。夢が終わり、でもまだ目覚める前に「夢だった」ということに気づいてホッとした。夢の内容は覚えていないが、その、「こわい」という感覚と、「ホッとした」という感覚だけを覚えている。

目覚ましの音に引っ張られて目を開けた。夢の名残の感覚の次に気づいたのは「寒い」という感覚だった。今はもう、気温が5度を下回る日もあり暖房はつけっぱなしにしているが、暖房の仕組みなのか、暖房が切れていることがある。日中も切れていることがあるのかもしれないけれど、活動をして体温が上がっていたり、外から日が差し室内の気温が自然と上がっていたりすることもあり気づかないのだろう。だから朝切れているのはたまたまなのかもしれないけれど、今朝はあまりに寒くて「毎朝布団のあたたかさを強烈に感じるのは暖房が切れて寒いからなのだろうか」と思ったりもした。何てことはない、布団から出たくない言い訳なのだと思う。

書斎の窓から見える向かいの家の1階(オランダ式の地上階)には、天井からかった裸電球が灯り、周囲の空間をオレンジ色の明かりで照らしている。リビングのテーブルには女性が一人。何かを読みながら、何かを口に運んでいる。「あの家の女性はひとりでいるとき、いつも寂しげだ」そう思うのは自分の心の中の何かが投影されているからだろうか。家には成人の男性と女性、そして男の子が二人住んでいる。時折、別の大人や子どもが訪れ、一緒に食事をしたり話をしている様子が見える。

男性は庭で煙草をふかし、空を眺めていることがある。

女性はリビングのテーブルに片肘をつき、電子機器のディスプレイを眺めていることがある。

そこに私は、「違う人生を歩んでいたときに、『違う人生があったかもしれない』と思っている自分」を投影する。

もしあのとき東京に行くことを決めなかったらどうなっていただろう。
もしあのとき福岡に戻っていたらどうなっていただろう。
もしあのとき離婚をしなければどうなっていただろう。

そこにはきっと、また別の、それなりに幸せな人生があったかもしれない。でもそのとき、私はもしかしたら、「別の人生があったかもしれない」と思っていたかもしれない。

私の性格だからだいたいの場合目の前のことを楽しんでいるのだけれど、福岡を出る前、3年に1回くらい、「ここはもう私のいる場所ではない」と、福岡の街中を歩いていて強い感覚がやってくることがあった。コンパクトで暮らしやすい、そんな街に特段不満はなかったけれど、高校生のときに通っていたのと同じ交差点を大学の何年生かのときに渡ったときに、「私はここに居続けるのだろうか」と思ったことを思い出す。

今私も、小さな書斎の窓から空を見上げている。

もしあのときに欧州に来ることを決めていなかったら。
もしあのときにオランダに渡ることを決めていなかったら。
もしあのときに日本に戻っていたら。

選ばなかった人生を思う。

もしオランダを離れていたとしても、でもやっぱりきっと、また戻ってきていただろう。

今の私が空を見上げるのは、別の人生を選んだ私が空を見上げるのとは、少し意味合いが違うのだと思う。それはまだ上手く言葉にできないけれど、また少しずつ現実が変わっていったときに、「これでよかった」と思うはずだ。

今ここにいる自分と一緒にいる。そんな気がしてきた。2019.11.7 Thu 7:34 Den Haag

443. 家庭内ノマド

見上げると、窓の上部にちょうど月がおさまっている。窓枠が額のようになっていると言ってもいいかもしれない。この場所で、月を見上げながら日記を書くのははじめてだ。

我が家の寝室は、オランダ式なのかリビングよりも広いくらいで、窓際にはもともとリビングに置いてあったソファを置き、ソファとベッドの間には小さな机を置いている。書斎はコンパクトな空間で落ち着くが、晴れた日は隣の保育所の庭で遊ぶ子どもたちの声が聞こえてくることもあるので、集中したい作業は寝室の机で行うことも多い。書斎は中庭に面しているので日当たりも良く静かで、家の中では一番居心地がいいかもしれない。あれこれと考えを巡らせることはリビングの机で、アイディアを深めていくとき、もしくは集中するときは寝室の机で、外を眺め、心の声と向き合いたいときは書斎の机で、短い時間の休憩はリビングの小さなソファで、リラックスするときは寝室の大きなソファでと、思い返してみれば、そんな場所の使い方が、いい流れのときはできていると思う。

振り返ると今週はなかなか、そういった場所の切り替えができていなかったかもしれない。10月は日本時間の夜、こちらの夕方の時間にあたるときに日本にいるパートナーと打ち合わせをし、そのときはリビングの机を使っていたので、それをキーとし、自然と時間の使い方や場所の切り替えができていたように思う。今日は、朝に日記を書いたとき以外は寝室の机に張り付いていた感じだ。この3日間、執筆は「進みそうだ」という感じがしていたが、今日はそれにブレーキがかかった感じがする。他に進めていた作業があり、そちらにエネルギーを使ったのかもしれない。

振り返ってみると、1日の中で文字を書く総量というのはある程度決まっているように思う。それにしても流れるように言葉が置かれていくときと、そうでないというときは割と明確に差がある。前者は、こうして日記を書いているとき、そして誰かの顔を思い浮かべて文章を書いているときだ。「この人に向けて」というのが明確だと、すいすいと指が動いていく。それが「みなさん」となった瞬間に、中心に集まっていたエネルギーが分散し、言葉を重ねていくのが一気に難しくなる。明確な「あなた」を思い浮かべ続けることができるかが、私にとっては執筆を進められるかのキーになるだろう。一人でなくていい、でも「こんなことに取り組んでいる人に届けたいのだ」ということをセットアップする時間を、毎日取ると良いのかもしれない。(これは明日から取り組んでみたい。)

そうだ、今日は昼間、雨が降っていたのだった。昼前から、夕方頃までずっと。雨音が聞こえるくらい、割と強い雨だった。雨の中買い物に行きたくない私としては「家に食べ物があって良かった」とホッとした。しかし、バナナとジャガイモを食べ豆乳を飲み、今はもう玉ねぎしかない。明日には買い物に出る必要があるだろう。雨が降っても、雨上がりにはしんなりとした自然を感じられるかもしれない。明日で、色々なことが一区切りつくかもしれない。

ベッドに腰掛けて日記を書いてきた。このスタイルは悪くはないが、やめた方がいいだろう。ベッドが椅子がわりになり、「寝る場所」ではなくなってしまう。寝るときは、寝室はできるだけ片付けてスッキリした状態にしたい。窓際のソファの脇に執筆の参考にしている何冊かの本が積み上がり、机の上にノートや手帳が開いてある状態を片付け、パソコンは充電器ごと書斎に移して、このあとは脳を緩めたい。2019.11.07 Thu 21:17 Den Haag