257. 土を耕す

ヨガを終えて、寝室の電気をつけた。普段ならこの時間も日中も夜も家の中の電気を付ける必要がないくらい外からの光で生活ができる。今日の雲は見かけ以上に厚いのだろう。既に雨が降ったのか、中庭の景色は湿り気を含んだように見える。

二杯目の白湯にクコの実を入れて、思考を漂わせる。今日も長く夢を見ていたような気がするけれど、言葉にできるほども、映像で思い出せるほども覚えていない。何か「問いの整理」がなされていたように思う。ここ数日、遠くの街へ出かけたり、たくさん人と話をしたりと身体的・対話的活動も格段に多かったので、その分夢の中で激しく情報整理が行われていたように思う。庭に撒かれたあたらしい土を耕し、これまでの土となじませるような感じだろうか。先週はインテグラル理論のゼミナールに参加することができなかったので、今週はそのキャッチアップをし、来週、ゼミナールが1週休みとなる間には、これまでの学びを自分自身が関わっている領域に結びつけて整理をするとともに、残りのゼミナールで特に学びたいことを考える時間を取りたい。今週・来週は比較的予定もゆったりしているので土の深いところをしっかりと、自分で耕す時間にしたい。外的な刺激や人との対話も大事だが、こうして日記を書くことも含めて、自分自身で自分と向き合う時間というのがさらに重要だろう。圧倒的な孤独があるからこそ、人の人生や物語と深く向き合えるのであり、それが日本を離れているからこそできることでもあると思っている。

今後の生活拠点の検討もあり来週はヘルシンキに行くという案もあったが、先週オランダの街を見て今後のイメージが沸いてきたこともあり、また今、じっくりと整理したいこともあり来週はオランダで過ごすことにした。できればインターネットなどの通信機器はほとんど使わず、自然の音や光、空気を存分に感じ、静かな暮らしの中でさえ聞きこぼされている内なる小さな声に耳を傾けたい。

庭の葡萄の蔓の上に一羽の鳩が止まり、多い茂る葉の中に隠れるほどに体を入れた。鳩がいるあたりにちらりと見える葡萄の実が揺れている。葡萄を啄ばみに来たようだ。昨年、この家に引っ越してきたのは9月1日だったが、そのときに葡萄の蔓が伸びていたかは定かではない。庭にたくさんの花が咲いていることに気づき始めたのも、日記を書き始めてからかもしれない。春の訪れとともに日記を書き始め、もうすぐ丸5ヶ月が経つ。ちょうど、自分自身の内なる成長に目を向けられるくらいに生活が落ち着いてきたタイミングだったというのもあるが、今は日記を書き始めるより前に世界をどんな風に見て毎日をどんな風に感じていたのか想像もできない。(今度改めて、before/afterの比較をしてみてもいいかもしれない)日々を生き、日々を綴る、それをこれからも続けていきたい。

書斎の窓から吹き込む風が冷たくなった。間も無く雨が降り始めるだろう。2019.8.5 Mon 7:32 Den Haag

258. その自分に嘘はないか

思ったよりも空がまだ青い。珍しく、小さな雲がぽこぽこと感覚を空けて浮かんでいる。日本で言ううろこ雲が広がったような感じだろうか。南西の空には明るい星が一つ見えていたが、ちょうど今、流れる雲の後ろに姿を隠した。

今日の午前中には自分自身のコーチとの対話の時間を過ごした。幅と深さ。そんな言葉が思い浮かぶ。自分自身の中にあるまだ曖昧なものを言葉にしていき、それを構造にし、また解体していくような、そんな時間を過ごさせてもらえることは本当にありがたい。意識や思考、感覚や感性というものは言葉にならないものをどうにかこうにか言葉にし、それでも言葉にできないものがあると実感することを繰り返す中で育てられていくのだということを実感する。それは何か即時的な働きかけで手に入るものではないし、そうやって手に入ったところで自分自身にピッタリと馴染んだものにはならないだろう。無意識の領域に働きかける手助けをしていきながらも、意識的に選択をしていくということの繰り返しが土を耕し、根を張っていくことに繋がっていく。その上に生えた木は、強い風にもしなやかに揺れ、色々な鳥が羽を休める場所になるだろう。そのためにも、一人の時間にもしっかりと土を耕し続けたい。今日蒔かれた種は一つ、また一つと芽を出し、言葉になっていくだろう。

ここ数日外出していた時間が多かったためか、色のリズムが少し崩れているように感じる。食は食を呼ぶというのか、塩分を摂ればもっと塩分を摂りたくなるし、たくさん食べればもっと食べたくなる。食生活についてはまだ身体に馴染みきってはおらず、吹けばすぐに飛んでいってしまうような状態だろう。意識が慣習として必要としているものに惑わされず、身体や脳が栄養として必要としているものに対する感覚と選択の意思を強めていきたい。それには、本当に必要としているものを楽しみ、喜び、感謝とともに味わうことが重要だろう。どんなに成分として必要でもそこに心の喜びがなければ続かない。続かないと思っているのは思い込みかもしれないけれど、身体に摂り入れるものには喜びとともに向き合いたい。これは人との関わりにおいても同じだ。喜びとともに向き合えるか。そんなことは組織の中では言ってはいられないのかもしれないけれど、今大切にしている取り組みにおいて持っている力を発揮していくには心に嘘がないことが最重要と言っても過言ではない。

そういえば今日の対話の中でも「心に嘘がないか」ということが話題にのぼった。わざわざ言葉にすることは多くはなくとも、そして意識しないことさえもあるけれど、「なんか変な感じがする」というのを人は結構敏感に感じ取っているのだと思う。物事の内容よりも、それを語っているその人自身に嘘がないように感じるか。綺麗な言葉や写真で飾り立てることが簡単にできる現代だからこそ、自分自身に嘘がないかをスキャンする感覚は重要だろう。言葉やイメージは、簡単に自分を騙す。

雲の切れ間から見えていた星が、また雲の向こうへと姿を消した。2019.8.5 Mon 22:30