190. 意味を持たな音に揺られて

夕食の洗い物を終えてひとやすみしていたら、窓の外から鳥の声が聞こえてきた。イギリスもこの時間はまだまだ明るい。今日は朝から夕方までセッションがあり、散歩がてら外に出たのは17時を過ぎてからだった。日照時間が長いと、一日屋内で過ごしても「まだまだ時間はあるぞ」という感じがする。

暮らしと仕事と旅の境目はもう曖昧で、それぞれがそれぞれのために存在し、影響を与え合い、一体でもある。欧州ではアパートメントタイプのホテルも多く、リビングに寝室、キッチンがあり料理をすることもできるので、まさに暮らすように旅をし、その中にいつもと同じように仕事がある。そして普段オランダの家にいても、いまだに旅をしているような感覚がある。

思い返せば2年前欧州に渡って以来、ずっと旅をしているようだ。実際に、ドイツに来てはじめの5ヶ月間くらいは1週間から3週間ごとに住まいを変えて過ごしていた。ドイツでは例えば小さな子どものいる家庭が空いている部屋を大学生に貸す代わりに子守をしてもらうという仕組みのようなものがあり、airbnbのようなシェアリングプラットフォームができる以前からシェアをするというのは一般的だったようだ。そのおかげで私も大きな家の空き部屋を大学生に貸し出すおばあちゃんの家の一室などに住むことができた。ドイツの家はオランダよりも広いところが多く、バスルームやキッチンが複数ある場合もありシェアでも特に不便はなかった。中には猫がいる家もあって、そこでは部屋に入ってくる猫と遊ぶのが楽しみにもなったりした。シェアをするけれど生活には全く干渉し合わず、例えば同じ家の住人と一緒に食事をしたり、庭先でワインなどを飲んで楽しい時間を過ごしたりしていたとしても、それぞれが自分のタイミングで「じゃあおやすみなさい」と部屋に帰っていく。人に合わせてだらだらと長居しないというのはとても大人で楽な関係性の持ち方だと感じた。

オランダの人のことはまだよく分からないが、知る限りドイツ人は本当に建前のようなことを言わない。先日ドイツ人の友人の結婚式に行き、新婚旅行の話になったときも、タイにバックパックの旅行に行くという新郎新婦に「ぜひまたオランダにも遊びに来て」と行ったら、「今年はもう時間がないからオランダには行けない」と言われた。雰囲気に流されて話を合わせるということのない彼らは、考えをハッキリ伝えてくれるので、愛想良くはないがコミュニケーション上のストレスは少ないように思う。翻って日本はというと、言葉と心が一致していないということが往々にしてある。察することや汲み取ること、慮ることが美徳ともされるが、心をそのままに表現しない習慣から本人さえ自分の心が分からなくなってしまっているのではないか。心の中でどんなに「紅茶が飲みたい」と思っていても、「コーヒーをください」と言えばコーヒーが出てくる。それだけのことがなぜかとても複雑になっているように思う。

そんなことを考えるせいか、言葉が分からない国での暮らしというのは本当に楽だ。昨日もルートン空港からロンドン市内に向かうバスの中、後ろの席に座った人たちがずっと話をしていたが、話し声は頭の上をただただ通り過ぎていった。言葉というのはそれに意味を付与されて言葉になり、意味が付与されなければただの音でしかないということを実感する。人の話に聞き耳を立てているつもりはないが、日本にいると嫌が応にもあらゆる場で、特に人が話をする場では意味の嵐の中にさらされる。そして、職業病なのか、人が話しているときにある特定の同じ単語を使っていても、そこに付与されている意味が微妙に違うことなどに気づいてしまい、「こうやって人の心はすれ違い続けるのか」と、余計なことを考えてしまう。仕事では言葉の向こう側にある、その人の生きる壮大な物語に耳を澄ませているので(そのこと自体はとても好きなことだけど、実際にそれは結構なエネルギーを使うので)日常生活の中では、意味をなさない鳥の声を聞いているくらいがちょうどいい。今のところ英語も、聞こえてくることや看板の文字などがそのまま意味としてダイレクトに脳に入ってくることはなく何らかの処理をされて初めて意味を持つものとなるので街中を歩いていてもとても楽でいられる。人とコミュニケーションを交わすために、もしくは日本語では得られない情報を得るために、英語をはじめとした母国語以外の言葉がもう少しできるようになればと思う反面、いつまでも言葉の分からないストレンジャーでいたいとも思う。電車で近くの座席に座った人が話している内容が無意識に頭に入ってくるようになったとき、私はきっとその場所に居心地の悪さのようなものを感じるだろう。

昨日、滞在先に荷物を置き散歩に出ると同じ建物から出てきた男性が話しかけてきた。ケンブリッジから来たと言う。「何か特別な理由でここに滞在しているのか」と聞かれ、丁寧というか婉曲的な表現はイギリスらしいのかなと思いながらそういうわけではないと答えると、彼は自分はウィンブルドンを観に来たのだと言った。それを聞いて初めて現在テニスのウィンブルドン選手権が開催されており滞在先がウィンブルドンからほど近い(と言ってもさほど近いわけではないが)場所だということを知った。「遠い異国の地」だと思っていた場所に自分がふらりと来ているのは不思議な感じだ。それでもまだまだ「異国」や「未知の場所」はたくさんある。一人一人の生きる物語に出会うように、まだ知らぬ場所の物語に出会い続けていきたいと強く思う。2019.7.2 Tue 19:48 London