395. 降りてきた言葉

昨晩は、夜中のセッションが終わった後、いつもよりもすぐに眠りにつくことができた。そのおかげか、7時を知らせるアラームが鳴ったときには、既に十分睡眠を取ったという感覚があった。それからさらに1時間ほど横になっていたが、これまで、夜中にセッションがあった日よりもずっと早く起きることができた。これまでなら、3時か4時すぎまで寝付くことができず、翌日起き出すのは11時頃になっていた。これは、最近の早寝早起きの習慣と、昨日の夕方以降の過ごし方も影響しているだろうし、日の出の時間が遅くなっていることも関係しているように思う。早い時間に外が明るくならないので、必要な休息が満ちるまで、自然に眠りを続けることができた。

書斎の窓から中庭の景色を見ながら、遠くに聞こえるサイレンの音を聞きながら、少しザワザワする心の声を聴いてみる。心は、シンプルであることを望んでいる。

「問題を問題とみなしているその文脈を変える」

ふとそんなことが思い浮かんできたのは、今、私が社会構成主義に基づくナラティブアプローチの考え方を採用しているからだろう。問題を個人の内的なものとして扱うのではなく、起こっている具体的な事象に対して、関係者が共に解決の協同者となることで、自発的・自律的な変化を関係者が自ら起こしていくことができる。これは一見、個の成長を扱うこととは相反することに見えるが、自然な成長・変容を遂げていくには、このゆるやかなプロセスが大切なのではないかとも感じている。

それぞれの人が本来持っている力を発揮し社会をより良いものにしていくことに対して適切な組織の大きさと組織の形とはどのようなものだろうか。自分たちが活動を深めていく中で、いつかこのテーマにはぶつかるだろう。適切な問いを設定するまでにはまだ時間がかかりそうだ。それまでの間、まずはできるだけものごとをシンプルにし、個人の可能性に向き合っていきたい。2019.10.5 Sat 10:06 Den Haag

396. ボルダリングへ

雨の降っていない朝というのは、雨の降っている朝とは違う静けさがある。生き物の存在を感じず、小さな小舟で一人宇宙を旅しているような、そんな寂しさがある。

昨日は一人でボルダリングに出かけてきた。9月のはじめにフローニンゲンに住む友人たちと一緒にボルダリングをして以来ずっと、ハーグでもボルダリングに行ってみようと思っていたがしとしとと雨が降る日が続き、少し離れた場所にあるボルダリングジムまで行くのになかなか腰が上がらなかった。昨日は朝から天気が良く、寒さも厳しくなかったので「今日だ!」とばかりに、11時すぎに家を出た。ハーグには2つのボルダリングジムがある。一つはDen Haag HSという大きな駅の向こう側、もう一つは、ハーグの街の中心部から南西に位置する場所にある。どちらも我が家からはバスと徒歩を合わせて40分弱ほどのところにあるが、利用者の評価が高い後者のCampusというジムに行くことにした。家から5分ほどの場所にあるバス停からバスに乗り、20分ほど行ったところでバスを降り、10分ほど歩いた。外から見るとさほど大きくは見えなかったが、中に入ると、小学校の体育館のような、ゆったりとした空間が広がっていた。その中央部分にバーカウンターのような受付の場所がある。日本の、少なくとも東京のボルダリングジムでは考えられないつくりだ。このジムに来るのは初めてだがボルダリングは初めてでないということを伝えると、名前などの登録もなくあっさりと靴を貸してくれた。建物の一角は二階建てになっており、トレーニングジムや、更衣室などもある。ジム内にはまばらに人がいて、人が多いというほどでもないし、とても少ないというほどでもないように感じた。ストレッチを済ませ、さて、どこから登ろうかとジム内に広がるウォールを見て回るも、前回フローニンゲンのジムで登った青い課題は比較的難易度が高く、一番低いレベルのものには見えなかったため、ジム内にあるはずのグレード表を探したところ、このジムではオレンジ色の課題が一番易しく、ついで緑色の課題が易しいということが分かった。今日はこの二つの色の課題を中心に取り組んでみるのが良さそうだ。その中でも高い壁や傾斜のある壁に取り付けてある課題は難しそうに見えるため、低くて傾斜のない壁の課題から取り組むことにした。

今回、ボルダリングを一人でやってみて感じたのは、黙々と一人で壁を登るというのはなんだか修行みたいだということだ。前回は、二人の友人と一緒だったため、順番に登り、そして感じたことや考えたことを言葉にする時間もふんだんにあった。他者の動きや言葉が刺激となり、三人が、バラバラながらも緩やかにつながりのある有機体もしくはシステムとして、それぞれに影響を与え合い、それぞれがだんだんと変化していく様子が面白いと感じたが、一人ではそれが、自分の中に閉じたものとなる。壁を登るスパンも短くなるし、上手くできなかったところをどのように変更していいかというのを考えるのに、頭の中だけで考えるというのは(本当はそこに体感覚的なイメージを入れた方が良いのだろう)、なかなか難易度が高いと感じた。前回感じたボルダリングの楽しさは、「仲間と共にボルダリングをする楽しさ」という要素が強かったのだろう。それが入り口となったことは、ボルダリングを始めるに当たってラッキーだったのかもしれない。今後もボルダリングは続けたいが、仲間がいる方が楽しく、思考や身体の動きの範囲も広がるだろうと感じている。私は普段、一人で活動をすることも多いため、バランスとしても他者との交流というのは、増やしていきたい領域だ。ボルダリングのMeet upなどもあるかもしれない。もう一つのジムにも行ってみて、今後どちらのジムを主な行き先にするかを検討したい。

昨日帰ってきたときには、帰り道で身体が冷えてしまったのか、少し気分がすぐれず「ボルダリングに一人で行くのは当分いいかもしれない」と弱気になっていたが、今こうして書きながら、また行こうという考えがある自分に驚いている。全身を使ってダイナミックに動くような活動は、今身体が必要としていることなのだ。冬の寒い時期にジムの中の気温はどのくらいなのだろうかという寒さに対する懸念はあるが、これからも細々とでもボルダリングを楽しんでいきたい。2019.10.6 Sun 7:12 Den Haag