272. 幼い妹の手を引いて

書斎の窓のすぐ外、階下の屋根の端に鳩が留まっている。体を膨らませ、賑やかさと静けさを交互につくりだす。ときおり吹く強い風に首をすくめる。遠くからも、鳥の声、風の音が聞こえてくる。

昨日は、アムステルダムに住む元教師の友人の教え子の大学生が訪ねてきた。聞けば、海外に来るのははじめてだと言う。ひとりで日本を出て、台北の空港で8時間の乗り換えをし、オランダまでやってきて、そして、さらにはじめて会う人を訪ねる。その計画を決めるだけで、そこにすでにどんなことでも乗り越えていける勇気を感じるが、さらにその道のりで感じてきた様々な気持ちを思うと、「よく来たねえ」とおばあちゃんのような気持ちになる。「よく来たねえ」と迎えてくれたおばあちゃんはこんな気持ちだったのだろうか。歳を取ると、自分が生きてきたその道の長さだけ、人の歩む道の長さと、そこで過ごしてきた時間のことを思えるようになるのだろうか。

物心ついた頃から、横浜に住む祖父母の家に、春休みの約1ヶ月間遊びに行くというのが、我が家の子どもたちの恒例だった。最初は母に連れられ、そして3つ年上の兄についていっていたが、兄が小学校でサッカーチームに入ったためか、私は小学校の低学年か、それよりまだ幼いくらいから、妹と二人で祖父母の家を訪れるようになっていた。福岡空港まで見送られ、地上係員や客室乗務員の方に見守られ、飛行機に乗り、羽田空港に着く。空港にはいつも祖母が迎えにきてくれ、まずは京急で横浜駅まで行き、横浜駅の高島屋で休憩をして、相鉄線で星川という駅まで行く。到着した日は出前のお寿司を食べるというのが恒例だった。そしていつからか、私と妹は羽田空港から星川の祖父母の家まで自分たちで直接行くようになった。羽田空港から横浜まで行くのに、昔は今よりもずっと時間がかかったような気がするが、それは子どもの体で感じていた時間の感覚なのだろうか。3つ年下の妹の手を引いて、自分も不安な気持ちを抱えながら、でも精一杯毅然と、切符を買い、電車を乗り継いだ。小さい頃に妹と電車に乗ったという強い記憶が残っているが、それはおそらく、羽田空港から横浜駅に向かう記憶なのだと思う。

あの頃に繰り返し感じた、空港で祖母や母が出迎えてくれたときのうれしい気持ち、迎える人がいないときの心細い気持ちがあるから、私は今、空港に人を出迎えに行くのが好きなのかもしれない。今でも、ヨーロッパで、日本で、空港の手荷物検査場を出てロビーに入っていくときに、「自分を待っていてくれる人がいるかもしれない」ということを、そんな予定がなくても心のどこかで期待をしている自分がいる。スキポール空港では、たくさんの人が出迎えの場所にいることがある。出てくる人を待つ人々の表情や、出てきた人が、自分を待っている人の姿を見つけて表情が変わる瞬間を見るのが大好きだ。

オランダで1ヶ月を過ごした後、彼女は日本に帰って、誰のどんな表情を見るのだろうか。それを見てどう感じるのだろうか。誰かの人生の旅路に、少しの時間でも出会えることの喜びを、だんだんと起き出した中庭を見ながら、深く味わっている。2019.8.11 Sun 8:07 Den Haag

273. 待つということ

外からは鐘の音が聞こえ、上の階からはアナさんと訪問者の声が聞こえてくる。中庭のガーデンハウスの上を、黒猫が横切っていく。あれはあの、幼かった黒猫だろうか。凛と伸ばした背筋から、以前より一回り大きくなっているように見えるが、そもそもまた別の黒猫だろうか。中庭に光が差し込んでいるが、雲の動きは早い。今日も、天気の移り変わりの多い一日になるかもしれない。

昨日、訪れてきた大学生から「学校では自分の興味があるテーマを持ち込むことができる」という話を聞きき、僅かな選択の幅はあったものの、大学生活の多くを決められたカリキュラムを学びことで過ごした私からは、自らの興味を元に学びを深められるスタイルというのはとても羨ましく感じた。知っただけの知識ではなく、体験から気づいたことというのは心と繋がった言葉となり、心に届いてきて、私の心の風景に新しい色を届けてくれる。

一方的に教えられるわけではない分、「自分」という存在に向き合うことを突きつけられる戸惑いというのもあるだろう。しかしそれを、私が考えるよりももっと軽やかに楽しむことができているのかもしれない。

今心の中に「待つ」という言葉が湧いてきている。言葉にならないものが言葉になっていく時間をゆっくりと待つ。感覚が浮き上がってくるのを待つ。何かが降りてくるのを待つ。穏やかな気持ちで待つことができたら、ユニークで、かけがえのない、大切なものに出会うことができるのではないか。例えば、話している相手が言葉を探しているときに、どれだけ待つことができるだろうか。これまで人間のメカニズムについてたくさん学んできて、それでもまだ途方もなく知らないことがあるけれど、その、人間の無限の可能性に出会うことはきっと、待つことの先にあるのだと思う。

答えに手を伸ばそうとするところに一呼吸入れて、自分の中で曖昧なものが繋がっていく時間を、まずはもっと、待つようにしたい。2019.8.11 Sun Den Haag