*声と言葉についてのYouTubeチャンネル「五音十音(ごおんとおん) -心につながる声の咲くとき-」をはじめました。【より良い影響力を発揮したい方ための統合的ボイスワーク】についてご紹介していく予定です。

344. 何がスイスらしさだったのか

旅の終わりはいつも、旅の始まりよりも駆け足だ。
今朝は7時すぎに起床し、シャワーを浴び、オイルプリングをしながら太陽礼拝のポーズをし、朝のドリンクを飲み、身支度をし、荷物をスーツケースに出てホテルを出た。チューリッヒの空には今日も太陽の光を遮る雲が広がっている。

土曜の朝の街はこれまで過ごしたチューリッヒでの数日間の中で一番静かだった。車も少ない。と、目の前の通りに入ってきた車が方向を変え道路脇に駐車をしたところ、後続の車がクラクションを鳴らした。危険な運転というほどには見えなかった。昨日も夕方、街中で低いエンジン音を響かせながら信号と信号の間の短い距離を速いスピードで進む高級車を見た。物質的な豊かさと、心の穏やかさは必ずしも比例しないということを感じる。むしろある一定を超えると反比例するくらいじゃないかと思う。手に入れれば入れるほど、欲しくなる。手に入れるほどに、世界が自分のものになったように思う。

空港までの電車は座席の半分が埋まるくらいだったが、空港にはすでにたくさんの人がいる。セキュリティチェックのレーンに近づくと、そこが混み合い始めていたためか、1つ上の階にあるレーンに向かう階段を案内された。

空港の中は、もう、どこでここがスイスであることを判断したら良いのか分からない。土産物屋には赤地に白い十字のスイスの国旗をあしらったグッズがあるがそれがスイスの何を示しているのだろうか。時計を作るのがスイスなのか、ハイジのような雰囲気がスイスなのか、チョコレートがスイスなのか。この、クリーンで捉えどころのなさがスイスなのだろうか。きっとスイスの特徴である守秘義務の高さのように、表から見えるスイスというのはほんの一部なのだろう。チューリッヒの街中でも3つの鍵をモチーフにした旗を何度か見た。この国には、何重にも鍵がかかっているのかもしれない。

オランダや日本にも似たようなところがあるだろう。旅行者と生活者、数年間の滞在者と、人生をそこで過ごす人にとってのその場所は全く違う。その違いは、自分が他の国の旅行者になり、移住者になってはじめて知ることができる。たまねぎの皮を一枚一枚剥がしていくように、他国に行くほどに、自国のことが分かる。今の私にとって、オランダが自国になりつつある。旅を終え、オランダに帰るときにどんな景色が見えるか。一週間を過ごしたスイスの景色を思い出しながら、その向こうにある、オランダと日本の景色を見ている。2019.9.7 Sat 11:07 Zurich

345. 庭に咲く睡蓮と暮らしのはじまり

ハーグの中央駅に降り立つと、「帰ってきた」という感じがした。駅の1階部分にある長距離列車の発着ホームから、2階部分にあるトラムのホームに移動する。たくさんの音が聞こえてくる。チューリッヒの駅の方がずっと静かだったかもしれない。静かではないが、人々がそこで生きている音に聞こえる。それだけ私はハーグが好きだということだ。そう思うようになったのは昨年の8月にハーグに引っ越してから半年ほど経った、春の訪れの頃だっただろう。思ったよりも冬の寒さは厳しくなく、思ったより早く春が来た。人々はこぞって、薄着になり海へ向かう。他のどの国、どの街から戻ってきても、ハーグの軽やかな空気が気持ちいいと感じるようになった。

部屋のドアを開けると、高い天井の空間が、「おかえり」とも、「いらっしゃい」とも言っているようだった。ここでまた新しい生活が始まる。大好きな場所でもあるし、新たに出会う場所でもある。リビングに置いた電気コンロで湯を沸かしながら、寝室からベランダへと続く扉を開く。見下ろすと、池に黄色い花が咲いている。そういえば「睡蓮」と「蓮」は違うという話を先日どこかのサイトでちらりと見た。次に庭の花を見たときに調べようと思っていたので、改めて調べてみると、水面に花を咲かせるのは睡蓮で、睡蓮より高い位置に花を咲かせるのは蓮だと分かる。Lotusは蓮のことで、Water lilyは睡蓮のことだというのも今更ながら知った。そういえばこの間部屋を見学した女性がベランダから庭を見下ろし「I like Water lily」と言っていた。オランダの人はWater lilyとLotusをすぐに見分けることができるのだろうか。それとも、睡蓮はモネの絵にも描かれていることから、欧州で咲くのは睡蓮なのだろうか。この庭に咲く花のことを、私はまだ知らない。

庭の木々や草花は以前より生い茂っているように見える。1階に住むオーナーのヤンさんは自宅にいるときはよく庭の手入れをしているが、この1週間、私と同じように不在にしていたのかもしれない。10月から3ヶ月間、またバカンスに出かけると言っていた。今更ながら「バカンス」という言葉の意味も、私が想像するものと違うのかもしれないと想像する。

湧いた湯で黒豆のお茶を淹れ、洗濯物を洗濯機にかけ、その他の荷物の片付けをしていった。来週はまた木曜から数日間、隣町のライデンに滞在する。今回持って行ったスーパーフードを小分けにした袋たちを入れたジップロックはそのまままた持っていけそうだ。短い自宅の滞在だが、日々気持ちよく過ごせるよう、片付けをしておきたい。

もうすぐ、洗濯物の脱水が終わる。今日は、毎月新しい月の始まりに行なっている前月の振り返りとその月の取り組みを考える時間を取りたいし、YouTubeの動画も撮影したい。いくつか細々としたやりたいこともある。しかし、今日も夜間にセッションがあるため、体力と思考力と感性も温存しておきたいところだ。何より、ここ数日間、いつもとは違う食生活で過ごしてきたので内臓器官を休めたい。やりたいことはたくさんあるが、急がば回れだろう。環境が変わるために無意識に閉じていた感性もあるように思う。まずは自分自身を開き、今日の残りの時間を過ごしていきたい。2019.9.7 Sat 17:06 Den Haag