217. 暗闇の中の出発

ハーグにある大きな駅のうちの1つ、他駅からの通過車両が通るDen Haag HSに到着すると、電光掲示板には4:21に来る電車とその次に来る4時台の電車の案内がポツンと表示されていた。入り口付近の窓口には人がいることもあり、周囲はまだ暗いが怖いという感じはしない。ホームに上がり、透明のガラスで囲まれた待合ゾーンに腰をおろし、パソコンを開いた。

家を出るまで、いや、駅に向かうバスの停まるバス停の付近に来るまでは順調だった。いつものように白湯を沸かし、オイルプリングをしながら太陽礼拝のホーズを繰り返し、湧いた湯を冷ましながら身支度をし、白湯を飲み、二杯目の白湯にはクコの実を入れて飲む。2:20にかけた目覚ましの、9分後に鳴ったスヌーズの音で起き出したことと昨晩のうちにシャワーを浴びていたことを除けば、いつもと変わらない朝。荷物は、電子機器とその充電ケーブル以外は昨日のうちにスーツケースに詰めてある。流しの横で乾かしていた食器やカトラリーを拭き上げて片付け、スプリングコートのような薄手のコートを羽織り、ストールを巻く。スーツケースを持って急な階段を降り、玄関の扉を開けると、そこには久しぶりに見る夜があった。しかし、その闇は軽い。この国が、女性が夜中にスーツケースを引いて歩くことができる安全な国であることに感謝しつつ、あまり気を抜いてもいけないと思いながら歩く。住宅街はいつもの住宅街だ。どこかに若者がたむろしているということもない。運河に近づくと、黒猫が一匹、大通りをトコトコと横切った。いつも中庭で遊んでいる姿を見かけるような、少し細身の猫だ。中庭や、家の中、車通りの少ない道に猫がいることはこれまで見たことがあったが、大通りを横切る猫を見たのは初めてだ。暗いこと以外はいつもと変わらないように見える街中も、やはりいつもと違う世界が広がっているのかもしれない。

一昨年、ドイツに来たとき、そして昨年オランダに来たとき、どちらも大きなリュックを背負い、大きなスーツケースを引いてやってきた。そこにはこれから始まる新しい生活を楽しみにする気持ちもあったが、それ以上に、不安と心細さもあった。あのときの自分に出会ったら、抱きしめてあげたいくらいだ。そんな風にやってきたこの国だったが、今は、小さなスーツケース1つで身軽に出かける自分がいる。少しずついろんなものが変化して、「これからもきっと大丈夫だ」と思う自分がいる。

そんなことを考えながら、運河沿いをてくてくと歩く。トラムの駅で言うと2つ分、20分弱の道のりは、あっという間だった。しかし、乗車予定のバス停がある大通りの、地図上でバス停の表示がされている付近はちょうど工事がされている。普段はバス停があるであろう場所に臨時の自転車レーンがつくられ、バス停の表示はない。バスが来る方向に少し歩くも、やはりバス停はない。バスの定刻まで6分あるが、オランダのバスは定刻より早く来ることもある。早く来たからと言って定刻までバス停で停まっていてくれるわけではないので、一刻も早くバス停を見つけたい。乗車予定のバスのバス停までの経路が地図上で正確に示されているものの、それ以降は目的地である駅まで直線で結ばれ、大きな交差点を通りすぎた後にバスが直進するのか右折するのか分からない。街の中心部を通るなら、直進していくだろうか。そう思いながら、通りを渡り、バス停を探すも見当たらない。一人の男性が横断歩道を渡ってきたので、バスに乗りたいが、バス停はどこか知らないかと尋ねるも、この時間はバスに乗れないんじゃないかと言う。そんなやりとりをしている中、男性の後ろの通りを、交差点を右折し通り過ぎていくバスが見えた。よく見ると、道の脇に停まっている車の間にNという表示チラリと見える。「行ってしまった…」そう思いながら、男性にお礼を言い、すでにバスが通り過ぎた乗車位置に近づく。電柱の低い位置に、申し訳程度にN13と書かれれた簡易な看板がくくりつけてある。どうやらNというのはナイトバスを示す表示のようだ。バスの定刻まではまだ4分あった。人は心や体の状態で視野の広さが変わると言うがどうやら本当らしい。どうにか家を出てきはしたが、頭はボーッとしている。道の脇にある小さな看板を見つけられるほどの注意力はないということだ。移動中にこれまでの日記の編集をしようと思っていたが、注意力が低いのであれば、編集はもう少し思考がハッキリしてからやるのがいいかもしれない。なんてことが頭をよぎる。

バスが駅に着く時刻から電車が来るまでには40分以上時間がある。ここから駅まで歩くと30分くらいかかる。歩けなくはないが、できれば歩きたくない。そう思いながら、昨日の昼間に交通機関を調べたときには運行中の車両が全く表示されていなかったUberを開いてみると、数分後に到着できる車があることが分かる。利用が混み合っているということで料金は割高だが、多少落ち着かないエリアを歩いて通り抜けるよりはいいだろう。と、車道の脇であれこれ考えていると、通り過ぎた1台の車が停車をし、バックをして戻ってきた。誰かを待っているのか、どこへ行くのか、と運転している男性が聞いてくる。Den Haag HSに行くつもりだが、今タクシーを呼んだところだと言いながら、Uberの配車ボタンを押す。オランダの人は基本的に親切だ。困っている人に、気軽に手を貸してくれる。それは分かっているが、さすがに夜中の(昼間でも)知らない人の車に乗るわけにはいかない。純粋な親切心であれば邪険にするのは申し訳ないと思いつつ、タクシーがすぐ来ることを伝える。

ほどなくして到着したタクシーに乗ると、どっと眠気がやってきた。私は起きてすぐには活動ができるが、少し時間が経ってから一気に血圧が下がってくるという体質だ。今は、いきなりエンジンをかける必要がなく、ゆるやかに活動を始めることができるので、急激に上がった血圧が急激に下がるということもないが、今日は久しぶりに、寝起きの身体と意識を叩き起こして活動をしていたのだろう。低い思考力で精一杯あれこれ考えるのに、無意識のうちにかなりのエネルギーを使っていたようだ。タクシーは道なりに進み、駅の前に到著した。荷物を出すのを手伝う必要があるかと聞かれるが大丈夫だと答え、お礼を言ってタクシーを降りる。駅の入り口に据え付けられた電光掲示板には、乗車予定の電車と、その次に来る電車の案内がポツンと表示されていた。2019.9.1 Sun 4:39 Den Haag – Schiphol

328. セキュリティチェックもゆったりと

空港は、いつもどおりすでに多くの人がいた。駅を出てすぐのところの搭乗口案内で搭乗予定の飛行機を探すも6:55と表示されたいくつかの案内の中にジュネーブ行きは見当たらない。と、それは到著予定の飛行機を示す掲示板で、その裏側が出発予定の表示だと分かる。確かに向こう側の表示を見上げている人の方が多い。移動し、改めて見上げると、6:55発のジュネーブ行きは1Aというターミナルが表示されている。KLMがメインで使用する空港中央部のターミナルではなく、ルフトハンザなど他国の航空会社が主に利用する、少し外側にあるターミナルだ。ターミナルまで歩く分、セキュリティチェックは混み合っていないことが多い。昨日、9月1日は空港のセキュリティチェックのメンバーがストライキを行う予定のため、時間に余裕を持ってくるようにという案内が届いた。33分間のストライキを何度か行う予定だと書いてある。33という数字には何か意味があるのか。

それもあって早めの電車で来ることを決めたが、セキュリティチェックはいつも通り行われていた。カバンからパソコンや透明の容器に入れた液体物を取り出し、ケースに乗せる。ボディチェックを通過すると、2つに分けた荷物のうち、スーツケースを置いた方が再チェックのレーンに流れていた。前には5,6個のケースが並んでいる。先頭の子ども連れの家族の荷物の1つ1つがチェックを受けていて、列はなかなか進まないが、特段、焦る気持ちは起こらない。搭乗時刻まではまだまだ時間がある。時間や空間にゆとりがあると、心はいたって平和でいることができる。セキュリティチェックのスタッフが、笑顔で対応しているように見えてくる。そしてそれがありがたいと感じる。きっと、自分が時間を気にして焦っていたら、嫌なことばかりが目につくのだろう。やっと私の番が来て、スーツケースを開けるが、チェックにひっかかったものがなかなか見つからないようだ。ポーチにパソコンなどのケーブルがまとめて入れてあるのでそれではないかと言ってみるも違うと言われる。もう片方の側に入れたスーパーフードなどをまとめたパックをさらにまとめたジップロックの中に、味噌の入った小瓶を見つけ、納得したのかしなかったのか分からないが、もう大丈夫だと言われ、スーツケースを閉じた。

スーツケースを引きながらポケットに入れたスマートフォンを確認すると5:22と表示されている。搭乗時刻は6:25、6:00に到著する次の電車に乗っても間に合ったかもしれないが、1時間後はきっともっとセキュリティチェックも混み合っていただろう。たとえ間に合ったとしても気が急いた状態で飛行機に乗り込むよりはずっと良かった。ゆっくりいられるほどに気持ちは穏やかで、気持ちが穏やかだと、小さくて素敵な景色をたくさん見つけることができる。決まった時間に合わせて動かなければいけないと、ついつい気持ちが前に向かうが、今日はひとまずここまでくれば安心だ。2019.9.1 Sun 6:06 Schiphol

329. 搭乗前のエネルギー切れ

搭乗時刻が近づくとともに、おなかがすいてきた。朝から摂取したのは白湯と白湯に入れたクコの実だけだ。せめていつも朝に飲んでいる飲み物を飲んでくればよかった。お腹が空いてきたが、KLMの飛行機では、サンドイッチが出されるはずだ。

搭乗ゲート近くの椅子に座り、先ほど、投稿予約をした日記の確認をしていると、振っている番号がずれていることに気づく。数日前に番号が重複して以来そのままになっていたようだ。現在は、日記の内容をnoteにも転載しているので、そちらの番号も併せて、1つ1つ修正していく。気づけば日記に振った番号は300を超えた。自分が積み重ねてきたものを実感する機会というのは普段なかなかないため、なんだかとても嬉しい。

搭乗時刻ギリギリまで日記を書こうかと思っていたが、空腹とともに、頭が働かなくなってきた。飛行機の上からアルプスの山々は見えるだろうか。しかし、眠気も来ている。この調子だと、離陸前に眠りについて、着陸の衝撃で起きることになるかもしれない。2019.9.1 Sun 6:22 Schiphol