338. チューリッヒの朝

打ち合わせを終え、薄いブラインドを上げ、部屋の電気を消した。20mから30mほど離れた隣の建物の屋根の上に、雲の浮かぶ空が見える。部屋が静かなのは締め切られた二重窓になっているからだということに気づく。昨日まで滞在していたジュネーブのホテルは、窓を開けることができたが、窓を開けると隣にあるジュネーブ駅のアナウンスや電車の音、車の音などがひっきりなしに入ってきた。(窓を閉めていても音が気になるくらいだった。)今は、目を閉じて耳を澄ましても、外からの音は聞こえて来ず、建物内の微かな生活音のような音だけが聞こえてくる。静かなのはありがたいが、締め切った部屋にこもっていると、自分が鳥かごの中の鳥になったような気分になってくる。ほどよい静けさと人の気配、そして1日の中での時間の移り変わりと季節の移り変わりが分かるオランダの今の家は本当にいい環境なのだということを実感する。

昨日は電車の移動が長かったためか、腰から背中にかけて、凝りのような、気の滞りのようなものを感じる。昨日の打ち合わせの中で、ボルダリングの話題が出てきたが、滞在先や出張先でボルダリングジムに行くというのは、身体の状態を整える良い方法にもなりそうだ。調べてみると、チューリッヒにもボルダリングジムがある。今回はぴったりとしたズボンしか持ってきていないけれど、今後、旅に出る際には、動きやすい服を持ってきて、そこにあるボルダリングジムに行くというのも良さそうだ。散歩をして街を味わうことはもちろんだが、ある1つのテーマに沿った場所に様々な国や地域で足を運ぶことによって、その国や地域の特性というのも見えてきそうだ。

朝から常温の飲み物しか口にしていないためか、部屋に日が差さないためか、体が冷えてきた。持ってきた味噌と出汁と味噌汁の具とクロレラで味噌汁を作りたいところだが、残念ながらこの部屋には電気ポットがない。

お湯を使いたいときはフロントに言えば持ってきてくれるということだったが、電話をしてみると、フロントまで取りに来てくれということだったので、マグカップに注がれたお湯をもらってきた。早速味噌汁を作ろうと味噌の入った小さな瓶を開けようとするもなかなか開かない。一昨日、味噌汁を作ったときはすんなりと開いた蓋が、今は頑なに動かない。発酵が進む間に中の空気が減り蓋が開きにくくなるということがあるのだろうか。そんなことを考えながらどうにかこうにか瓶の蓋を開けた。熱々のお湯をもらったのでごくごくと飲み干すことができないが、身体に味噌汁の成分を染み渡らせるにはゆっくり飲むのがちょうどいい。今朝、打ち合わせを始める前に部屋をある程度片付けたので、今日このあとは一昨日の日記を編集しアップすること、YouTubeチャンネルの開設方法について調べること、今日の散歩場所を確認することを行いたい。せっかくならYouTube用の音声をどこかで撮影できればと思っている。2019.9.5 Thu 9:56 Zürich

339. そこにいる人に出会わない街

部屋でウェブサイトの更新を行なっていると、窓の外がどんどんと暗くなっていった。念のために天気予報を確認すると約90分後に雨が振り始める予報になっている。今日はもう散歩には向かないかもしれない。しかしせっかくのチューリッヒ滞在、ホテルにこもっているだけではチューリッヒのことを何も感じずに終わってしまうかもしれない。そう思って、小さなノートとペンだけを持って部屋を出た。途中でどこか気持ちの良さそうなカフェがあったら、開始するYouTubeチャンネルの内容について考えを巡らせたい。

近くには伝統的なオランダの街に見られるような星型のお堀のような運河のようなものがある。そこまで出て行き、運河沿いを進み、チューリッヒ湖まで出ようと歩く。途中、運河沿いの建物のいくつかにPrivate Bankという文字がついているのを見た。プライベートバンクというと何か世の中から身を隠したようなイメージだったが、特別なものという空気を醸し出さず、ただ、ふと、そこにあった。金融や銀行の街と呼ばれるだけあって、街中にはカッチリとしたスーツを着ている人も多い。ヨーロッパの中でこんなにスーツを着ている人の多い街を訪れたのは、ドイツのフランクフルト以来かもしれない。テスラやポルシェ、フェラーリ、マセラッティ、ベントレーなどの高級車はフランクフルトよりも圧倒的に多い。(ベンツやBMW、アウディなどはこちらでは一般的な車だ。)ほどなくしてチューリッヒ湖に着いたが、ジュネーブでリヨン湖を見たときのような爽やかさというか気持ち良さのようなものは残念ながら感じない。どんよりと雲が広がる空の下というためもあるだろうし、遠くに見える山がスイスでこれまで見えた岩の壁のような雄大さを感じさせるものではなく、緑の茂った丘のような山なためもあるだろうし、交通量の多い大通りが近くにあるというためもあるだろう。

湖のほとりを少しだけ歩き、街の中心部らしき方角に歩く。だんだんと車の音も少なくなり、おそらくスイスの伝統的な建物が並ぶエリアに入った。石畳の道に、時折、細い小道が現れる。物語の世界を散歩するような感覚は楽しい。しかしどこかのお店に入ろうという気は起こらない。なぜだろうと考えながら歩き続ける。街並みは美しい。ショーウィンドウも美しい。店の中には身なりの整った人がいる。しかし、いくら歩いてもチューリッヒやチューリッヒの人に出会う感じがしない。ほどなくして細い道を抜け、大きな店が立ち並ぶエリアに出た。その一角、おそらく一等地と呼ばれる場所の1つにショーウィンドウに厳かにマネキンが飾られている。その上にはZARAという文字が掲げてある。ファストファッションと呼ばれるジャンルの服が、日本の価格のおそらく倍以上はする。それを見て気づいた。これまで歩いてきたエリアにあったのも、「どこかで見たことのある店」ばかりなのだ。日本でもそれ以外の国でもデパートに行くとどこも同じようなブランドの店が並んでいるが、そんな感じで街中の店は高級なものもそうでないものも含めてナショナルチェーンの店ばかりなのだ。「チューリッヒの街と人に出会う感じがしない」という感覚の理由がそこからきているだろう。

オランダでも大きな街の中心部にはナショナルチェーンの店が並んでいる通りもあるが、それはほんの一部で、「地元の人がやっている何屋さんだかよく分からない店」も多い。カフェと雑貨屋が一緒になっていたり、ヴィンテージショップと花屋が一緒になっていたり。共通するのは「店主が好きなものを置いている店」という感じがすることだ。そこには自然と滲み出る個人的な好みがあり、人間らしさがある。そんな店に入っていくだけで「誰かに出会う」感じがするし、店の人は、飾ることない自分自身でそこにいて、家にやってきた友達を迎えるように「こんにちは」と話しかけてくる。

ここではどこで働いても高いお給料がもらえるかもしれない。しかし、もしそこに自分自身の楽しみが重なっていないのであれば、それを満たす活動を他にする必要が出てくるだろう。お金があれば叶うこともあるかもしれない。一方で時間は誰にも等しく平等で限られている。

ホテルまでの帰り道の途中、向かいの道をスケートボードに乗って進む人がいた。キックボードに乗っている人も多いのでその姿自体は珍しくない。しかし、くたびれたスーツを着て、大きなカバンを抱え、背中を丸めてひたすらにスケートボードを漕ぐ姿はどこか物悲しく見えた。それはチューリッヒに生きる人の姿であると同時に私が持ったチューリッヒの街に生きる人の印象だった。きっとすでに視界の外側に追いやられているものもあるだろう。「金融資本主義の中で人々が自分の顔を失った街」という印象を持ったこの場所で、新しい景色を見つけ続けていきたい。2019.9.5 Wed 14:07 Zürich