281. 雨の朝、夢の中のうたた寝

白湯を冷ましている間に身支度をし、ベランダの窓を開けて、外に出ようとして足を踏み出したところ足の裏に冷たさを感じた。窓を開けるまでは分からなかったが、霧のように細かい雨が中庭を濡らしている。雨が降っていたから、静かで、その分なかなか目が覚めなかったのだろうか。と、昨晩早く眠りについたのに随分と長く寝ていた理由を天気に求めてみる。今朝、一度目が覚めて微睡んでいる間に夢を見た。長い夢の、最後の部分だけ少し記憶にかかっている。強い海風の吹くビーチのような場所で、私はパイプの枠組みでできた建物のような場所に向かっていた。パイプを組み合わせて、その間には風除けの布が張ってあるので、テントと言う方が近いかもしれない。その中は布で仕切りがしてあり、何組かのグループが宿泊できるようになっていた。「ここで寝袋に入るとあたたかい」と、そこに宿泊することに慣れている知人が教えてくれる。説明をひとしきり聞き、部屋の入り口のようなところに腰掛けて仲間が来るのを待つが、とにかく眠い。あまりに眠くて、しゃがむように座ったまま、うたた寝を始めた。しばらくして、他の人が到着する音がし、夢の中の私が起き出すとともに、布団の中の私も意識が戻ってきた。

眠る夢は、疲れているときに見ることもあるという。今週は比較的ゆっくり過ごしているが、普段「やること」が目の前にたくさんあるときよりも選択的にならざるを得ないことから実はエネルギーを使っているのかもしれない。もしくは、頭の中や体の中など見えない部分で変化が起きていて、それにエネルギーが必要なのかもしれない。

身体が目覚め始め、脳も栄養を必要としていると感じたので、朝のドリンクを作ろうとキッチンに足を運んだ。今日は寒いので、先ほど白湯をつくるために沸かした湯を入れようと、マグカップに、カカオパウダー、ヘンプパウダー、蜂蜜、アマニ油を入れたが、その流れで、水を入れてしまった。ほんの数十秒前に考えていたことを忘れ、無意識の習慣に手が動いていたことに驚く。人の話を聞くことや、自分が言葉を発することもそうなのだろう。習慣になって自動化されていることがたくさんある。自分が使っている言葉の意味に人は意外と無頓着だし、人が使っている言葉の意味にも無頓着だ。いつもいつも微細なものをキャッチするアンテナを立てるのは大変だけれども、自分が自動人形になっていないだろうかと省みることは、自分自身や人とより良い関係を築いていくことにつながるだろう。

風に揺れる葡萄の蔓の中に、鳩が体をうずめている。春先にはスカスカだった蔓を巻きつけるための棚は、今はもう、生い茂る蔓で見えなくなった。成っていた葡萄の実の上にさらに、どんどんと蔓が伸びている。あの蔓の中にはまた別の世界が広がっているのかもしれない。最近、鳩がその中に身を置いている姿をよく見かける。

そういえば先日、突然雨が降り出したときにガーデンハウスの屋根の上に一羽の鳩が止まっていた。雨に濡れながら、動かずその場に佇んでいる。強い雨の中では飛ぶことができないのだろうか。飛ばないでおくことを選んだのだろうか。その、何気ない、でもどこかに芯があるような姿に人間の生きる姿を重ねた。
静かな一週間も残すは明日までとなった。今日は午後には出かけようかと思っていたが、雨が続けば、家の中で過ごすことになるだろう。2019.8.17 Sat 9:21 Den Haag

282. トラムから見る景色、感じる世界

19時半を過ぎて、眠気がやってきている。今日は思った以上に動き、エネルギーを使った一日になったからだろうか。しっかりと大切なものに繋がったという実感がある。

昼過ぎにトラムで街の中心部に出かけた。トラムに乗るときはできるだけ窓際に立つか窓際の席に座って外を眺めるようにしている。新しい季節の花、颯爽と自転車をこぐ人、誰かを待つ人。世界にある小さな奇跡と出会いたくて、ときには窓ガラスに張り付くようにして目を見張っている。

会社を辞めた後、知人たちと会社を作って、事業の立ち上げをしたことがあった。速く、効率よく、たくさんの人に使ってもらうために。気づけば移動中もスマートフォンの画面から顔を上げず、毎日があっという間に過ぎていった。見晴らしのいい会議室でのミーティングも、豪華なレストランでの食事会も、私が本当に手に入れたいものではなかった。経済的なメリットはたくさんあっても、誰が本当に喜んでくれるのか分からなかった。心を置き去りにして物事だけを進めていくことに、心がついて行かなくなった。

今は、ひとりひとり、顔は合わせない人も多いけれど、大切なものと向き合っているという実感がある。小さな書斎から中庭をながめ、トラムで街に出かける。アンティークショップやポテト屋さんに寄り道しながら家まで帰ってくる。静かに食事をして、静かに本を読み、また窓から鳩を追いかける猫を眺める。心とちゃんと繋がっていると感じられる。心と繋がって生きるということは、ただ楽をしていられるということではない。何かに所属することから得られる安心感を手放し、心が望まないことを手放す勇気がいる。その根底には孤独がある。絶対的な孤独があるから、人と心を交わす喜び、人とともに生きる喜びを感じられるのだと思う。

街の中心部でトラムを降りて、すぐ近くの電気屋さんに入った。1階のイヤホンやヘッドホンが並ぶコーナーと、2階の、ゲーム用のヘッドセットが並ぶコーナーを行き来する。今使っているイヤホンがどうやら中で一部断線しているようで触れると音が揺らいでしまうことがある。私は自分自身の身体が仕事道具と言っても過言ではないが、その次にパソコンと並んで重要なのがイヤホンだろう。言葉と言葉にならないもの、音と音にならないものを受け取っていることを考えると、イヤホンから聞こえてくる音はその一部にすぎないとも言えるが、落ち着いて話をし、私の中に浮かんできた言葉と言葉にならないものをスムーズに届けるには、安定した通信と音声を伝えるツールがあるに越したことはない。最近はブルートゥースのものも増えているが、電波の関係で遅延が起こる場合があるという情報もあり、様々な環境で通話をすることを前提にすると、またブルートゥースのタイプは充電を必要とすることからも、今の私の使い方には向いていない気がしている。立体的な音を再現し、通話のためのマイクもあるとなるとゲーム用のヘッドセッドが向いている気もするが、実際につけてみるとなかなか大きく、自分が楽な状態でいるにはやはり向いていないように感じた。また。現在、マイク付きのヘッドセッドも持っているが、口元にマイクがあると、声の大きい私としては、息の音まで余計に入ってしまうので、イヤホンのようにケーブルにマイクがついているタイプの方が向いているように思う。

などということを考え、さんざん迷った挙句、ドイツのメーカーの有線のイヤホンを買うことにした。値段に対して音質が良いことや、ケーブルが強く破損しにくいこと、そしてケーブルの差し込み部分がL型になっており、パソコンに差し込んで使用しても差し込み部分に負荷がかかりにくいことが決めてとなった。

今は仕事をするために、スーツもハイヒールもお化粧もいらない。しかし、自分自身の心と体というのが仕事に欠かせないものそのものであって、その質を高めることは、お金で直接買うことはできない。身体に良いものを摂ることはできるが、ただそうすれば良いというものでもないだろう。お金で買うことのできる僅かなものを安心材料としつつ、心と体との対話を続けること、感性を生きさせることが、仕事のための備えであり、そして仕事そのものだと思っている。2019.8.17 Sat 21:00 Den Haag

283. 音楽に刻まれた時代

珍しく中庭にオレンジがかった光が広がっている。カモメが一羽、横からの風を受けながら向かいの家の屋根の向こうに消えていった。

先ほど、今日購入したイヤホンで音楽を聞いてみようとYouTubeを開き、いくつかの曲を渡り歩くうちに、中学生や高校生の頃に聞いていた曲に行き着いていた。1990年代、バブル崩壊と言われながらも、良かったときを知らず、そこにある時代をただそのままに感じていた頃だ。その頃の歌は、「いつか訪れる幸せな時間を夢見て、迷いの中に生きる今日から一歩踏み出す」、振り返ればそんな歌が多かったかもしれない。それは、その時代が持つ特有の空気だったのか、それともその世代が感じる特有の感覚だったのか。あの頃聞いていた曲を聞くと、あの頃の自分を、日本を取り巻いていた空気のようなものを感じるように思う。

今私は日常的に流行りの歌に触れる機会というのがない。おそらく、ヒットチャートと呼ばれるものを賑わせる歌に触れていたのは20代前半までだっただろう。それまでは、そのときそのときの思い出と流行りの歌が強く結びついている。それ以降は自分の感覚を純粋に覚えているかというとそうではない。歌は、そのときそのときの、言葉にならない感覚や感情を代弁してくれているのかもしれない。中学生のときにオーストラリアにホームステイした際に流れていた曲と会社を辞めた後にフィリピンのセブ島に行ったときに流行っていた曲は、そのときの思い出以上に身体の中に残っている。

今はその頃に比べると、自分が感じていることや考えていることを言葉にできるようになった。しかし、言葉になることは体験のほんの一部に過ぎないし、どんなに言葉にしても、言葉にならないことの方がずっと多い。よく聞く歌というのがない中で、今過ごしている時間を後になって思い出したときに、何が思い出されるのだろうか。もしかしたら、自分の中に生まれる音楽というのがあるのだろうか。私がここのところ、詩を書きたいと思っているのは、こうして文章にするのとは違った形で、感じているものを何かに染み込ませておきたいと思っているからかもしれない。今感じること、見る世界を写し込みながらも、もっともっと広い、自分がまだ気づいていない世界も織り込んで、読み返す度に違った景色が見えてくるような、そんな言葉を置いていきたいのだろう。

中庭は黒と青に混ざった透明の空気に包まれている。向かいの家のいくつかには、赤みがかった明かりが灯っている。懐かしい歌を聞くのはキリがない。顔を上げて、一歩一歩、目の前にある音や色、言葉を感じて、音楽の中に残すことのできない時間を味わっていきたい。2019.8.17 Sat 21:29 Den Haag