284. 晩夏のまどろみの中で

今日も空には雲が広がり、階下の屋根に溜まった水に、ぽつぽつと丸い波紋が広がっている。昨晩は早い時間に眠気が訪れたのにも関わらず、ベッドに入るとすっかり眠気がなくなっていた。上の階からはアナさんと訪問者の大きな笑い声が聞こえてくる。こんな夜中に賑やかだなあと思いつつ、賑やかでなければすぐに寝付くのかと思うとそうでもないからか腹立たしい気持ちは全く起こらず、むしろこんな夜中にあんなにずっと笑っていられるなんてよっぽど楽しいのだろうなと、微笑ましくさえ感じた。

先日読み始めた『平行植物』を一区切り分だけ読み、そして、眠くならないならと、なんとなく気になっていることの考え事を始めた。考え事をするとおそらく脳は活性化してしまうだろう。しかし「眠れない」ということを思い悩んだりスマートフォンでネットサーフィンを始めたりするよりはずっといいのではないかと思う。しかし、できればコテっと眠りに落ちたいものだ。朝の活動時間を増やしたいと思っているので、夜ぐっすり寝て、朝早く起きることにつながることに、もっと意識を向けて取り組んでもいいのかもしれない。昨日は外出もしたし、いつもに比べると体を動かしたつもりだったが、食事として摂取したものも関係しているのかもしれない。考え事をしながら眠りについたせいか、朝も気づけば、考え事をしていた。夢を見ることと考え事をすることが混ざっていたような感じだ。ただでさえ静かな夏の週末が、雨に音が吸い込まれて輪をかけて静かになり、そんな中ずっと、微睡みを続けていたように思う。

今日は日本のお盆休みに合わせゆったりと過ごした週の最後の一日だ。セッション以外の打ち合わせを入れず、途中、受けた連絡の返事も休暇中を理由に基本的には来週まで持ち越しとさせてもらっていた。読書や情報のインプットを極力控え、自分の中で生まれる感覚や言葉をつかまえ、考えを巡らせることに時間をあてていた。この時間、何か大きな外的変化があったわけではないが、内側の、土台の部分を耕す時間になったのではないかと思う。いくつかの自分の心と繋がる言葉も手に入れることができた。日々小さな、そしてときに大きな選択をしていく中で、自分が何者かを表現した言葉を持っていることは、きっと大切なものを選ぶ指針となるだろう。言葉と世界は影響を与えあっている。言葉は世界をつくり、世界が言葉をつくる。言葉の力を信じながら、言葉にならないものと向き合い続けること。それが明日からも変わらず取り組んでいくことになるだろう。2019.8.18 Sun 9:28 Den Haag

285. 心を片付ける

洗い物をし、洗濯機を回し、食べきれないままになっていた小さな玉ねぎを刻み、火にかけ、その間に掃除機をかけた。昨日あちこちに置いたままになっていたお湯のみやコップが計6個、スプーンが計6本あった。中学生・高校生の頃に先生が「制服の乱れは心の乱れ!」と言っていて、そのときは「何のこっちゃ」と思っていたけれど、家の中の状態と心の中の状態はリンクしているのだと今になって思う。お客様が訪れる店で、一日のはじめに掃除をしないことはないだろう。一日を終えた後、どんなに疲れていても片付けを怠ることはない。片付けと支度が一日の質を決めると言っても過言ではない。たとえ相手に見えなくとも、家の中、心の中を整えておくことは大切なのだと、静かに澄んだ空気の中で深呼吸をして、自分に言い聞かせている。

来週に向けて、今日はいくつかやっておきたいことがある。自分の内側に向かっていた今週と、外との関わりが増える来週を繋ぐのが今日という日の位置付けになるだろう。今日のうちにやっておきたいことは、過去の日記の編集、来週の打ち合わせに向けた準備、金曜日のインテグラル理論のゼミナールに向けた録音を聞くこと、そしてゼミナールに関する金曜までの取り組みを決めること、書籍の企画のブラッシュアップ、サービスの整理とサイトのブラッシュアップ、現在食に取り入れているものの適切な量の確認と、今後取り入れるものの検討などだ。色々なことが並んでいるが、こうしてみるとどれも心からやりたいと思っていることで、そう思えることに取り組めることはとても幸せだと感じる。今、自分が今後提供するものは、自分自身がより高いパフォーマンスを発揮し、長期的な人間の変容に関わっていく部分に絞ろうと考えている。絞ることは、時に勇気がいることだ。必要とされることには少しでも力になりたいという想いもある。どこかに正解が転がっているわけではない。しかし、今取り組んでいることの中で感じる光に確信がある。天と地、宇宙と地球の間を貫く光が呼ぶものに気づいたとき、それに取り組まない理由というのは、自分の中の恐れしかない。

まずは今日も、声を出し、そして日記の編集をすることから進めていくことにする。2019.8.18 Sun 10:31 Den Haag

286. インプットから離れて分かったこと

過去の日記の編集とアップを終え、午前中作ったオニオンスープとフムスという豆のペースとをクラッカーに塗ったものを食べた。オニオンスープは薄切りにした玉ねぎをギーというバターのようなもので炒め、野菜出汁を入れて煮込んだだけだが、ギーの持ち味なのか、コクのある味わいが身体にじんわりと染み込んでいっている。

過去の日記の編集をして、大切なことにはちゃんと気づいているのだということ、そして今週は日記を書くことが多少散漫になってしまっていたかもしれないと考えた。今週は自分と向きあう時間があった分、その時間の中で何か完結したような感覚があり、それをもう一度日記を通して言葉にするということが少なくなっていたように思う。その結果、取り組んだことからの学びをさらに深めることが減ってしまったのではないか。

また、自分の中から出てくるものをつかまえるにはインプットを控えるのがいいかもしれないという仮説を持ち実行してみていたが、結果として、ある程度の刺激がある方が、生まれるものにもいろどりが出てくることを感じた。外的な刺激に頼りすぎるのも注意が必要だが、ちょっとした刺激があるからこそ、心の深いところに眠っているものが起き出し、現れてくることもある。私にとって読書は釣りのようなものかもしれない。釣り糸を垂らすと、水の中にあるものが引っかかって浮かび上がってくる。ただ、知識や情報を鵜呑みにするのではなく、自分とは違う誰かの考えたことや綴られた言葉に向き合うというのは、結局は自分の中の深いところとつながることになるのだろう。人との対話もそうだ。今週は、打ち合わせはなかったが、セッションや自分のコーチとの対話の時間を持った。その中から生まれたものというのは、読書とも、一人での考え事や内省、日記を書くことともまた違った世界の扉を開ける時間となっている。ここに加わると良いのは芸術活動だろう。せっかくなら今週、書の時間をもっと持てばよかったと今になって思うし、詩や短歌をつくることも力を入れて取り組んでいきたい。できればピアノも弾きたいと今ふと思った。宇宙と一体になり、自分の指先から音や色をつくることは普段行なっていることとは違った刺激を脳や心身にもたらしてくれるだろう。

このあとはインテグラル理論のゼミナールに向けた録音を聞いていく。取り組まない時間を持ち、それからまた取り組みを行うことは、その取り組みの意味を改めて教えてくれることになるということを実感している。2019.8.18 Sun 12:32 Den Haag

287. 日常のアップデート、猫と鳩の関係

葡萄の蔓の間から一羽の鳩が飛び出した。あの場所はすっかり鳩が休憩をする場所になっているようだ。外はまだ明るいが、木々の色、葉の揺れから、真夏とは違う、涼しさを越えた冷たい風が吹いていることを想像する。欧州に渡って3年目にして「夏」という季節の感覚が更新されつつある。

午後には予定していた通りインテグラル理論のゼミナールの録音を聞いた。約1週間ぶりに取り入れる外からの刺激はとても新鮮で、思考や心の内側を刺激してくれるように感じた。それは主催者である加藤さんがそのような投げかけをしてくれているというのも大きいだろう。そして加藤さんが無事オランダでの起業家ビザの申請をできたという話にもホッとしたというか、安堵する気持ちを感じた。手続きというのは、「手続きさえすれば大丈夫」と分かっていても、どこかで気持ちが落ち着かないところがあったりもする。自分も含めて、オランダで、海外で暮らす日本人が、まずは健康で、そしてそれぞれの想いを向ける活動に打ち込むことができる状態であってほしいというのは、心からの願いだ。

今日聞いたインテグラル理論における統合的実践のデザインというテーマの録音の中で印象的だったのは「今行なっている実践の中で不足しているモジュール(領域)を見出す」ということだった。統合的実践と言うと、ついつい「今行なっていないことをもっとやらないと」と思ってしまうが、何かを簡単に取り入れられるほどの時間があるのであればきっとすぐに実践をしているだろうから、今行なっていることの質を変えるというのは、限られた時間の中でさらに統合的な実践を行うためにシンプルかつ有効な提案だと感じた。早速自分の暮らしを振り返ってみると、食の実践は、もっとメディテーションに近いような取り組みにすることができるだろう。ここ最近は、食の内容に気を使ってはいたものの、そのことが優先して、食の時間が何か味気ないものになってしまっていた。食を含めて「一人だから」ということを理由にしてしまっていることがあるが、一人でも、もっとその時間そのものを味わい、楽しみ、喜びとするような向き合い方をすることはできるだろうし、そうしていきたい。今は食事の準備にはできるだけ手間と時間をかけないようにしているが、少しだけ手を加える時間を持つことで、食をもっと総合的な(場合によっては芸術的な)時間として楽しむことができるかもしれない。ドイツで学んだ「Enjoy Kitchen」という言葉を一人でも実践していきたい。

そんなことを考えながら買い物に行き、帰ってくると、家の中にいい匂いが広がっていた。焼いたバターの香ばしい匂い。上の階のアナさんが何か作っているのかと思い、家の扉を開けた瞬間、それが今朝作ったオニオンスープの匂いであることに気づく。こんなに美味しくて幸せな匂いの中にいたことを、自分では気づいていなかったのだと喜びと驚きに包まれた。

昼間にはバナナを焼いてみたが、これがまたバナナの甘みが増し、まろやかさが加わったように美味しかった。これから寒くなってくるし、一日一回か二回は火を使って調理したものを食べるのがいいだろう。と言っても、数ヶ月前に我が家のガスコンロはIHコンロに変わったので、厳密には火は使わないのだが。

こうして日中の食について書いている間に、隣の家の屋根の上を黒猫がトコトコと歩いてきた。葡萄の蔓の茂みの中にいる鳩を狙っているようだ。2mくらいまで距離を詰め、そこでじっと鳩のいる茂みの方を見ている。私からは鳩も猫も見ることができるが、猫からは鳩の姿は直接見えないだろう。すると、もう一羽鳩が飛んできて、今度は明らかに猫から見える位置に留まった。なぜわざわざ猫から見える位置に留まるのか。猫に捕まらないという自信があるのだろうか。そうしているうちに、葡萄の蔓の茂みの中にいた鳩が飛び立ち、そして、後から来た鳩も飛び立った。猫は、体を少しかがめ、もと来た方にまたトコトコと帰っていった。

これまで猫が鳩を狙っている様子は何度も目にしたことがある。枝に留まる鳩を目がけて、猫が木に登って降りられなくなることもある。しかしまだ猫が鳩を捕らえるのを見たことはない。猫は鳩を捕らえようとしていると思っていたが、もしかしたらそうではないのかもしれない。鳩も、猫には追いかけられない空中に逃げられることを分かっているからか、猫が近くにきても生命の危機が迫っているという切迫した感じはない。猫と鳩の関係というのは、私が端から見て想像しているのと全く違った関係なのかもしれない。

少しずつ、夜が空に混じってきた。明日からはまたいつもの日々が始まる。いつもの日々だが、この一週間の時間を過ごして迎える日々というのは、それまでとはまた違ったものになるだろう。静かに変化の波を作り出していく。そんな一週間になりそうな予感を感じながら、夜が自分の中にも染み込んでいくこのときを味わうことにする。2019.8.18 Sun 21:05 Den Haag