*声と言葉についてのYouTubeチャンネル「五音十音(ごおんとおん) -心につながる声の咲くとき-」をはじめました。【より良い影響力を発揮したい方ための統合的ボイスワーク】についてご紹介していく予定です。​

346. 話すということ、やってみること

クコの実を入れた白湯を飲み終えベランダに出ると、山の朝のような湿気を含んだ空気がそこにあった。目を閉じてゆっくりと深呼吸をする。遠くから聞こえる車が道に溜まった水をかき分ける音が、雨音にも聞こえる。パソコンを持って書斎に入ると書斎の窓が開いていた。昨日、旅先から帰ってきて換気をしようと窓を開け、そのままにしていたようだ。家にいたのは夕方以降の限られた時間だったが、その間、いかに目の前のことに没頭していたかを物語っている。

昨日は17時すぎに日記を書いた後、洗濯物を干し、8月の振り返りと9月の取り組みを考え、ウェブサイトの調整を行なった。8月にも、自分が表現したいことに合った雰囲気に近づけるためにウェブサイトの調整を行なってきたが、9月にもさらにメッセージや大切にしていることを打ち出していきたいと思ったため、早速手をつけた。今、私の中にはたくさんの言葉と言葉にならないものが生まれている。それを日々綴り、置いていく「言葉に出会う場所」のようなウェブサイトにできたらと思っている。私が書いた言葉だが、それは誰かの言葉でもある。それぞれの人が心のひだの中に持っている小さくてこわがりで、でも可愛らしい何かにはきっと共通するものがあるだろう。見知らぬ誰かの言葉の中に、自分の心の底にある感覚に出会うような、そんな空間にできたらいいなと思っている。

ウェブサイトの調整を終え、YouTubeでアップするための動画の撮影に入った。動画と言っても音声のみのものに画像がついているというイメージだ。私は普段、コーチングセッションも音声のみで行なっているが、それは自分が最低限の身支度以外の自分を整えることに時間を使えること、話し手が相手の反応や理解を気にせず話ができることを優先してのことだ。人は相手の反応や理解を得ることを優先すると、理論だって話そうとする左脳の方が優位になる。それが必要なときもあるが、コーチングセッションの中では、クライアントが思考的ではなく体験的に話をするときに多くの気づきが生まれるとも言われ、実際に、こちらの反応を気にせず、自分の話に自分で耳を傾けていると「こんなことを話すつもりはなかったんだけど」というその人にとって大切な話が出てきて、それがその人が実際に見て聞いて感じている世界を更新することになるということも実感している。YouTubeでも、内容に応じてビジュアルイメージを活用しつつ、聴く人が自分自身の体験や感覚にすーっと照らし合わせていくような、そんな時間を届けられたらと思う。私は普段話すのがゆっくりなので、忙しい人が一息ついて呼吸を整えることに活用してもらってもいいだろう。人の心をさらなる消費活動に向かわせるのではなく、マインドフルになる動画・音声を届けていきたい。

というのは、今になっての振り返りだが、やはりいざ一人でしゃべるとなると、先日チューリッヒで自己紹介を何度も撮り直した末にこれだというものに着地しなかったのと同じく、あれこれ考えが巡るもそれをどう順序だてて話していけばいいのかわからなくなる。離したいことを箇条書きにしようかと思ったが、結局は話すことをほぼ書き出すこととなった。思い返せばこれまでも、私は何かをしゃべるとき、一旦スクリプトをがっつり書いて、だんだんとそれを手放していくというスタイルをとってきた。コーチ・エィでコーチングスキルのトレーナーを担当していたときは毎週、電話会議システムを利用したクラスでのファシリテーターを務めていたが、そのときもまずはしっかりとスクリプトを書き、それに合わせて進行しつつ、その場であがった発言などを取り上げていっていたし、営業のときも、話すことを一旦スクリプトにし、それを話せるようになった上で、スクリプトを手放すということをしていた。この方法は多少手間がかかるが、自分自身の中で考えが整理され、だんだんと、もしくはあるときからすらすらと即興的に自分の言葉が出てくるようになる。即興的に出てくるために、土台の部分を整理して、気がかりのない状態にしておくとも言える。YouTubeは初心者だが、「誰かに向けて話していく」ということにおいては、どうしたら上手くいくか、すでに自分自身がよく知っているのだということに気づく。スクリプトが先にできるということは、それをテキストコンテンツとしても使うことができるということで、一石二鳥とも言える。「動画を撮る」と思うとハードルが高いように感じるが、もともとやってみたかった「オーディオブックをつくる」活動をしていると思えば良い。日記とは違った形で、読み手に話しかけるような文体でも文章を書いていきたいと思っていたのでそちらにもちょうどいい。

今回、参加していたインテグラル理論のゼミナールに刺激を受けてYouTubeチャンネルを開設してみることにしたが、それは、「刺激を受ける自分」がそこにいて、「何かをはじめる準備」が出来ていたのだろう。一対一のコーチングセッションの質を上げるために取り組んできたボイスワークだったが、「声」そのものを使って、より多くの人に何かを届けていくということになっていたのかもしれない。「声」とともに、コミュニケーションについてもこれまで学んできたことを融合させ、実践的にした提案を伝えていければと思っているが、これを別のチャンネルにするか、同じチャンネルの中で行うか、今考え始めている。

昨晩はオランダ時間の深夜のセッションもあったため、それまでの時間、編集作業に没頭することができた。編集と言っても、撮り直した部分をカットしてつなげ、音声データと静止画を重ね合わせる作業に手間取っていただけではある。Zoomを使うと画像と音声のデータを同時に保存することができるが、画面共有しているものを保存する関係から、ウィンドウのタブなど、必要でないものまで写り込んでしまう。表示したい画像だけを画面いっぱいに表示すると、スクリプトを見ることができなくなるということになる。スクリプトなしで話せるようになればそれでことたりるかもしれないが、今はZoomで一旦音声のみの状態で録音をし、それにiMovieを使って画像を貼り付けるという方法が良さそうだろうという結論に落ち着いた。できるだけ、カットなしでいいように録音をしていきたいが、完璧を目指さず、しかし撮り直したいところはその場でしゃべり直し後から編集をするという形にしていきたい。そこの部分の手間と時間をいかに少ないものにするかというのが、伝えたい内容を自分なりに深めるということに時間をかけるためにも重要になってくるだろう。企業に所属していないと「新しいことに挑戦する」というのは意識的に行わないとなかなかなくなってしまっている。はじめはやり方さえわからないことをどうにかこうにかやっていく。これまでの経験を活かしつつ、そうでない形にもチャレンジしていきたい。2019.9.8 Sun 9:15 Den Haag

347. エネルギーを生む取り組みを探して

夕食後に休憩をしながら、先日まで参加していたオンラインゼミナールの補助教材の録音音声を聞いていた。自分がYouTubeで動画を撮ろうとしてはじめて、5分間でも一人で話し続けるのがいかに大変かが分かる。即興的に話す内容を整理することもだし、話し続けるというエネルギーそのものもだ。何十分も一人で話し続けることができるというのは、まさに爆発的な創造エネルギーがあるからこそできることなのだと感じた。

今朝はオンラインのヨガのレッスンに参加したが、そのときにも感じたのは私は今、エネルギー自体が不足気味であるということだ。やりたいことをやろうという意欲はあるのだが、とにかく体力が続かない。日中固形物を摂らないのは、消化にエネルギーを使わないためという目的だが、そもそも、消化以外のことに使うエネルギーも不足しているということを実感した。もちろん、「エネルギー」だけで語れないものはあるだろう、「あれも関係あるかも」「これも関係あるかも」と挙げればキリがない。そんな中でエネルギーというのは、比較的自分自身で働きかけることのできる要素なのだと思う。しかし、「エネルギーを上げる」というのはどうしたらいいのか。「体力をつける」とほぼ同じ意味合いだとすると、運動や食事で取り組むことができるだろう。

以前から繰り返し、「運動」というのはテーマになっている。思い返せば、社会人になってから続けている運動というのはない。続いている・続いたものと言えば、活け花とお茶だ。どちらも、花道・煎茶道と、道がつくように、実際やってみると奥が深く、「自分自身と対峙している」ということを感じるし、続けていると、あるとき「これはそういうことだったのか」と人間の本質のようなものに気づいて驚くこともある。静の中にダイナミックな動があることが、楽しんで続けられるポイントだろう。活け花とお茶については、続けようと思って続けていたわけではなく、気づいたら続けていた。社会人になるまでずっと続けていたものと言えば、ダンスだ。小学校に上がる前から、子ども向けのダンス教室に通い、中学校ではクラシックバレエ・高校ではヒップホップやジャズダンスを習ってきた。自分に一番合っていると感じたのはジャズダンスだ。クラシックバレエは、美しい姿勢や手先・足先の動きを体得できたことは良かったが、「みんなと揃えて踊らないといけない」というのは性に合っていなかった。ジャズダンスは同じ振りをしても、そこに自分の感性を自由に表現することができる。スポーツや運動というより、芸術活動として取り組んできた感覚だ。人と競うことも人と合わせることも好きではないので、一般的なスポーツにはなかなか興味が向かない。

大人になって続けてきた「道」に欠かせないのは「師」の存在だ。お花の先生もお茶の先生も、細かな作法や立ち居振る舞いではなく、もっと大きな、人やものとの向き合い方や生き方を教えてくれるような存在だった。表現的で、師のような存在に出会えそうな運動…。そんなものがあるだろうか。前回日本に帰ったときに、週に5日、水泳をするためにスポーツクラブに通う母について、一緒にズンバというダンスのクラスを受けたことがあるが、「運動にはなるけれども続けたいかと言うとそうでもない」という感じだった。「ノリ」が必要とされるようなものはどこか気恥ずかしくなる自分がいる。伝統的に身体に刻まれたリズムのようなものがないからだろうか。母方の祖父は日本舞踊の先生で、母も日本舞踊をやっていたそうだが、どちらかというと私も身体の中にあるのは日本的な音やリズムなのだと思う。オランダで取り組めるダンスのようなもので、可能性があるとするとコンテンポラリーダンスだろうか。中国の古典舞踊は芸術性が高いので興味があるし、武術太極拳もやってみたいと思ったことがあった。こうして考えてみると、やはり私は単に運動がしたいのではなく、しなやかな強さのようなものを身につけたいのだろう。そこに美しさが加わると尚良い。全身のエネルギーが中心のエネルギーとなり、中心のエネルギーが全身のエネルギーとなる。そんな良い循環をつくることが今年の秋から冬にかけてのテーマとなりそうだ。2019.9.8 Sun 20:27 Den Haag

348. 私がYouTubeチャンネルを始めた理由

だんだんと書斎の中に透き通った青が満ちてきた。1日が終わりに近づいている。そろそろパソコン作業を止めて目と脳を休めたいが、今日の夕食の支度をしているときにチラリと頭をよぎった「なぜ私が今YouTubeを始めることにしたのか」について言葉にしておきたい。今回YouTubeを始めることにした直接のきっかけは、参加していたインテグラル理論のオンラインゼミナールで講師の方がボルダリングと作曲実践に関するYouTubeチャンネルを始め、セミナールの参加者にもYouTubeチャンネルを開設することを勧めたことだ。しかし、本当にそうなのか。もし自分にとってそれが「今」ではないのなら、どんなに勧められてもやらなかっただろう。始める理由よりも、始めない理由の方がずっと多く見つけることができる。今ふと思い浮かんできたのは「統合のためのプロセス」という言葉だ。ここで言う統合は「複数の異なる領域を合わせ、構造化する」という意味だ。

今、私の中には、コーチングをはじめとしたコミュニーションに関する領域のこと、ボディーワークや食など身体に関する領域のことなど複数の領域での学びと実践が、総量としてかなり蓄積されている。これらは自ら学んだとも言えるが、自分にとっては「宇宙からの贈り物」だと感じている。贈り物は、次に誰かに手渡してこそ、真に贈り物となるだろう。そして、もらったものをそのまま手渡すのではなく、布を織るように自分の中にある様々な体験と織り交ぜることによって、かりそめであっても儚くとも、一人の「人生」と呼ばれるものの中を通る意味が出てくるだろう。今すでに関わっている人たちにというのはもちろんだが、限られた人生の時間の中で、誰かに何かを渡していきたい。いや。誰かのためでなく自分自身が必要としていることだ。今、自分の中にあるものを構造化しながら外に出していくことで、バラバラだった細胞たちに命が吹き込まれ、世界の彩りとなる。そして、私の中にはまたスペースができる。表現活動という見方もできるし、投資活動という見方もできるし、生産活動という見方もできる。消費によって生まれる虚しい空ではなく、創造によって生まれる次の爆発のはじまりとしての空を自分の中につくり出したいのだ。

ちょうど、そういうタイミングだったのだろう。振り返れば今年の3月以降、様々な人との出会いや後押しをいただいたことで、これまでとは質の違う変化が起こっている。以前の私なら、YouTubeをはじめることはもちろんのこと、日記を書いて公開することも躊躇し、踏み出さなかっただろう。それは私が持っていた恐れによるものだ。恐れは、自分を守るためにもある。しかし、「守りたかった自分」を知って、その存在を慈しんだとき、もうそれを守る必要はなくなっていた。頑なに守る必要なしに、「守りたい自分」はただそこにいる。

「それにはどんな意味があったのか」は、変わり続ける。YouTubeをはじめ、今行なっている取り組みのひとつひとつが、今の私にとっての意味があり、それは更新されていく。そう思うと、そのひとつを言葉にすることにどれだけの意味があるだろうとも思うけれど、言葉にして明らかにするからこそ、それは更新されていくのだ。更新されていくが、間違いなく2019年は、後々考えても大きな転機の年だったと言えるだろう。2019.9.8 Sun 20:49 Den Haag