321. 不思議なホテルの夢

一度、目が覚めたときに時刻を確認すると4:09だった。昨日の目覚めよりもさらに1時間早い。睡眠はもう十分に取れたということだろうか。起きようかという意識が微かに浮かぶが、また、目と意識を閉じる。

そのあとはずっと夢を見ていたように思う。福岡の中心部にある、中高の母校のかつての敷地(卒業後に移転したため、現在は大学の敷地になっている)内の校舎の中で、夢の前半を過ごした。その後、建物から出てその日の滞在先に向かおうとスマートフォンでホテルの名前と場所を確認しようとしていると二人の男性が近づいてくる。どうやら私のウェブサイトを見てくれているようで、二人のうち一人の小柄な男性が「あなたの好みに身長などは関係ないのか」ということを聞いてくるので、私は「簡単に測ることができるようなことは私の中では重要な基準ではない」「その人の持っているセンスのようなものを好きになる」と答える。話しをしながら駅の近くの賑わいのあるエリアまで歩く。その途中で妹に会い、少し言葉を交わす間に「なぜ私は今回実家に滞在しないことにしたのだろう」と思い始める。実家はその場所からは電車とバスを乗り継いでいくことになるが、繁華街の中にあるホテルよりもよっぽど落ち着いて過ごせるはずだ。そんなことを考えながら、うろ覚えのホテルの名前を目当てに周囲を見回しながら歩く。先ほどの男性はなんとなくついてくる。その男性が自分の書いているものに興味を持ったということは、文章を書くことに興味を持っていたあり、何かしらその人の独自の世界や考え方がありそうだ。そのことについて話しをしてみたいと思い、このあと一緒に食事をするかと聞いた。男性の明確な回答を待たずして、滞在予定のホテルが見えた。学校の敷地から離れるように歩いていたが、結局、敷地のすぐ目の前にあった。建物の上部にホテルの名前が書かれているが、見た目はホテルっぽくはない。少なくとも落ち着きがある感じではない。「ホテル選びに失敗したかなあ」と思いながら中に入る。予約した部屋の番号は611だったはずだと思い、6階に向かおうとするも、建物には1階から7階に伸びる長いエスカレーターがあり、まずはそれに乗る必要があることが分かる。7階まで昇ると、降りてすぐのところに予備校の教室のようなものがあり、教室の中に知り合いがたくさんいる様子が見えたが、ここで知り合いに声をかけられたくないと思い早足でその教室の前を通り過ぎる。そこから階段を使って6階に降り、いつからか手に持っていた部屋の鍵を取り出そうとすると、金属の小さな鍵が、割れて、ボロボロというかボソボソという感じになってしまっていた。鍵と言っても温泉の靴箱の鍵のようなものだ。そのままでは使えないので6階の入り口にあるカウンターで、新しい鍵をもらう。鍵を手に、フロアの中を進むと、そこは、想像していた1室1室が別々になっている宿泊施設ではなく、6人くらいが一つの空間に寝るドミトリーのような場所だった。いくつかの部屋を周り、自分のベッドがある場所を見つける。ベッドがある空間は、らかのデザインがなされているように見えるが、「これは結局、二段ベッドが置かれているのと同じではないか」とガッカリした。プライベートなスペースはベッドの上しかなく、ベッドの脇にその部屋に宿泊する人のリュックサックなどが置かれている。自分はここにどのくらい滞在する予定なのだろうと手帳を開き予定を確認すると、翌日には福岡を発ち、東京に向かいそこからさらに、静岡あたりに向かうことになっていることが分かる。「一晩なら仕方がないか」と思い、部屋の外に出る。ついてきていた男性とその後食事を取ったかは覚えていない。気づいたらいなくなっていたようにも思う。いや、一緒にどこか別の場所で話しをしたのだったか…。部屋に戻って寝る前にトイレに行っておこうとホールのような場所に出ると、どこからか、宿泊施設のスタッフの乗った乗り物が現れた。馬の姿がはっきり見えたわけではないが、それが馬車だと分かる。馬車の後部に取り付けられた座席の中から、金色の髪の毛の少女が出てくる。そのシーンを見て「迷子の子どもを親御さんのところに連れてきたんだな」と思う。そんな光景を横目に進み、女子トイレに入ると、本来なら個室が4つ並べられそうな空間に、おむつ交換のシートなどを備えた、広い多目的トイレが2つ並んでいた。トイレの中には便器が2つある。個室の1つに入り、どちらの便器を使おうかなどと考え、用を足し、また、部屋への道を戻る。その道すがら、見知らぬ人たちのいる落ち着かない空間で寝ることに前向きにならない気持ちを抱えながら歩いていたところで目が覚めた。2019.8.30 Fri 7:49 Den Haag

322. 飛行機雲を見上げて

先ほど、今朝見た夢の話しを書き終えたところで、グルグルとお腹がなった。脳と同じように、内臓も動き始めたようだ。小麦若葉のパウダーとヘンプパウダー、アマニ油に水を加え、混ぜたものを、ひとくちひとくち飲む。以前なら、ここでごくごくとグラス一杯のドリンクを飲み干していたところだ。そういえばゆっくり飲むようになって、集中力やエネルギーの波は以前に比べて穏やかになったように思う。ドリンクを飲みながら、今動いてくれている身体、今日も一日動いてくれる身体に、感謝を伝える。

見上げると、南の空には無数の飛行機雲がかかっている。北西の空から南東の空に向けて引かれたものが多い。北欧方向、もしくはロシア上空をやってきた飛行機がスキポールもしくは南欧方向に向かっている線だろうか。上空の湿度や気温によって、飛行機雲ができるのだろう。雲が引かれなければ気づくこともないが、毎日こんなにもたくさんの飛行機が空を行き交っていることに驚く。そういえば以前、知人が、リアルタイムで世界の上空にある飛行機の場所を確認できるフライトレーダーを見るのが好きだと言っていた。日本の空港は使用時間に制限があることが多いことから、夜明けごろには、日本中の空港から一斉に飛行機が飛び立っていく様子が見られ、面白いのだと言う。日本の上空を飛ぶ飛行機は1日に約2,700機。世界の上空を想像すると、そこに1つの街というか、交通網のようなものが出来上がる。日々、何十万人という人が上空を行き来しており、そこに一人一人の旅路があると思うと、空港で、誰かが誰かを出迎える様子がさらに味わい深くなる。

飛行機のことを考えたのは、見上げた空に飛行機雲がかかっていたからか、それとも明後日の朝に久しぶりに飛行機に乗るためか。明後日の朝にはジュネーブに向かう。一週間、いつも通り、セッションや打ち合わせに参加し、途中、中距離の移動もある。ずっとのんびり過ごすわけではないが、いつもとは違う環境で、また浮かんでくることがあるだろう。オランダでは身近にない、大自然を感じられることを期待している。

今日はインテグラル理論のゼミナールの最終回だ。この間の学びや変化を予め振り返り、リアルタイムに起こる化学変化や気づきを楽しみたい。2019.8.30 Fri 8:13 Den Haag

323. あたらしい世界へ

顔を上げると、勿忘草色(わすれなぐさいろ)の空がそこにあった。この色の空は以前も見たことがある。あの日見た空も今日と同じ色だったのだろうか。日が暮れ、8月というときも暮れようとしている。新月でもある今日は、何か区切り目となるような日だったように思う。約2ヶ月に渡って参加してきたインテグラル理論のゼミナールが最終回を迎えたこととも関わりが大きい。最終回は迎えたが、私の中では、終了というより始まりという感じがしている。

ゼミナールに参加した当初、私は、「書籍に書いてあることに対する理解を深めたい。それを今従事している領域に活用したい」という期待や希望があった。それに対して今、何かを理解したという達成感のようなものよりも、広大かつ深遠な世界に足を踏み入れてしまったという感じがしている。新しい世界の扉を開けたという感じもあるだろうか。扉を開けて、数歩を踏み出し、その世界の広大さにおののき、振り返ると、自分が入ってきた扉が既に消えていたという感じだ。冒険映画によくあるように、小さな村から異世界に冒険に出てきたような。心強いのは、そこに仲間がいることだ。少し先を行く仲間、同じように新たにここに足を踏み入れた仲間。物理的に一緒に旅をするわけではないが、この広い世界のどこかに同じように旅をしている仲間がいると思うことに勇気をもらう。

数日前に湧いてきたことが、今またふと降りてきた。私は「繋ぐ」存在であるということだ。世の中には、新しい世界を創る、その先頭に立つ人、いわゆる0から1を創り出すと、現れたものをしっかりと形にしていく人・積み上げていく人、そしてその間の架け橋になるような、繋ぐ人がいるように思う。私は、全く違う言葉を話す人たちの言葉を伝える、もしくは天からの言葉を伝えるような、あるときはイタコと呼ばれ、あるときは翻訳者と呼ばれるような存在なのだと思う。今は、「わたし」という存在がどこにあるのか分からないことがある。物理的な身体としての自分を超えた力で、何かを観聴きしていることがあると感じることがある。自分自身が何かの力があるというよりも、何かの受信体のようなものに思える。だから先日見つけた、自分自身を表現する「宇宙望遠鏡」という言葉もしっくりきたのだろう。

今ふと、国のトップ同士が何か歴史的な平和的合意を結べたとき、そこには優れた翻訳者がいたのではないかという気がしてきた。異なる言語を話すということは、そこに、異なる文化があり、異なる歴史があり、異なる価値観・人間観・世界観があるということだ。そこに橋をかけるというのは、単に言葉の意味を伝えるという作業を超えたものが必要になるだろう。人が主張することというのは、その人にとっての正しさがそこにある。それぞれがその正しさの上にいるうちにおいては、他者の持つ正しさの基準に視点をずらすことはできないだろう。心の中、頭の中に何かを受け入れる余白をつくり、その中に、それまで持っていた世界観とそれに対抗する価値観を包含する視点を投げ込む。組織や国家のトップとして、自組織・自国家の領分を守りつつ、平和と呼ばれるものを築いていくためには、トップ自身がそのようなことをできるとともに、それを支えるような人がいた(いる)のではないかと思う。そんな存在が、自分が目指す姿なのかもしれない。

もう少し、今日のこと、この2ヶ月のことを振り返りたい気持ちもあるが、今日は、脳をだらりと休ませたいという気持ちもある。

ゼミナールを終え、ベランダに出ると、昨日は5つの花が開いていた庭の睡蓮が、今度は、8つの花を開かせていた。見えないだけで、今日も月はそこに輝いている。新しい扉が開いていることを世界が教えてくれている。2019.8.30 Fri 21:11 Den Haag