364. 割れたiPhoneを買い換えるとき

旅の荷物を片付け、リビングのテーブルに向かう。脱水を始めた洗濯機からガーという電子音が聞こえ、電気コンロに乗せたケトルからは、プスプスと湯があたたまり始めるときの音が聞こえる。洗濯機の音がやめば、心の中の音ももっと聞こえるようになるだろう。

今朝、起きるとリビングの机に置いていたiPhoneが床に落ちていた。目覚ましのアラームの振動で落ちたようだ。iPhoneを拾い、表に向けると、画面の左端に髪の毛よりも細いくらいのピンクの線が縦に真っ直ぐ入っている。画面の左下には、黒い、シミのようなものも広がっている。既に1年以上前から、iPhoneの表面にはヒビが入っている。そして数ヶ月前からは左下の画面の部分が細かく割れ落ち始めたので、危険な状態にはなっていたが、今は写真を撮るくらいしか使うことのないこの電子機器を持ち続ける必要が本当にあるだろうかという気がして、買い換えることを躊躇していた。

今、iPhoneは写真を撮ることとLINEくらいでしか使用していないが、なくなると困るのは銀行などのアプリを利用するときだ。iPhoneはあれば便利だが本当にその機能が全て必要かというとそうではない。スマートフォンをはじめとしたコミュニケーションツール全般、今の私に必要かというと、そうでもない。そもそも、電話はもう一台Androidを持っており、そちらで通話などはできるので最低限の連絡手段としてはそれで十分だという気がしてくる。Androidの方はスペックが低いためかアプリをほとんど入れることができないが、ショートメッセージを受け取るなど、必要なことはできているし銀行決済も面倒だがパソコンを使って行えなくもないし、LINEも、iPadで使うことができるかもしれない。こう考えると私がコンパクトに持ち運びたいものはカメラ機能ということだけになる。であれば、スマホ以外の方法というのもありそうだ。

こう書きながら、色々なことと価格のバランスを考えると、結局iPhoneの古いモデルを購入するということになりそうだが、たとえそうしたとしても、特にコミュニケーション系のアプリはできるだけ使用せず、カメラ代わりに使うということになるだろう。

最近気付いたのは、自分が情報やエネルギーの消費者になるか生成者や創造者になるかの違いは、人生において大きな違いをもたらすということだ。それは、発信をするかしないかということではない。自分の外側にあるメソッドや正解を探し続けるのか、自分の内側から何かを生み出そうとするのかの違いだ。iPhoneをはじめとした便利なツールというのは人が創造性を発揮することを後押ししてくれるが、気を抜いているとあっという間に情報や刺激に対して受け身なスタンスというのを身につけさせる。

私が抱いている便利な道具を気軽に持つことへの危惧は、連絡や情報が常にカットインしてくる日常や思考状態に対する危機感とともに、自分が情報の消費者として生きることになる危機感でもあるのだろう。

そんなことを考えながら、ネットでiPhoneの価格を調べていたら気づけば長い時間が過ぎていた。気温は低いが、外は日が差している。パソコンを閉じて、出かけよう。2019.9.18 Wed 12:16 Den Haag