376. 戻ってきた世界、アナさんの引越し

書斎の机の前に座り、小麦若葉とヘンププロテインをお湯に溶かした飲み物を一口飲み、大きく息を吐いて吸って、目を閉じた。頭の先から感覚を下ろしていく。こめかみ周りを締め付けていた輪っかはだいぶ薄くなっている。左右の鼻の通りは違うが、鼻を塞ぐ違和感はない。喉・首を取り巻いていた重たい空気もだいぶ軽やかになっている。肩の凝りもやわらぎ、背中にだけわずかに張りを感じる。心臓は、静かに動く。もう大丈夫だろう。

昨日は身体の不調とつながっている心の状態に目を向けた。自分の心というのは、不思議なことに自分一人で耳を澄ませてもなかなかその本当の声を聞かせてくれない。未来のこと、ポジティブなことについてはおしゃべりだが、脆いところについてはそれを押し隠すことに慣れてしまっている。自分一人では聞くことのできない声を静かに一緒に聴いてくれる人がいるということは本当にありがたい。不調というのは、自分に対する学び、他者に対する学び、過去に対する学び、未来に対する学びが含まれているということを改めて教えられた。

 

次の目標は、不調が始まる前に気づくことだ。小さな小さな不調に気づくと言ってもいいかもしれない。私の場合、まれにある不調というのはほぼ喉から来る。しかしその時は時すでに遅く、「喉にきたけれど悪化させずに治す」ということは難しい。喉に症状が出るときは、もう、コップに入れた水がいっぱいになり、溢れ出すときなのだ。そうなる前に対処をしたい。

静かに、心身の声に耳を傾ける暮らしをしてきたと思っていたが、その中にきっと惰性もあっただろう。自分にとっては「当たり前」になってしまっていること。でもそれは本当に「当たり前」なのか。昨日の自分と今日の自分は同じではない。微かな違いに気づくこと、今日という日を、今日の自分を新鮮な目で見ることに改めて取り組んでいきたい。

昨日は夜の時点で喉鼻もだいぶ楽になっていたのでスムーズに眠りにつけるかと思ったが、ガタガタと上の階から聞こえてくる音で結局24時頃までは目が覚めていたことを覚えている。アナさんは今週、新しい家に引っ越していく。それまでの間はガタガタが続くかもしれない。来週には階下に住むオーナーのヤンさんもバカンスに行くという。アナさんの部屋にすぐに入居する人がいなければ、私はこの3階建ての大きな家に一人で3ヶ月間暮らすことになる。誰かが作る食事の匂いにほっとすることもなければ朝に誰かが動き始める気配を目覚まし替わりにすることもできない。小さな書斎の窓から、老いていくように見える庭を眺めて静かに過ごす。そこからまた見えてくるものがあるだろう。

暖かい時期でさえ出不精だったので、これから寒くなっていくとますます外に出る機会は減っていく。そんな中でも、この冬はコミュニティに参加する習慣・運動をする習慣をつくっていきたい。先日友人と楽しんだボルダリングは一人でもたまにジムに行けたらと思っている。ヨガなどのクラスに参加するのもいいかもしれない。昨日調べてみると、ハーグではサウンドバスと呼ばれるクリスタルバスなどを使った楽器の演奏会がいくつかの場所で開かれていることが分かった。45万人という人口に対して、スピリチュアルな要素の入ったイベントというのは比較的多いように感じる。オランダ全体がそうなのだろうか。コスタリカのノサラにはそういった人が集まっていると聞くが、オランダにもそんな場所があるのだろうか。オランダのことはまだまだ知らないことがたくさんある。2019.9.26 8:10 Den Haag

377. 創造エネルギーの回復とともに

夕食を食べ終え、ふと、今日は1日パソコンと向き合っていたことに気がついた。セッションでは、パソコンの先にクライアントさんがいるのだが、いつもなら1日に数回、窓を開けてベランダに出て中庭を見ながら深呼吸をするところを、今日は天気が悪いためそれをしなかったことから、視点や身体の状態を切り替える機会が少なかったというのもあるだろう。その代わり、ある浮かんできたテーマについて文章にしていたら、気づいたら6,000字を超えていた。これだけ集中して書き続けることができるということは思考力と体力が回復してきたということでもある。スイス、そして隣町であるライデンでの滞在を終えたら書き始めようと思っていた書籍の原稿について、やっと書き始めることができる感覚が生まれている。明後日には執筆をはじめ、1日5,000字ずつ書いていくと、10日ほどで5万字ほど、最初の2章を書くことができるだろう。

文章というのは、導かれるように書き始められるときと、そうでないときがある。前者は自分の体験に深く紐付き、自分が書くことに使命のようなものさえ感じるテーマだ。それは独りよがりになりがちだとも言えるが、どんな視点で書かれていて、誰にどんなことが伝わるかは後から推敲をすることができる。内なる欲求に導かれないテーマをだらだらと書き進めれないよりはずっといい。何かを生み出す取り組みにはエネルギーがいるが、同時にそれはエネルギーを生みもするのだということはYouTubeチャンネルを始めて分かったことだ。大切に思うことを言葉にし、執筆していくことと、そのときそのとき向き合う相手と静かに対話をすること。そして自然の美しさを感じること。これをもっと日々の中に色濃く刻んでいけたらどんなに幸せだろうか。今も十分に幸せではあるが、誰かの心、そして自分の心の声を本当に深く出逢えたときは、細胞の一つ一つが喜びを感じていることが分かる。

にわかに、窓の外が明るくなった。きつねの嫁入りと言うのだろうか。空に雲は広がっているが空気はオレンジ色に染まり、そこにバタバタと激しく雨が降っている。雲もあって雨が降っているが明るい。不思議な世界だ。見ると、中庭の真ん中にあるガーデンハウスの屋根の上には細長いリンゴのような実を取り囲むように赤く染まった葉が散らばっている。確か、今朝あの屋根を見たときにはあんなに葉っぱは散ってはいなかった。あの赤い葉はどこから来たのだろうかと隣に生えた大きな木を見上げると、木の枝の上の方、西側の表面の葉が赤く染まっている。あの木の葉も今朝見たときにあんなにも赤かっただろうか。木々の葉は刻々と色を変え、散っていく。それにしてもなぜこんなにも空が明るいのだろうともう一度空を見上げ、東の空を覗き込むと、そこに虹がかかっていた。思わず、寝室に置いてあったスマートフォンを取ってきて写真を撮る。目に見えているオレンジ色は、このカメラには映らないようだ。流れる雲が、虹をかき消すように進んでいく。濃くなったり薄くなったり、その色を変えながらゆらいでいた虹は雲が薄れるのとともに消えていった。最後に見えた虹の切れ端は、七色よりもっとずっとたくさんの色を携えていた。2019.9.26 Thu 19:32 Den Haag