439. 眠れない夜を振り返って

南西の空に、ちょうど真ん中にまっすぐ線を引き、その左側半分が欠けたような月が光っている。月には地球の影が写っているために形が変わって見えると習ったはずだが、あんなにもまっすぐに片側が見えなくなるというのは今でも不思議だ。見えないだけでそこにはある。そこは、何もない闇なのではなく、影のつくり出す闇なのだ。

そう思った瞬間ふと、どちらの闇の方が怖いだろうかという考えが浮かんだ。

そこに何もないという闇と影がつくり出す闇。

影、ということは光がある。光がつくり出す影(闇)は、何もない闇よりも恐ろしいかもしれない。なぜだろう。光は希望へとイメージが変わった。希望は、心が望むもの。ともすれば欲求、そして幻想にもなる。自由に希望を抱く想像力が、その逆の、深い絶望をつくり出す。何もないところにも人は不安を抱く。しかし、何もないところに抱く不安と、希望の裏返しとして抱く絶望どちらが恐ろしいかというと後者に感じる。

今日は、こうして月を見上げるのが、はじめて書斎で過ごす時間となった。「過ごす」と言っても、最近は書斎の小さなテーブルの上にさらに小さな子ども用の座卓を乗せて立ってタイピングをしているので、どっしりとそこにいるという感じではない。今のところ、この立った姿勢で日記を書くという行為はなかなか具合がいいように感じる。

今日はじめての書斎で過ごす時間となったのは、今朝はいつもより早くから仕事の予定があったためだ。いや、もっと言うと、昨晩なかなか寝付けなかったために、書斎で落ち着いて日記を書く時間が取れなかったためだ。そこには、今日は日記を書くのではなく瞑想をしようと、朝の30分ほどを瞑想にあてたという行動もある。

昨日ボルダリングに行き、そう長い時間ではなかったが全身運動をし、夕飯も比較的軽めに食べ、就寝予定時刻の1時間前からは電子機器からは距離を置き読書にふけっていたので、いつもより早くぐっすりと、質の良い睡眠が取れるのではないかと思っていた。大いに期待していた。それが悪かったのだろうか。横になる前にも少し瞑想をし、21時すぎにはベッドに入ったものの、頭がすっかり活性化して眠りがやってくる気配が全くなかった。むしろ頭の中には頭の中に新しいアイディアがあれこれと湧いてきて、それが余計に意識を覚醒させた。それが夕方頃に起こり、ひとしきり納得いくまで取り組みたいことをしていたなら夜には思考が落ち着いていたのかもしれないが、そう思ったからと言って時間を巻き戻せるわけではない。

今思えば、なぜあのときあんなにアイディアが浮かんできたのだろう。それは頭の中にあった色々な破片がつながったようなそんな感じだった。そのために必要な静けさが身体を発端として、心、そして思考に訪れたのだろうか。今日、朝から予定がなかったならそれをその場で存分に整理したり表現したりしても良かったのかもしれない。しかし、「寝るのが遅くなっては明日の朝、ベストなパフォーマンスが発揮できない」という気持ちとの間に葛藤が起こり、結局どっちつかずのまま数時間を過ごすこととなった。その間、あまりに頭が冴えるので、一旦考えを視覚的に確認できる形にしようと書斎に置いてあるパソコンに向かいいくつかの作業をした。それが余計に意識を目覚めさせることになったかもしれないが、かと言ってそうしなかったら早く寝ることができていたかというとそうではないだろう。

今朝は、日記や日記の編集などいくつかの決まったことを行わなかったので思ったほど浮き足立った状態ではなく、午後の仕事までを終えることができた。「眠れなかったらベストパフォーマンスが発揮できないかもしれない」というのはある意味脅迫的な感情であり、自分自身に対する過信でもある。そもそも「ベストパフォーマンスだ」と思った瞬間に、そこにはもう驕りが生まれ、多くのことを聴き逃すという結果になるだろう。体調も睡眠時間も毎日変わる。それらは自分に全てコントロールができるわけではない。そのときそのときの自分の状態と条件に対して、そのときの自分が何ができるかというそれだけなのだと思う。

私が昨晩はまっていたのは、「明日のことを今心配する」という、出口のない迷路だったのだ。

眠れないときも、次の日のことについて思い悩むことがなくなったら自分の中では結構なパラダイムシフトかもしれない。

中庭のガーデンハウスの上を、猫のシルエットが駆け抜けて行った。2019.11.04 Mon 19:34 Den Haag