386. 10月、新しい暮らし

まだ空は暗い。いつもと同じように見えるが、いつも見ている太陽が昇り始める直前の闇よりも、もっと深いだろう。数十分前に書斎に来たときは、さらにもっと深い闇だったようにも思う。

今日から10月だ。昨日、9月の振り返りをして、10月に集中することを手帳に書き出した。10月には執筆活動に力を入れたい。そして、静かに人と向き合うこと、自分を整えること。これ以外の活動からはできるだけ距離を置いて過ごしたい。特に消費的なものや、エネルギーを消耗するようなやりとりとは、10月に関わらずこの先の人生において、できるだけ距離を置いていきたい。

朝の時間を執筆にあてようと、いつもよりも2時間ほど早く起きることにした。身体が慣れるまでの間だけ、目覚ましを使うことにした。身体が驚くような目覚ましの音というのはストレスの原因になると聞いたことがあるので、目覚ましの音を優しい音にようと色々試した結果、鐘の音のようなものにすることにした。昨晩は21時には眠りについたが、一度目が覚め、時計を確認したところちょうど24::00だった。そこまででも十分に睡眠が取れた感覚があったが、さすがに早すぎると思いもう一度寝ることにした。その後、数時間寝た後は、夢を見ていた。

今朝の夢で断片的に覚えているのは、母が運転する白い大きな車に乗っていたが(実際には母は運転ができない)、その車というのが縦に長く、しかも車体がまっすぐにつながっているわけではなく、いくつかの直方体がジョイントで繋がっているような形状になっていて(ドイツやオランダの大きなバスのような感じ)、道を曲がるたびに車体の端が周囲の建物などのぶつかりそうになり、それを危なっかしく感じたということ。家の中に二段ベッドが二つ並べて置かれており、そこに兄妹が寝ていて、さらに、「家の周囲をうろうろしていた」という人がリクライニング式のソファに寝ていたこと。知り合いの女の子数人とお祭りのような場所に出かけていたところ、母や、マネージャーをしていた中学校のサッカー部のメンバーとその母親たちがやってきて、母が「このあとサッカー部のメンバーたちとごはんを食べる」と言うので、私は一緒にいた女の子たちも誘ったが、女の子たちは帰ると言ったこと。サッカー部のメンバーの男の子たちが、お祭りの会場となっていたビルの屋上の端から下を見下ろしている様子を見て「私は下を見下ろすのは怖いなあ」と思ったことなどだ。

闇は、微かに朱を抱えて、まだ静かに呼吸をしている。リビングの向こうからは時折、車が通り過ぎる音が聞こえる。新しい月の始まりとともに、新しい暮らしが始まる。2019.10.1 Tue 6:05 Den Haag

387. 新しい住人の気配

書斎の机の前に座ると、書斎の隣にある寝室から続くベランダの手すりに一羽の鳩が停まっていた。窓から覗き込む私の姿を見つけたのか、もともと丸い目を少しだけ見開き、バタバタと飛び立つ。階下の屋根の上にできた水たまりはゆらゆらと中庭の景色を映し出している。重みを纏った、いつ雨が降り出してもおかしくない雲が、ゆっくりゆっくりと西から東へと流れていく。ガーデンハウスの屋根を足先の白い黒猫が小走りでやってきた。ふと身体を止め、首だけを前に伸ばし、どこかを見つめている。視線の先には葡萄の蔓、そして蔓の茂みの中に鳩の姿がある。しばらくじっと動かずにいたが、猫はにわかに立ち上がり前に二、三歩進んだ。一番近くにいる鳩との距離が狭まる。猫がもう少し動くかと思ったそのとき、猫の一番近くにいる鳩が飛び立ち、少し離れたところにいた二羽の鳩もそれに続いた。この部屋に来てから一年あまりの中で猫が鳩を追いかける姿を何度も見たが、猫が鳩を捉える姿はまだ見たことがない。ガーデンハウスの屋根を歩き回った猫は、木の下に身を隠した。猫の二つの耳のシルエットと、薄黄色の二つの目の光が見える。あの、隠れているのか何なのか分からない様子は何度見ても愛らしい。

玄関の扉の開く音がして、階段を登る足音が聞こえた。ドアが開く音、部屋の中を歩き回る足音が聞こえる。上の階に住んでいたアナさんは一昨日引越しを終えたはずだ。階下に住むオーナーのヤンさんは「月曜日に男性が上の部屋を見に来る」と言っていたように思う。しかし、昨日、玄関付近にはたくさんの荷物が置いてあった。「見に来る」のではなく、「滞在する」ということだったのだろうか。知る限り、オランダの人は数週間から数ヶ月間、いつもとは違う場所でバカンスを過ごすということが珍しくない。空いた部屋をそのままにしておくというのも、ヤンさんは避けたいだろう。昨日家に出入りをしていた男性はヤンさんと同じ歳の頃に見えたのでヤンさんの知り合いなのかもしれない。新しい人が住まうのであれば同じ玄関を使う者同士、紹介されてもいいものだと思うけれど、そこは自分たちで会ったら挨拶してくれという感じなのだろう。今週からヤンさんは3ヶ月のバカンスに出かけるはずだ。ひとけのない3階建ての家にひっそりと住むよりも、ほどよく人の気配があった方が安心ではある。しかし、人がいるとなると、朝早い時間にシャワーを使うこと、朝早くから発声をすること、昼間にリーコーダーを吹くことは若干憚られるかもしれない。私がいつも「あーおーうーえーいー」と発声し「あきはゆうぐれー」と枕草子を読み上げる声は言葉の意味が分からない彼らにはどう聞こえているのだろうか。今年は英語を勉強し、来年はオランダの勉強を始めようと思っていたが、オランダ語を学び始めるのはまだ先になりそうだ。ドイツ語を学んで、ドイツの人々の思考の特徴を少し理解できたように感じたように、オランダ語を学ぶと、オランダの人々、そしてオランダのことがもっと理解できるかもしれない。しかし一方で、いつまでも私の理解に収まらないで欲しいとも思う。理解に収めてはいけないと思う。この人のことを、この国のことをまだ知らないと思えるほどに、まっさらな心で向き合い続けることができるだろう。2019.10.1 Tue 19:03 Den Haag

388. 読むものを書くということ

19時を過ぎたがまだ外は明るい。先ほどの日記を書いている間に一度雨が降り始めたが、今はまた上がっている。雨が上がるとは、面白い表現だ。

今朝は5時にかけた目覚ましで起床し、オイルプリングをしながら太陽礼拝の動きをし、白湯を飲み、日記を書き、そして、書籍の原稿の執筆を始めた。始めようとした、という方が適切かもしれない。始めようとしたが、あれこれと流れを考え、事実関係を確認しているとなかなか前に進まなかった。いつも日記やエッセイでは浮かんでくることをそのままに言葉にしていっているが、それは、誰かに読ませることを前提としていないからであって、誰かが読むことを前提とすると、人はどんな視点で読むかということを考えながら書いていくので、いつもとはなかなか勝手が違う。さらに書き出しの部分は、私が本当に伝えたい部分に入る導入であって、多少外向けの部分でもあるので余計に筆が進まない。「外向け」で書こうとすることが良くないのだろうか。一旦は、自分が本当に大事に思っていることを言葉にしていって、後から整えるというのが良いのかもしれない。ひとまず、今の進め方ではなかなか進まなさそうなので、一旦、夕方の時間に翌日書きたい部分の構成や流れを考え、調べ物が必要なことについては調べ、その状態で一旦寝かせた上で翌日の朝、前日考えたことを元に原稿にしていくという方法を取ってみようと思いついた。色々な作業は、次にやり始めるときに始めやすいように程よい状態で終わらせるのが良いと聞く。本編に入ればスラスラと書き進められる気はしているので、導入である第一章を、なんとか書き進めたい。今のところ、一日一項目、5,000字程度を目安とし、二週間ほどで第二章までを書き進めたい。

自分が原稿を書こうとして、これまで、手にとってきた書籍の内容については読み込んできたものの、その導入や構成がどのようになっているかまでは深く意識を向けていなかったということに気づく。思わず読み進めてしまうものには何か進め方のヒントがあるはずだ。今回はコミュニケーションをテーマとするが、How to ではなく、自分自身をどう成長・開花・開化させるかという内容にしていきたい。と言っても自己啓発という部類でもなく、実践書にしていきたいという想いもある。How to ではないが、実践書である。これには何をどのような塩梅で書いていくか、書きながら、他の書籍からも学び続けるということをしていきたい。

YouTubeもそうだが、自分がつくり手になるということは、これまでとは全く違った学びがあるように思う。10月が終わる頃、ここでどんな景色が見えているか、今から楽しみだ。2019.10.1 Tue 19:20 Den Haag