384. レジ打ちに戸惑う夢から醒めて

書斎の窓を開けると、中庭の木々の枝葉が、風に揺れる音が吹き込んできた。木の葉の色は夏のそれとはうっては変わって、くすんだ色彩で描かれた絵画のようにも見える。庭の中央にあるガーデンハウスの上を、足先の白い黒猫が駆け足で横切り、そうかと思えばふと止まり、腰を下ろした。一羽のカモメが、額縁のような窓の中を、左から右へとゆったりと横切った。

昨晩、寝る前から心臓がふわりと浮き上がっているような感覚がある。遅い時間に急ぎで送らなければならないメッセージを書いたからだろうか。言葉は、短いほどに、人が想像する余白というのは広がる。短く、素早く、でも人間らしく。それは結構、高度なことのように思える。日本で日々たくさんのメールと向き合っていたとき、私はそれにどう向き合い、そこから何を読み取り、何を伝えていたのだろうか。

短いほどに余白は広がるけれど、人間に共通する琴線のような、深い井戸につながる桶を垂らすためのロープのような言葉もある。そんな言葉を見つけたいと思っている。

今日は長いこと夢を見ていた。上の部屋のアナさんは引っ越しを終え、もうここを去ったのだろう。物音がしなかったので、まどろみの中にいた時間が長かったのかもしれない。夢の中で私は、「これは数日前にも体験したことだ」と思っていた。それが、夢の中の設定なのか、実際に数日前にも同じような夢を見ていたのかは分からない。

夢の中で、駅の売店のような小さな商店で働いていた。ドイツの人のように体格のいい欧米から来たことを想像される男性のお客さんが、レシートを持ってレジのそばまで待っていたので、レシートの内容をレジに打ち込もうとするが上手くいかない。一つの商品名を打ち込んだ後、次にどんな操作をしたらいいのか分からないのだ。周囲にいる別のスタッフに尋ねようとするが、皆忙しいようでなかなか明確な教えを受けることができない。男性は怒りはせずに待ってくれているが、いい加減に待ちくたびれたという感じでもある。ついにスタッフの一人が手伝ってくれて、会計を終えることができた。商品と商品の間に、レジにある大きな「Enter」のようなボタンを押さなければならなかったことが分かった。(実際には、Sで始まる、見たことのない単語だったように思う。)

ほどなくして店主だと思われる女性に呼ばれ、私の対応が遅いことについて注意を受けた。それだけではなく、「これまでも、○○だと思ってきたのよ」と、あれこれとこれまでの振る舞いや服装について不満を述べてくるので、私はそれに嫌気がさしてしまい。「そういうことは都度言ってもらえますか」と伝えた。声を荒げはしなかったが、店主の女性に対して強い反発を感じた。それでもあまりにあれこれとこれまでのことを言ってくるので、「もうこの仕事は辞めよう」と思って、それを言葉にしたところで目が覚めた。

ザーッという音がして、顔を上げると、階下の屋根の上に溜まった水溜まりに細かい波紋が広がっているのが見えた。寝室からベランダに続く扉を開け放っていたかもしれないと確認するも、扉は閉じられていた。波紋は、幾重にも重なるが、中空に雨粒は見えない。空には灰色がかった雲が広がるが、オレンジ色の光も広がっている。今週は、できる限り情報には触れず、向き合う人や内なるものの声なき声に耳を傾けることに集中したい。2019.9.30 Mon 7:59 Den Haag

385. 今日と明日のあわいで

パソコンを開き、メールを確認していると、フギャー!という猫の声が聞こえてきた。中庭を遊び場にしている猫は何匹もいるが、大きな声をあげることはとても珍しい。と、猫の声を追いかけるように、子どもの声が響いた。どうやら猫の名前を呼んでいるようだ。

向かいの家のリビングには明かりが灯り、大人二人と子どもふたりが大きな食卓を囲んでいる。

19時を過ぎたが、空はまだ薄明るい。あれは、月白(げっぱく)、青白くほのかに光る月の色だ。昼間強く降っていた雨が嘘のように、空高く、薄く広がる雲はやわらかい。いや、今日は雨が降っていたのか、晴れていたのか。今朝の日記の最後に雨のことを書いているのを見て、今日が雨から始まった一日だったことを思い出した。しかし、それがもう、遠い昔のように感じる。ゆったりと流れる時間の中で生きているような、昨日と今日の間のときのはざまで生きているような、そんな感じだ。

そういえば今日は9月30日、日本はもう10月1日。時間や時刻というものは、絶対的なもののようでそうではない。その印に、10月末に訪れるサマータイムの終わりには、夜中のうちに時刻が1時間、巻き戻される。(そのときに駅などの時計がどんな風に修正されるのか、いまだに不思議でならない。だから欧州の駅には時計が少ないのだろうか。)時は、それを告げる人がいて、時として成り立つ。

年齢というのも同様だ。同じ長さを生きているからと言って、生きている時間の長さ以外に、同じように変化しているものはないだろう。肉体の状態も、心の状態も、その人の生き方によっていかようにもなり得る。年齢を数えることに関するネガティブな感情はないが、もはやそこに何の意味も見出しはしない。

こうして、この時間に書斎で日記を書いているとふと気づけば書斎の中に夜が染み込み始めている。いつそれが始まったのか、どのようにして広がっていったのかは分からない。一人で、心の内から湧き上がる言葉に耳を傾けるのも心地いいが、こんな夕暮れ時にベランダの椅子に腰掛け、とりとめもなく話をする時間というのが何より好きだ。そうして、すっかり暮れた空を眺めながら、これまで歩んできた時間、これから歩んでいく時間に静かにため息をつく。訪れる人々とともに、日々そんな時間を過ごすことができたらどんなに一日一日がさらに味わい深く、美しい時間になるだろう。今の静けさは、これからくるそんな毎日に向けた支度であり、夜明け前に一人茶室を掃除するようなそんな時間なのだと思う。たくさんの人と流れるように言葉を交わすのではなく、少ない人数であっても、じっくりと静かに、その心の声に、深く深く耳を傾けたい。何度も湧き上がってくるこの想いは、魂の望む生き方なのだろう。人生の舵は切った。あとは、心のままに、進んでいくだけだ。2019.9.30 Mon 19:42 Den Haag

本日の五音十音(ごおんとおん)- 心とつながる声と言葉 -:14. 秋におすすめのボイスワーク 枕草子・秋