410. 東へ

向かいの家の1階のリビングの明かりが灯されている。頬杖をついてパソコンの画面を眺める女性。暗闇の中に浮かび上がる空間。絵画のようだ。

目覚めてから30分ほどで既に独り言が始まっている頭の中が、外の静けさにつられてまた静かになっていく。

今朝も長い夢を見ていた。覚えているのは最後のシーンだ。食堂のような、天井が高くて広い空間で、そこにいる人たちが順番に挨拶のようなことをしている。人前で大きな声で喋らないといけないのは面倒だなあ、順番が回って来ないといいなあと思っていたら、三番目くらいに喋った女性と目が合い、次に挨拶をすることを促された。なんとなく「前」のような場所に立ってみたが、すぐ近くに柱があるために空間全体を見回すことができない。これでは聞こえづらい人もいるだろうと、柱の間を抜け、より、空間の中央部に近いところに立った。しかし、周囲から話し声が聞こえるので「今挨拶をしても聞かれていないんじゃないだろうか」という気がしてくる。そもそも何を話そうかと考え、いよいよ口を開いた。「私は今年入社2年目、いや、3年目ですが」という言葉が口をついて出てくる。どうやら、2年間だけ勤めたコーチングファームに3年目まで勤めているという設定らしい。声が通らない空間ながらもどうにかこうにか何かを発そうといる途中で、「もういい加減起きていいだろう」という気分がやってきて目を覚ました。

今日は南の空にいつも広がるオレンジの光は見えない。あれはやはり朝焼けのようなもので、雨が近いときに見える景色なのだろうか。オレンジの光が朝の印だと思っていたので、今、書斎の窓から外を見ても、日が明けようとしているのか、暮れようとしているのか分からない。

リビングの前の通りを、人々は一日のはじまりに西から東へ向かう。自転車も、車も、トラムに乗る人も。中庭に面した書斎からはその様子は見えないが、人々が東へ向かうことは、一日が始まろうとしていることを教えてくれる。

上の階の住人がシャワーを使う音が聞こえ始めた。これも一日の始まりの音だ。

この、ざわざわとした心の感じも、一日の始まりを示すものなのだろうか。私の中にもきっと、一日の始まりを示す音が流れているはずだ。

今日も、愛と敬意を持って、見えないもの、聞こえないことを感じたい。2019.10.16 Wed 6:47 Den Haag

411. 終わりと始まり

ポタポタと、書斎の窓に雨があたる。

雨が降り出していたことにさえ気づかず
パソコンを閉じる時刻を知らせるアラームを止めた後も
目の前の作業に没頭していた。

この時間までパソコン作業をしていたのは久しぶりだ。
創造エネルギーの循環機関としての心身が、力を取り戻したことを感じる。

明日もやりたいことがあるから、そのために今日はもう休む。
この感覚を充実感と言うのだろうか。

向かいの家の1階のリビングには明かりが灯り、女性がパソコンを覗き込んでいる。

今朝と変わらない景色。

その中で、今が一日の終わりであることを示すものは何だろう。

夜は、どちらに向かっているか分からない。
闇は、どこから来たか分からない。
光は、どこに姿を隠したか分からない。

それでも、今が、始まりではなく終わりだということを、何かが教えてくれているのだろうか。
しかし、終わりは始まりであるというそんな囁き声も聞こえてくる。

昼間、庭の大きな木の枝の上の方の葉っぱが赤く染まっていることに気づいた。
緑が終わり、赤が始まる。赤が終われば葉は散るだろう。
それを終わりと呼ぶこともできるし、始まりと呼ぶこともできる。

命はいつも、ゆるやかな螺旋を描き、宙に、地にとその手をのばす。

私に今訪れているのは、始まりか、終わりか。

始まりの中の終わりを見つけ、終わりの中の始まりを見つける。

それが、自然と人間を静かに見つめるものとしてこの世界から課せられた役割の一つなのかもしれない。

2019.10.16 Wed 20:58 Den Haag