404. 夢をみること

 

上の階の住人が使うシャワーの水音を聞きながら、頭の先から足の先まで、身体の感覚をなぞった。昨晩ベッドに入ったときよりもエネルギーがわずかに上がっているように感じる。目覚める前、今日も随分長く夢を見ていた。ベッドから起きだしながら、もし夢を見始める前に起き続けたらどうなるのだろうという考えが浮かんだ。一昨日まで、5時に目覚ましをかけて起床していたが、その早く起きた時間が一日のパフォーマンスに良い影響を与えているかと言うと思ったほどそうでもなさそうだったので、一旦は目覚ましをかけない起き方に戻すことにしたのだった。起床する時間帯というよりも、静かな鐘の音とは言え、目覚ましの音で半ば無理矢理に意識を目覚めさせるということが負担になっていたのではないかと思う。さらにまどろみながら見る夢も、自分にとって何か必要な整理をしてくれているのではないかとふと思った。

その瞬間だったろうか、ハッと現実と夢の決定的な違いに気づいた。夢は登場人物が多いのだ。普段、私が一日の中で日本語で話す相手は片手で数えるほどだ。そうしているから、誰の言葉の世界にも語彙にも染まらずに、純粋にそのときに向き合う相手の言葉を聴けるのだと思っている。それ以外は買い物に出かけたときにお店の人と二言三言言葉を交わす程度だろうか。それが、夢の中では何倍もの人が登場する。以前、ドイツ人の知り合いが「夢の中だけに起こる出来事や夢の中だけに登場する人が分かれば、夢を見ているときにそれが夢だとすぐに分かるようになる」と言っていたが、普段接する人が少ない私としては「人がたくさん登場する」というだけで、それは現実ではないということが分かるということになる。と気づいたところで、夢の中で「これが夢だ」と気付けるかは分からないが、以前、夢の中でユーロの硬貨が出てきたときは「夢の中までユーロが登場するようになった!」とその場で不思議な感覚を味わったことは覚えている。

多くの人とワイワイとした場に行くことは表層意識では特に望んではいないことだが、何か全体的なバランスの中で、そういった環境も必要としており、夢でバランスを取っているのかもしれない。「夢を見始める前に起きれば一日の時間がもっと有効に使えるのでは」と思っていたが、そもそも、一日がそんなにもあくせくしているのであれば一日の時間の使い方を改めた方がいいだろう。

今日の夢の出来事で覚えているのは、小さな定食屋さんのような場所に何人かの人たちと訪れた際に私が注文したのが、海藻などの天ぷらだったということだ。親子丼やかき揚げ丼といったメニューが並ぶ中で比較的ヘルシーに見えたのが海藻の天ぷらだったのかもしれない。夢の世界の私も、一緒に何かに取り組もうとしてくれているのではないかと、今、ふとそんなことを感じた。2019.10.11 Fri 6:46 Den Haag

405. 思考を緩める、感覚を目覚めさせる

 

日が暮れた。今日も一日の中で、できたこともあるし、できなかったこともある。そう言える一日を、そう言える日々が続くことを、「充実している」と言えるのだろうか。

今月に入って一日の日課に日本にいるパートナーとのミーティングが加わった。オランダ時間の朝8時から、もしくは15時以降など、今後、日本とオランダを繋いで行なっていく事業を行なっていくために、これまでのバラバラの状態で保存していたパズルのピースを組み合わせているような感じだ。私が取り組むことは大きくは変わらない。自分自身の内的なものと向き合うために、身体活動や環境を組み合わせて、大きな揺らぎをつくるようなイメージだ。福岡に既に拠点となる場所があるため、日本ではそこを起点とし、オランダでもオランダならではその街ならではの文脈を生かした場をつくっていきたいと思っている。

そんな新しいリズムの中で、今の私個人のテーマは、いかに思考を緩めるかだ。放っておくと一日中何かしらのことを考えている。いや、考えているのならまだいいだろう。「頭の片隅に何かがある」という状態になる。それはある意味、無意識が何かを処理してくれるのを待っているとも言えるし、無意識にエネルギーを小さく消耗していると言える。コーチングセッションの前には心身の状態を切り替える取り組みを行なっているが、理想としては、一日の中でもう少し、思考が緩んだり、感覚を優位にする時間を持ちたい。書や音楽などの芸術活動や、YouTubeチャンネルのアップもここのところ滞ってしまっている。それらに取り組む時間とエネルギーがないという言い方もできるが、それらに取り組んでいないから、時間とエネルギーがなくなっているとも言える。こうして書いていると、改めて自分には、感覚的なものに向き合う時間や、感覚的な表現を存分にする時間が必要なのだと分かる。業界の常識を打ち破るようなことにチャレンジしている人の後押しとなるような書籍を書きたいと同時に、詩を描きたいという感じだ。この二つが、相反するものだと感じているのが、今の私の認知の課題なのだろう。

何か、脳をゆらゆらと洗うような、脳が空間に溶けてくような、そんな体験がしたい。それは今、自分の脳機能が限界を迎え、変容・変質を必要としているからだろうか。

明日から二日間、日本から来る知人と過ごすので、それはまた、普段とは違った刺激になるだろう。組織でも社会でもない、自分自身の壁に向き合い続けていく道を選んだのだということが、今ふと湧いてきた。もうすぐ満月を迎えるはずの月が今日はまだ見えていない。月の移ろいが、向かうべきところに向かうことを後押ししてくれるだろう。2019.10.11 Fri 19:58 Den Haag