406. 玉ねぎのスープの香りに包まれて

人と会う前、心はいつも静かだ。それは、「今日」という日に「人と会う」ということ以外の決まった予定が入っていないからかもしれない。時間を気にせず、共にそこにある時間を味わえるということが、私にとってはとても幸せで、それは少なからず、相手にとってもいつもとは違う流れの中で自分自身の鼓動や想いに気づくような、そんな時間になっているのではと思う。そうなることを願っている。

日々のセッションも、こんなふうに時間を持っていきたい。目的もなければゴールもなく、時間を気にすることもなく、今ここに立ち現れる感覚、言葉、言葉にならないものを一緒に味わう。心の中にあるあたたかいものを感じながら、沈黙に耳を澄ますことが共にできたときが、一番幸せなときかもしれない。

それをするには、日本、特に都会に流れる時間は速すぎると感じる。

買ってから少し時間が経っていた玉ねぎたちの皮をむき、薄切りにし、火にかけている。昨年の冬に我が家にやってきた黒いル・クルーゼの鍋が、スープづくりで活躍する季節がやってきた。弱火でゆっくりと煮込んだ野菜スープは、身体と心をしっかりとあたためてくれる。もしこの先、毎日同じメニューを食べるとするなら、スープがいいなと思う。できればたまにはスパイスを入れてカレーにしたい。

そんなことを考えていたら、香ばしい匂いがしてきたので、キッチンに行き、鍋の蓋をあけると、蒸気がふわりと上がってきた。玉ねぎの一部が飴色に、ちょうどいい具合に焦げている。これが美味しいスープにならずして何になるだろうか。野菜の出汁を入れようかと思っていたが、このままで十分に味が出ていそうなので、一旦は出汁は入れずに、水を入れ、弱火でさらに煮込むことにした。料理というのは、寒い冬の日に楽しみの明かりを灯してくれるようだ。

明かりといえば、オランダの人たちはあまり家の明かりをつけない。ドイツでもそうだったのだが、昼間だと店舗でも明かりをつけていないところが多いので開いているのか閉まっているのか分からなかったりもする。目の色素が薄い人たちは、明かりをつけなくても十分明るく見えているのだろうか。それとも環境意識がそうさせているのだろうか。

そう思いながら今、私は、日本にいたときに電車の窓から見ていた家々の明かりを思い出している。暗くなった中で、明かりの煌々とついた電車から見える、立ち並ぶ家々の明かり。この先、もしまたいつか日本に住むことがあったとしても、そんな景色を見る暮らしをすることはもうないだろう。音も光も、自然の中にあるもので十分だ。ハーグの街は静かだが、もっと自然の近くで、自然を感じながら暮らしたいという想いも湧いてきている。今は心と身体を整えることに意識を置いた暮らしをしているが、よくよく考えると、そこに意識をおかなければならないというのは、どこか、不自然な力がかかっているようにも思う。オランダの街中の商店街のように、人の賑わいのある場所も好きだ。しかしそれは、たまに足を運べば十分だという気もする。

これからやってくる寒い季節に向けて、心が落ち着く支度を整えているのか、それとも、人生としてそういう季節がやってきているのか。

まずは、出来上がったスープを静かに味わおう。そうして今日という一日は満ち足りた感覚から始まっていく。2019.10.12 Sat 9:45 Den Haag