397. 「日曜日」は何のため

ポツポツと、雨粒が窓ガラスにあたる音がしている。今はもう雨は降っていないが、屋根についた水滴が落ちてきているのだろう。今日も一日、空には雲が広がっていた。雨も降っていたのだと思う。「思う」というのは、一日、目の前のことに集中していたからだ。朝から打ち合わせをし、言葉に関する提案をまとめた資料を作り、いくつかの仕事をし、そしてまた打ち合わせをした。今日が日曜日だということを示すのはカレンダーの赤く塗られた色しかないし、「日曜日」の言葉の意味を示すものは何もない。7日間に1日回ってくる日曜日が、他の曜日と同じようにここにあった。言葉がどんどんと行動になり、行動がどんどんと言葉になっている。そんな流れの中では、世の中で決められている「安息日」に囚われる必要はないのだということを実感する。もちろん、心身の安息は必要だ。日々の睡眠を十分とり、一日の中にも緩急があってこそ、「安息日」に囚われることなく過ごすことを続けられるのだろう。

10月のオランダは思った以上に天気が悪い。昨年の夏にオランダに引っ越して来て以来、秋、冬、春、夏と過ごしてきた。これまで日本で体験してきた四季とは違うものだけれども、それぞれに、日本にいたときよりも心地良いものを感じた。「ああ、この時期は、日本の方が快適かもしれない」と思うのは初めてだ。「隣の芝生は青い」と言うように、日本にいたらいたで、いろいろなことを思うのだろう。それでも「来年からこの時期は日本に行こうかなあ」と思っている自分がいる。オランダが気持ちの良い季節はどうやら6月から8月だったようだ。その時期を、日本から来る人と対話の時間を持つ時期とし、9月以降は、もう少し気候の良い場所で過ごせるのがいいかもしれない。この時期を越えてやってくる冬の寒さは、それはそれで好きだ。静かに思考と感覚に向き合い、エネルギーを蓄えていくような時間は、寒さの厳しい場所でこそ過ごせるように思う。冬は、せっかくなので、思いっきり寒さが厳しいところで過ごしてもいいかもしれない。(実際には、寒がりなので「本当に寒い場所」はすぐに根を上げてしまうだろうけれど…。)

まだ、日没まで時間があるが、今日も21時にはベッドに入りたい。まだ頭は冴えているが、思考を収束に向かわせていきたい。2019.10.6 Sun 18:53 Den Haag