372. 情報の渦と「これから」に向けての調整

19時になろうとしているが、外はまだ明るい。「まだ」と思うのは、欧州に来て1年目のこの時期、ドイツで暮らしてときに「あっという間に日が短くなって、16時頃には真っ暗になるようになった」という体験が強烈だったからだ。考えてみるとまだ9月で、その体験は10月頃のことだったかもしれないが、オランダは既に最高気温が最低気温が15度を下回る日が続いているため、感覚としては10月の半ばを過ぎているようにも思えてくる。

今日は午前中から打ち合わせなどの予定が続いていた。エネルギーを「消耗した」という感覚はなかったが、思った以上に自分自身のベースの状態が崩れているのかもしれない。昨日から頭に浮かんでいたテーマについて執筆をしようとしていたら、思考が進まず、ソファに移り、パソコンを閉じ、うたた寝をすることにした。結果的にはうたた寝というには少し長い、1時間以上の眠りになった。その間、何かとても、特徴的な夢を見ていたように思う。夢というよりはこれはビジョンだと、その記憶がハッキリとしているうちに、なぜか強く感じた。強く記憶に刻まれたと思った感覚があったけれど、今はもう、その気配さえも感じることができない。ただ、記憶の空白というか、感覚的には黒い面があり、そこに何かがあったのだということだけが分かる。

数日前から続いている喉の痛みはようやくおさまり、鼻づまりも少し楽になってきた。しかし、こめかみのラインに輪っかがついているような、頭を締め付ける感じはおさまらない。当初、先週一緒に過ごしていたパートナーが頭痛持ちなので、それがうつっているのかと思っていたが、どうやらそれだけではなさそうだ。

この頭痛には心当たりがある。ここ一週間、体調が悪いながらも、今後に向けて様々な情報整理に取り組んできた。整理をしているつもりが、無意識に新たに膨大な情報を取り入れていた。しかし、その膨大さとは裏腹に、そこに含まれる「真理」は僅かだった。それに気づいたのは、膨大な情報を取り入れた後だった。

これは母国語の溢れる空間において、毎日長時間インターネットサーフィンを続け、消費や競争を促す意図の中に身を晒していたような感じにも近い。以前に比べると外から入ってくる物に対して一定の距離感が保てるようになってきたが、それでもまだ、自分の個人の特性として感性が外に開いていることが多いため、無防備で押し寄せる意図の中に身を置いていたのにも等しい。この頭痛は、真理ではない幻想に向かおうとすることへの警鐘なのだろう。

澄んだ水はあっという間に濁ってしまう。しかし、濁りの元を断つことはできない。濁りが生まれること自体は、人間らしさでもある。であるけれど、その濁りをそのままにしておけば、あっという間にそれは濃くなっていき、どんなに時間を置いてもその濁りが沈殿してこず、その中で感覚は酸素を失っていくだろう。自浄能力を高めることが、これからさらに重要になってくると感じている。

物質世界と精神世界。境界の明確な世界から、境界の曖昧な世界。これまで生きてきた世界とこれから生きる世界。これらは相反するものではなく、後者が前者を内包するのだけれど、その間にいる今、精神は混乱や葛藤を抱えているのだろう。これは、成長のための痛みとも言えるのかもしれない。

2019年、世界は大きな変化のときを迎えているという。宇宙の波動自体が変わったという人もいる。自分自身も変化の間で、「これまで」と「これから」の間での調整が、物理的な身体を超えたところで行われているのだろう。これから数日間は、できるだけ思考を休め、感性の揺らぎに身を委ねていたい。2019.9.24 Tue 20:36 Den Haag