433. 恐れについて

見上げると、飛行機の引いた線が、空にかかるやわらかな帯のようになっていた。向かいの家々の煙突の形をした通気口からは蒸気の煙が上がる。

ふと、『天空の城ラピュタ』の映画で、主人公のパズーが、朝に家の屋根に登りラッパを吹くシーンを思い出した。

新しい冒険は、いつも外からやってくる。それは突然に、思いもかけない形で。そして、主人公は心の準備が出来ていない中、旅に出る。それがどんな旅になるのか、何のための旅なのか分からない。終わりになってようやく、「こういう旅だったのか」ということが分かる。そして元いた村に戻っていく。

そういうものだと思っていた。

でも本当にそうなのだろうか。外側にある何かが引き金になっているように見えて、自分自身の内側に、それに呼応する何かがあったのではないか。心の内が投影されていたのではないか。「内側」と「外側」というのは、人の意識がつくり出した境界にすぎないとしたら、「見るもの」と「見られるもの」が一つだとしたら、世界は心の中を、そして心の中は世界を、体験する場所なのかもしれない。

昨日は、「恐れ」について考える機会があった。「自信のなさ」や「不安」の多くは「恐れ」から来ているのではないかと思っている。そしてそれは、「自分の期待する自分ではない」ということを知ってしまうことへの恐れなのではないかと思う。何かものごとが上手くいかなくて、命を取られると思っている人はいないだろう。「人に低い評価をされるかもしれない」「がっかりされるかもしれない」という恐れにはたどり着けるかもしれない。そのさらに下、たまねぎのように一枚皮を剥がせば、結局のところ、「人にがっかりされることで、自分ががっかりする」という恐れがあるのではないか。自分の存在を脅かす人などいない。いるのは「自分の存在が脅かされることを恐れる自分」なのだと思う。

ではその恐れはどうしたら解消できるのか。それは「今この瞬間を生きていたら恐れを感じるか」という問いにもつながる。もちろん、目の前のことにたいして恐れを感じることはある。しかしそれが、今この瞬間に目の前にあることであれば、それに対して何らかの具体的な行動を取ることができる。

恐れが、対処のしようもない不安に感じるのは、今この瞬間ではなく、過去や未来のことを思い浮かべているからなのだと思う。過ぎた過去にも、まだ来ぬ未来にも、今この瞬間に何か具体的な働きかけをすることはできない。できるとすれば、現実を見つめ、現実の中で行動し、今自分が携わりようのないことについて考えることをやめるか、もしくは、過去や未来に対する認識を変えることなのだと思う。それは決して、刹那的に生きるとか、短絡的に生きるということではなく、ただただ現実を見つめ、その中で自分のできることを為すという姿勢なのだと思う。

それと関連して、昨日もう一つ浮かんでいたのが、「目の前にいる人と率直にコミュニケーションを交わさない(交わせない)」ということが引き起こすことだ。これも結局のところ、今この瞬間に自分自身と、目の前にあるものと向き合わないということで、人間関係の悩みはこれに起因することも多いのではと思っている。

どうやら頭の中で、考えていることがたくさんあるようだ。

そうこうしているうちに、空はすっかり明るくなった。帯状に伸びた雲は、櫛のように、中心の太い部分から細かな線が外向きに伸びる不思議な形になった。

どんなに考えても、結局のところ人間というのは分からない。これからもずっと分からないままでいたい。

今日はアムステルダムまで出かける。どんな景色が見えるか、どんな音が聞こえるか、何を感じるか。今日も1日が楽しみだ。2019.10.31 Thu 8:05 Den Haag