288. 新しい食の影響

庭の大きな木が、東から差す陽の光を浴びて飴色に輝いている。欧州に来て一度目の秋、木々の葉の色が一気に変わっていく様子を見て、美しいと感じた。そのときに、ロシアには「黄金の秋」と言う言葉があることを知った。ドイツの秋も美しかったが、ロシアの秋もいつか見てみたいと思った。

猫の声ともカモメの声ともつかない鳴き声が聞こえてくる。風の音だと思っているのは、遠くを走る車の音かもしれない。私の心や体とは違って、今日もこの中庭には静かに朝が訪れている。

私はと言えば、昨晩眠りにつくことができず、体にこわばりがあり、体の中に熱が篭っていることを感じる。昨晩は寝る前にヘンププロテインパウダーとマカパウダーと蜂蜜を湯で溶かしたものを飲んだ。どうもこれがいけなかったのだと思う。その前までは眠気の予感はあったものの、ベッドに入って横になり、『平行植物』の本を読み進めているうちに頭と体が、通常の夜の状態とは明らかに違った状態になったことを感じた。マカパウダーは、成長ホルモンが出るのを促進するため22時から2時の間に摂取するのも良いという情報をネットで見たが、改めて色々な情報を見ると、覚醒作用があるということが分かった。同時に、心を落ち着ける鎮静作用もあるらしい。そんなことがあるのか?と思うけれど、緑茶も、覚醒作用のあるカフェインと、ストレスを和らげるテアニンが含まれているので、そういうこともあるのだという実感はある。マカの場合はカフェインは含まれていないようだが、飽食ではない今の私にとって、色々な成分が効きやすいのかもしれない。そういえば一昨日の夜も温めた豆乳にヘンププロテインパウダーとマカパウダーと蜂蜜を入れて飲んだ。そしてその日もなかなか眠ることができなかった。翌日仕事がなかったから良かったが、そのとき、覚醒作用があるということに気づいておけば良かった。食べたものがどのくらいで体に影響を与えるかはものによってまちまちだが、今は影響を受けやすいということを考慮して、新しいものを摂り入れるときは、仕事や自分の状態に余裕があるときとし、少なくとも寝る前は避け、そのもの単体で取り入れたときにどのような作用があるかを見極めた上で、何と組み合わせていつ摂るかを見極めるようにしたい。

眠れないのは仕方ないからと、また、考え事をはじめ、やっと明け方に眠りについたのだと思う。目が覚める前に見ていた夢を少しだけ覚えている。覚えているのは二匹の犬が出てきたことだ。大きな、パグのようなブルドックのような茶色がかった毛の犬と、もう一匹おそらく同じ種類の黒い毛の犬を外出する家族に預けられ、散歩に出かけようとしたものの、二匹が勝手に外に出て行ってしまった。二匹を追いかけて外に出ようかとしていたところで家の中が遠浅の海のようなものになり、その中で何人かの人と話しをした。何かについて意見が合わずに困惑のようなものを感じたことを覚えている。

先日大学生が滞在していたときに寝室の枕元に置いていた夢を書き留めるためのノートを書斎の棚に移動してしまっていた。夢は、起きてすぐに書き留めないとあっという間に遠ざかってしまう。夢を見ているときはあんなに臨場感のようなものがあるのに、覚えていられないというのは不思議だ。以前、オランダに住むドイツ人の友人が「夢が夢であると気づくために、夢の中にしか出てこない人物や夢の中のシーンの特徴を見つける訓練している」と話していた。夢が夢であると気づくために普段から現実世界を注意して見るのだという話に聞こえたが、それは「夢が夢であると気づく」ということを通じた、現実世界に注意を向ける活動なのかもしれないと思った。そのどちらもだろう。

体の強張りが少し良くなってきたが、胃のあたりにはまだ鈍い塊のようなものがある。今日は打ち合わせとセッションが続く。その前にしっかりと体を整え、空間を整え、心を整えておきたい。心が、新しい一週間を描きはじめている。2019.8.19 Mon 8:07 Den Haag

289. 断つものを決める

突然、リビングに夜が訪れた気がしたが、もうとっくに周囲は暗くなっていたのだろう。それに気づかずに、目の前の作業に随分集中していたようだ。そのままリビングで日記を書くこともできたがパソコンを持って書斎にやってきた。ここで日記を書けば、まだ眠気が来ていないが一日を終えることができそうだという予感がしている。そういえば昨晩はなかなか寝付けなかったはずなのに今日は日中全く眠くならなかった。ありがたいけれども、不自然でもある気がする。

今日もたくさんの対話の時間を持った。その一つ一つが、濃く、そしてできるだけ自分に正直であれたのではないかと振り返る。ときに伝えづらいこと、言葉にしなければその場に引っかかりが生まれないと思われることもあるが、そこに正直であるというのが、今自分が貫きたい姿勢でもある。正直さを器用に隠すことを身につけてしまったら、それは無意識で様々な場面で出てくることになり、自分の存在意義をも脅かすことになるだろう。

今日は、その正直さの中で、大きな一歩を踏み出す一日となった。自分自身がより、高い質で相手に提供できるものに特化していくことになるための一歩。それは自分自身の中では決断と言ってもいいものだ。決断というのは、断つことを決めるということだ。何を手にするかを決めることは、何を手放すかを決めること。人は生きているとだんだんと色々なものを手放せなくなる。物や暮らし、人間関係。そうしていくうちに物理的にも精神的にも余白がなくなってしまう。大切なものにゆらぎの幅をもたせるためにその周りには余白が必要で、そのためには手に入れたものを手放していく必要がある。家の中を見回すと、自分が手放せないものが一目瞭然で分かる。全てを完全に手放す必要はない。しかし、全てを持ち続ける必要があるだろうか。

そんなことを考えているのは、今日、人が生きるために大切なことは何かというテーマに出会ったからだろうか。

こうして考えながら、どこか心が浮き上がっていることを感じる。仕事のスケジュールとエネルギー配分から、夕食を食べる時間が遅くなり、それに加えて、アーモンドミルクに浸したチアシードを一日飲まないままにしていたことに先ほど気づき、急いで胃の中に流し込んだからかもしれない。食との向き合い方というのは、その後の思考やエネルギーの状態に顕著に影響を与えるように感じる。エネルギーが胃より少し上に、どこか定まらない状態でいる。

日記を書き始めたときは、何を書くつもりかも定まっていなかったし、果たして今日は眠気が来るのだろうかという状態でもあった。しかし不思議と、気づけば指はキーボードの上を踊り、指先はあたたかくなり、瞼は重たくなってきている。闇には今様色(いまよういろ)が流れ込んできた。一日の終わりとともに、一日を終える。2019.8.19 Mon 22:35 Den Haag