255. 広がる空を見上げて

閉じていた書斎のブラインドを開けると、目の前に伸びる葡萄の鶴の茂みに鳩が丸まっていた。こちらに気づきバタバタと飛び立つ。鳩がいたあたりをよく見ると、緑色の実が連なり房になっている。実がなるには手入れをしないといけないとオーナーのヤンさんは言っていたけれど、よく見るとたくさんの実がなっている。根が伸び、枝が伸び、葉が伸び、そしてやっと実ができる。自然の中では当たり前のことで、そこには時間の流れが必要なことが、人間の世界ではいとも簡単に忘れ去られてしまう。

庭に生えている日本式の3階と同じくらいの高さまで伸びる木の枝に目をこらすと、枝の先にいくつかやはり実がなっていることに気づく。固そうな質感で片側だけ少し赤くなっているところを見ると林檎だろうか。そういえばあの木には春先に白い花が咲いていた。オーガニックスーパーまでの通り道になっている住宅街の中の家の玄関先の庭にも林檎のような実がたくさん実っていた。段ボール紙に何かが書かれている。オランダ語で読めないが、「おひとつどうぞ」と言っているのではないかと想像する。その近くには梅の実が成っている木もある。

遠くから教会の鐘の音が聞こえてきた。9時を知らせる音だったようだが、オランダで教会の鐘の音が聞こえてくることは珍しい。鐘の音を聞くと、オランダとは対照的に毎時時を告げる音が聞こえてきたドイツでの暮らしを思い出す。ドイツでは結婚式のときにも教会の鐘が鳴らされ、あちこちの教会からガランガランと聞こえてくる鐘の音がなかなか鳴り止まないこともあった。この街で聞こえてくるのは、カモメの鳴き声だ。日曜は特に、トラムや車の音が少なく、静まり返った街の中に高らかにカモメの声が響く。

今まで過ごしてきた街ではどんな音が聞こえてきていただろう。私が海の近くの街が好きなのは、横浜で生まれ、福岡で育ち、海が近い街の抱える空気感のようなものに慣れ親しんできたからだろう。大学生になるときに実家を離れ一人暮らしをはじめてからも、ずっと、海まで歩いていけるもしくはある程度すぐに出られる場所を気づけば選んでいた。30歳を前にして東京で家探しをしたときにどこに行っても聞こえてきたのは高速道路を走る車の音と、工事の音だった。それまで祖父母の家に遊びにいくために毎年のように横浜や東京には遊びに行っていたし、社会人になってからもほぼ毎月出張で東京には行っていたけれど、そのときは自分が生活者になることを前提にその環境を感じてはいなかったのだと思う。家の条件は、「朝日がちゃんと入ること」と「夜ちゃんと暗くなること」「静かなこと」だったが、それに当てはまる予算に合った部屋はなかなか見つけることができなかった。福岡の感覚で、「九段下にある会社まで、できれば自転車でも行ける場所に住みたい」と思っていたせいもあるだろう。「本が好きなので古本屋がたくさんあるという神保町がいいのでは」と思っていたが、思いの外音が多く落ち着かなかったので「もっと静かなところはないか」というと番町あたりを紹介され、「スーパーが近くにないがここに住んでいる人たちはどこで買い物をしているのか」と聞くと、「このあたりの人は宅配で買い物をしている」と言われ、「もうちょっと生活感のある場所はないか」と聞いたところ、紹介されたのが神楽坂方面だった。しかしそのあたりも福岡の倍以上の家賃がする割にほとんど日の入らない部屋しかなく、それまで見た中でどうにか決めるしかないかと帰りかけたときに通りかかった不動産に入り見せてもらった車が入りづらい路地の奥に建築途中だった小さなアパートの2階の部屋の真ん中の部屋から建物と建物の間にポカンと空いた空が見えて、その部屋を借りることに決めた。

今、向かいには家があるがその間には緑の茂る庭があり、ガーデンハウスがあり、向かいの家の屋根の上には何にも遮られることのない空が広がっている。晴れの日には晴れた空を、雨の日には雲の広がる空を、そこに流れる時間の移り変わりを感じることができる。ガーデンハウスの屋根の上を横切る黒猫は少し体が大きくなったように見える。あの頃とは全く違った環境の中に今自分はいるけれど、あのときからどうにかこうにか歩いてきた道の先に、今があるのだと思う。2019.8.4 Sun 9:23 Den Haag

256. 母の来た道

大きな波の中にいるような4日間だった。金土とそれぞれ違う街に出かけ、そして土曜の夜から今日の午前中にかけてセッションが続いたからだろうか。非日常と日常、身体的活動と思考活動、人との関わりと個としての探求がつくる大きなうねりの中から出て、書斎の窓の前に戻ってきた。4日間が1週間にも1ヶ月にも感じられる時間を過ごしていた。人と日々多くの言葉を交わすというのは私にとっては不思議な時間の感覚をもたらす体験だ。大きな波の中に、小さな波がたくさんある。それがこれから暮らしていく時間なのかもしれない。

今日は北の方に散歩に出た。と言っても海よりはずっと手前までだけど、運河沿いをてくてくと歩き、途中から森というには整えられた緑地の中に入り、また街を抜けて帰ってきた。30度を超えているのではないかと感じる暑さで、しばらく体の中には熱気がこもっていたが、今はもう足の先が冷え始めている。

頭の中ではいくつかの新しい取り組みが言葉と形の間を行き来している。これはしっかりと時間をとって整理していくことが必要だろう。

今日書き留めておきたいのは母のことだ。今日は用事があって珍しく日本の家族に電話をかけた。家の固定電話はセールスの電話が多いので出ないようにしていると聞いていたので、まずは父の携帯にかけた。しばらく呼び出し音が鳴って留守番電話に変わったので、今度は母の携帯にかけると、「今お父さんに電話したでしょう。取ろうとしたら切れちゃったみたい」と母が電話を取った。誕生日にメールをくれたことにお礼を言い、オランダの天気のことなどを簡単に伝えたりしていると、母が「そうそう、今日福岡市の水泳大会に出たのよ」と話し出した。60歳を過ぎてバタフライに挑戦し始めた母は、マスターズの大会に出ることを目標にしていたのだが、直前に体の調子を崩し、その大会は断念するということを前に会ったときに聞いていた。

「それがね、50mnのクロールで1位、平泳ぎで2位になったのよ」と、声のトーン以上に嬉しそうな気持ちが飛んでくる。そして母は「でも65歳から69歳の部はね、クロールの出場者は1人だったから、50m泳ぎ切ったら1位になることが最初から分かってたのよね」と続けた。他の年齢の人たちと泳いだと言うが、出場者が1人でも出場すること、そして最後まで泳ぎきることをした母を想像すると、誰かと競うよりももっと強い気持ちがそこにあったのではないかということが浮かんだ。子育てを終え、社会との関わりも徐々に減り、体力も衰えていく中で自分なりの鍛錬を続けていくことは、やらないといけないことがたくさんあるのとは全く違う種類の大変さがあるだろう。母はそれを自然に楽しんでいるようにも見えるが、きっと、ここまで来るまでには乗り越えてきた葛藤のようなものがあったのだと思う。父の転勤や子どもの成長・進学など、基本的には外的環境の変化に自分のライフスタイルを合わせてきた母が、その中でもそのときそのときできる形で自分と向き合い、何かを大切にしてきたことを私は知っている。いや、本当にそれがどういうことだったのか分かるのは、私が今の母くらいの歳になったときかもしれないし、一生分からないかもしれない。母がやってきたのはまさに、出場者が1人でも泳ぎきるという在り方だったのだと思う。

「大会に実際に出た人は1人かもしれないけど、水泳をしているけれど出なかった人はきっとたくさんいるよね。1人のうちの1位じゃなくて、きっともっとたくさんのうちの1位だよね」と伝えると母は「そうかしらねえ」と笑っていた。少し話を続けた後、母が父に電話を代わった。体の調子を訪ねると父はまあまあ良いと答え、私の要件を聞き、必要なことを教えてくれて、電話を切った。

そういえば大学生になって家を出て、結婚し、東京に行き、そして欧州に来た今まで、父や母から電話がかかってきたことは一度もないように思う。メールが来るかというとそうでもない。子育てをしている妹とは比較的頻繁に連絡を取り合っているようだ。私には連絡をしてはこないが、私が何か用があって電話をすると、特に母はあれこれと近況などを話し始める。欧州で使っているのは1ヶ月間の通話可能時間が限られたプランなので、その上限になり途中で電話が切れてしまうことが何度かあった。何があっても決して見放すことはない父と母だが、自分たちからは干渉しないという、彼らなりのポリシーがあるのだろう。

昨日デルフトの街を歩いているときに「ここなら街がコンパクトなのでお母さんやお父さんも散歩ができるかな。リハビリのために歩くんじゃなくて、散歩が楽しい街にいたら自然と楽しく歩いて元気になるかな」と考えていた。来年の夏くらいにはこちらに遊びに来てもらえるようになっているだろうか。その前に福岡に行く機会はあるだろうか。

未来は、今日の積み重ねだ。私も母のように、出場者が1人の種目で、歩き続ける。2019.8.4 Sun 20:53 Den Haag