331. ジュネーブで出会った音楽と、身体に刻まれた旋律

部屋の窓から見える山々の峰がオレンジがかった光に包まれている。山に囲まれた街で生まれ育った人は、山の見えない街に行ったときにはじめて、そこに山があったことに気づくのかもしれない。開け放った窓から入ってくる風は、入浴してあたたまった体をほどよく冷ましてくれる。電車の音、トラムの音、車の音、工事の音。音に囲まれることで、普段いかに静かな中で生活しているのかが分かる。こうしているとたくさんの人工的な音があるように聞こえるが、ジュネーブの街中は至って静かだ。ジュネーブの駅前をはじめ街中には、トラムやバス、車が行き交うにも関わらず信号のない場所が多くある。しかしまだ一度もクラクションの音というのを聞いていないように思う。ジュネーブの都市圏には約50万人が住んでいて、それはハーグの人口よりも多いけれど、ジュネーブの市内には観光客と、サービス業に従事する人がほとんどなのかもしれない。とにかく、人々は、焦らず、先を急がず、ゆったりと過ごしているように見える。

昨日は隣町のカルージュ(Carouge)という町に出かけた。滞在期間中使える市内の交通機関の乗り放題のチケットをホテルでもらったので、気軽に足を伸ばすことができる。ホテルの近くの乗り場からトラムに乗り、入り口付近の椅子に座ると、アコーディオンとギター、マラカスを持った3人の男性が乗り込んできて、何かを話し、おもむろに演奏を始めた。ドイツやイタリアでは道端で、ロンドンでは駅の構内で演奏をする人たちに出会うことはあったが、トラムの中での演奏に出会うのは初めてだ。目の前で楽器の音と歌を聞けるのは何だかとても得をした感じがする。と、思っていると、演奏されている曲は知っている曲だということが分かる。ジャンルも曲名も分からないが、父が好きな曲だ。動画を撮って父に送りたいと思いiPhoneを取り出すも、メモリーがいっぱいで録音ができないと画面に表示される。撮るよりも、自分の身体全体で感じるのがいいだろう。次に演奏された曲は、「ケセラ」という言葉が出てくるが、私が知っている「ケセラセラ」の歌とは違うようだ。なんとなくメロディーや雰囲気に聞き覚えがある。どこで聞いたのだろうと記憶を辿ると、それが中高で歌っていた賛美歌だったと気づく。通っていたプロテスタントの学校では、チャペルと呼ばれる講堂で中学は毎朝、高校は週に1回、礼拝の時間があり、賛美歌を歌っていた。季節ごとに歌われる定番の歌というのがあり、中学1年生のときはパイプオルガンの演奏を追いかけるように恐る恐る歌っていたものが、3年生ともなると、楽譜を見ないでも歌えるようになった。父と母は特に特定の宗教に信仰があるわけではなく、私が中学受験をすることを賛成した理由を聞くと、母は「毎朝歌を歌うのってなんだかいいなと思った」とのことだった。確かに今思えば、毎朝歌を歌うのは、どんなことがあっても心がリセットされるようで、何か清々しいものがある。そして私の体には知らないうちに賛美歌のメロディーというのが染み付いたのだった。

2曲目の演奏が終わると、演奏していた3人のうち1人が帽子を差し出してくるので、小銭入れの中に1枚だけ入っていたスイスフランの硬貨を入れた。一昨日、ジュネーブに到着した後、散歩をしているときに足を運んだ野外のお祭りのようなもので、飲み物のコップのチャージ代として払い戻されたコインだった。滞在中、スイスフランへの換金は行わず、カードで支払いをしているので、コインは記念として持って帰ろうと思っていたが、私が家にしまいこんでおくよりも、美しい演奏のお礼として人の手に渡った方がコインも喜ぶだろう。ドイツでもよく街の中心部で楽器の演奏をしている人がいて、中にはどうやって運んできたのか、グランドピアノを弾いている人もいた。美しい演奏には感謝の気持ちを示すの当たり前のように振る舞うドイツの人々を見て、路上や街中で演奏することとそれに対してお金を払うことのイメージが変わったように思う。トラムの中で出会った生の演奏を通して、ジュネーブの街の空気はそれまでよりもずっと、体に刻まれるものとなった。2019.9.3 Tue 7:48 Geneva

332. 声と身体

朝から続いていた打ち合わせとセッションを終え、少しの作業をし、一息ついている。窓の外に見える山の峰にはところどころ雲がかかり。その手前に連なる家々の屋根の中にキラキラと光っているものが見える。通気口の吹き出し口に備え付けられた金属の風車のようなものが太陽の光を反射しているようだ。ホテルに隣接する駅のホームからは、朝よりも頻繁に電車の到着や出発を知らせるアナウンスが聞こえてくる。感覚に意識を向けたせいか、ぐるぐるとおなかが鳴り出した。これは、思考のための栄養を必要としている音かもしれないが、おなかいっぱいに食べることを必要としている音ではないだろう。

打ち合わせの前に、50音の発声を始めると、いつもよりもだいぶ身体の中の声の通りが悪くなっていることに気づいた。細かい粒子を気持ち良く通り抜ける音ではなく、鈍くて粘性のある粒子にぶつかりながら出てくる音だ。1つ1つ、身体を通る音を確かめ、音を表す動きをしながら声と身体を整えていく。ボイスワークを始めてから、旅先での心身の調整もだいぶ楽になってきた。「自分を整える型」のようなものを身につけた感じだ。瞑想や呼吸法も自分自身を整えることに有効だし、内的なことだけでも多くの気づきはあるが、声という、自分の内側を反映するものを実際に発することによって、自分自身の状態がよく分かるし、声を整えることによって自分の内側も整っていく。声の質、そして話し方などから、その人の人間関係や思考、ひいては食生活までもが分かるような気がしている。そして、自分から相手に対して伝わることも、声の質によって大きく違うだろう。上手い・下手のようなものではなく、心と身体と繋がった声を出しているか。普段、言葉にするまでもなく大事だと思っていることを今こうしてあえて言葉にしているのは、この2日間、ボイスワークをしなかったことによって、声の具合が随分と変わっていたという反省があるからだ。それは、もちろん食生活などとも関連しているが、とにかく、自分自身の内側の状態を示す多くの情報が声には含まれているのだと思う。これは今後取り組みとして世界に届けていきたいものの1つだ。

外とのやりとりをする仕事はひと段落だが、今日のうちに取り組んでおきたいことはまだまだ残っている。一方で、明日にはジュネーブを離れることもあり、せっかくもらった市内の交通に乗れるカードを使って、もしくは歩いて、散策をしたいという気持ちもある。せっかくなら、すっきりとした心で出かけるのがいいだろう。やることに集中して取り組んで、部屋の清掃の受付期限である14時までに部屋を出たい。まずは、持ってきた味噌と出汁とクロレラで味噌汁をつくり、1つ1つのことに向き合っていく。2019.9.3 Tue 11:49 Geneva

333. 今日という旅の行き先

今日、ホテルでやろうと思っていたことを全て終えた。部屋の清掃の受付時間は過ぎてしまったが、部屋の掃除は自分ですればいい。1つ1つのことを納得いく形で終えていくことの方が今の私にとって重要だ。

窓から見える壁のような山の峰にかかる雲はすっかり姿を消した。目に入る家々が、「イタリアっぽさもあり、フランスっぽさもある」と感じている私は、まだ「スイスもしくはジュネーブらしさ」というのがどこにあるのかを見つけられていないのだろう。新しい場所を訪れると、それをすぐに知っている場所にあてはめてしまいたくなるが、何かとの比較ではない実体験としてのその街との出会いをもっと味わっていきたい。それは人との対話とも同じだ。まっさらな心で人や場所に向き合ったとき、そこに立ち上がっているのは唯一の景色であり、聞こえてくるのはその人の人生を含んだ言葉なのだということが分かる。

今必要なものは確認し、手放した。さて今日はこのあと何をしようかとGoogle Mapでジュネーブの地図を開く。すると、強い意識と無意識が一緒になって、検索窓に「CERN」という文字を打ち込んだ。どうやら私はやはり、欧州原子核機構が気になっているようだ。見学ツアーには参加できなくても、建物だけでも見てみたい。そんな私の心を掻き立てるものは何なのだろう。幸いにもCERNまでは、ホテルの近くからトラムに乗り、30分足らずで行くことができる。日本語でCERNについて検索をすると、CERNで行われている実験の影響について様々な説が唱えられていることを見つけることができる。それらはどれも興味深いけれど、知識としてそれらを知ったところで何になるだろうかという気がしてくる。私が知りたいのは、「自分自身がそこで何を感じたのか」ということだ。トラムに揺られる時間は、考えや感覚を整理するのにもちょうどいい。ホテルに隣接するジュネーブ駅から聞こえてくる、アナウンスが、新しい旅への案内にも聞こえる。心のままに、今日も見て、聴いて、感じて揺れていよう。2019.9.3 Tue 15:07 Geneva

334. 人と人のあいだをつなぐもの –世界を変えた場所を訪れて−

2019年9月3日、私はスイスのジュネーブの郊外のメラン(Meyrin)という街からジュネーブ中心部に向かうトラムの中にいた。訪れていたのはCERN、欧州原子核機構。大型ハドロン衝突加速器(LHC)を使って陽子を超高速に加速し衝突させ、高エネルギーの素粒子反応を起こそうとする実験を行なっている世界最大規模の素粒子物理学の研究所だ。真偽のほどは分からないが、この実験によってミニビックバンやブラックホールが作り出されている危険性があり、それが宇宙全体を破壊してしまう恐れもあるとも言われている。世界中の科学者たちが集まると言われるこの場所は、人類、そして宇宙の歴史を大きく変える場所になるかもしれない。

ちょうど30年前、この場所で生まれ、既に人類の歴史を大きく変えたものがある。www(World Wide Web)、現在一般的に「インターネット」と呼ばれている世界だ。1989年、CERNに在籍していたティム・バーナーズ=リーがwwwのコンセプトを発明。1993年、CERNはwwwをすべての人に無償で利用可能にすることを発表した。その後の世界のめまぐるしい変化は説明するまでもない。ジャレド・ダイアモンドは著書『昨日までの世界』で、国家が成立し文字が出現する以前の世界と現代世界の対比を描いたが、www以降の世界が当たり前となった私たちにとって、1993年以前はまさに「昨日までの世界」だ。

ティムが当初想像していたのはオープンソースを活用した中央集権型ではない世界だった。それは現在ブロックチェーンが目指している方向性でもある。しかし、wwwの普及によって起こったのは、ティムが描いた世界とはかけ離れた現実だった。Googleやfacebookなどの企業が個人情報を吸い上げ、それに対して私たちは自分たちのあらゆる活動に関するデータの制御を自分では行うことができなくなっている。さらに「広告収入型」というビジネスモデルが掛け合わされ、wwwの世界(インターネット)の利用者は、データを蓄積している企業および、そこに広告を出す企業によって、尽きることのない消費活動を促される対象となっている。

技術はときにそれを作った人の想いや思想とは違った方向に活用される。技術を活用した人にも、それぞれの想いや思想、正義がある。「何が正しかったのか」が分かるときは来ないのかもしれない。しかし、今、私たちはその技術が使われた世の中が向かう方向性を専門家だけの手に委ねるのではなく、自らの、そして人類にとってより良い世界とは何かを考え、選択をしていくときが来ているのではないか。

セルンで行われている実験を通して、人類や宇宙の起源、そして未来を知ることができるかもしれない。しかし、それでもまだ、分からないことはあるのではないか。例えばなぜ今私が嬉しい気持ちなのか、悲しい気持ちなのか、あの人とは上手くいくのに、あの人とは上手くいかないのか。人間や宇宙を組成するものを紐解くことによって解明されることもあるが、それは一部であって全てではないだろう。なぜなら私たちは、コピーも再現も保存もできない、今という動的な瞬間を生き続けているのだから。

「今私たちが抱えている“コミュニケーションの課題のようなもの”は、急激に起こった世界の情報化によって生まれたものだ」ということを考えているときに滞在しているのが、奇しくも、情報化のはじまりとなった、wwwの生まれた場所だった。これは偶然ではないのかもしれない。私たちが今乗り越えるべき課題のヒントがここにあるのだろう。

効率や生み出すものの高性能化を目指して働くことを求められた時代から、これまでとは違った基準で幸せを生み出すことを求められる時代へ。その中で、私たちが「交わすべきもの」もアップデートをすることが迫られている。

人間をどんなに細かく分解しても分からないことがある。それが、人と人との「あいだ」にあるものだ。世界の変化とともに、「コミュニケーション」や「関係性」についての定義や認識自体のアップデートが必要となっている。言語情報・視覚情報・聴覚情報が存在することを前提とする、メラビアンの法則では語れないものが飛び交っている世界で、私たちは、人から何を受け取り、何を伝えていけばいいのか。計測できることを極限まで追い求める人たちがいるこのジュネーブの地で、計測できないことに取り組み続けることの意義を強く感じている。2019.9.3 Tue 19:44 Geneva