382. かけられた橋

窓を打つ雨粒がつくり出す音は優しい。パタパタと、そっと心をノックする。

今朝、目がさめると、相反すると思っていたものがそうではないということが分かっていた。

見えるものと見えないもの、聴こえるものと聴こえないもの、触れられるものと触れられないもの、言葉にできるものと言葉にできないもの。

そういえば昨晩は、その、どちらかを選ばなければならないのかと、自分の中で葛藤していた。自分に課せられた使命のようなものを知ったとき、「これは、これまでとは違う世界を生きないといけないということか」と思ったけれど、そうではなかった。どちらかではない。人はどちらも必要としている。そこにやわらかな橋をかけるのが、「あわい」の役割だということに気づく。「あわい」というのも、与えられたものなのだということが今分かった。「自分」が生み出しているようで、そうではない。「自分」という媒体を通して、与えられる・受信すると言ったほうがいいのかもしれない。

だから、流れは天に任せて静かに受け取ることを続けなさいと、昨晩見た青い光は教えてくれていたのだ。

世界の目覚めとともに起き出し、身体を整え、自然を感じ、今日も静かに1日が始まる。2019.9.29 Sun 7:52 Den Haag

383. アナさんの旅立ち

リビングでの執筆作業を終え、書斎に移動してきた。先日書き始めた「ものがたり」について、今日、どのくらいの時間、向き合っていただろうか。それは永遠のように長い時間のようにも思えるし、一瞬のように短い時間にも思える。窓の外にはやわらかな闇が訪れ、微かな雨音が窓を叩く。

言葉にするというのは、つくづく不思議な行為だ。話すときも、書くときも、どんな流れでどんな結末にしようと決めているわけではない。大方、こう言うポイントがあるだろうということはあらかじめざっと想像するが、書き始める・話し始めると、とたんにそんなことは忘れている。感覚だけに身をまかせるわけでもない。ただまっすぐに、今この瞬間に立ち現れた言葉を見て聴いて、そしてその糸を手繰っていくのだ。

今は、人の話を聴くときに比べると、一人で書いたり語ったりしたりするときは割と気軽な状態で言葉を発していっているが、自分自身がもしもっと集中した状態や変性意識状態のようなものになれば、生成されるものの質は変わってくるのだろうか。

そんなこと考えたのは、昨日、小松美羽さんの動画を見たからだ。オランダから日本を訪れている友人の日記で、小松美羽さんの作品展にわざわざ足を運ぶという内容を読んで興味を持ってのことだった。そして、彼女の創り出す絵の世界観と、作品づくりに向き合う様に圧倒された。それは、もう「絵」とは違うもののようにも思える。瞑想をしてマントラを唱えることからはじめ、絵の具を素手で、叩きつけていくような彼女のスタイルはとても印象的だが、それは、彼女が自分以外の、何か宇宙的なものと繋がり、天と地、いにしえのときと、未来の彼方を貫くような波動の媒介者となっているようにも見えた。同時にそれは、彼女の魂の鼓動を爆発的に表現したものでもある。

一日の中で長い時間高い集中状態を続けることは今の私には難しいが、私なりに、小さくとも与えられた使命を全うしたいという想いが今生まれている。もっともっと澄んだ心で、いや、澄んでいなくていい、自分自身の魂の波を大きく揺らした上で、人と向き合っていきたい。そこには、外から入ってくるノイズは不要だ。どんなノイズにも揺るがないだけの自分であれたらとも思うけれど、今力を使いたいのは、防御の殻を張る力を高めることではない。世俗的なことにはできる限り触れず、少なくとも「情報」と呼ばれる、自分自身の体験を伴わずに思考的な領域にだけアクセスするものはできる限り距離を置き、生きる人間と向き合うことで生まれる、美しいもの、穢らわしいものに生身の肉体をぶつけて向き合っていきたい。

誰が書いたか、またここに言葉が残されている。

先ほど、おそらく最後の掃除を終えた上の部屋のアナさんが、誰かにお礼を言っている言葉が聞こえた。アナさんは英語が母語ではないようで、英語で話すその内容が所々わクリアに耳に入ってきた。それは、階下に住む、オーナーのヤンさんに述べたお礼の言葉だったのだろう。ゆっくりと、丁寧に、これまで過ごしてきた時間とそこにあった感情をなぞるように言葉が置かれていった。ゆっくりゆっくり。聴き手はそれに口を挟むことはない。アナさんがそうして、ここでの暮らしを閉じようとしているといるのだということを想像した。誰かの、人生の節目が間近にある。そんなことを感じている自分もまた、人生の節目にいるのだろう。

小さな書斎で、暗闇の中日記を書いたあの時間が、とても美しいものだったと、後になって思い返すときが来るだろう。それはもしかしたら、そこにある幸せに気づけずに、過去の自分の判断に後悔をしているときかもしれない。でもきっと、心を静かに目の前にある暮らしを見つめれば、美しい時間が今ここにもあるのだということに気づけるはずだと、未来の自分に伝えたい。これまでもそうやって、今に気づき、感謝し、あゆみを進めてくることができたのだからと。アナさんが、これまで関わってきた人たちが、まだ見ぬ人たちが、そして自分自身が歩むこの先の道が、祝福の光に包まれたものになることを願っている。2019.9.29 Sun 21:48