181. 朝のスキポール空港、そしてハーグの街
182. ライデンでシーボルトに想いを馳せて
183. 暮れる空に光る星
184. 「本物」になれなかった男

181. 朝のスキポール空港、そしてハーグの街

時刻は8時になろうとするところだったが、スキポール空港は既に多くの人で賑わっていた。土曜の朝というのはいつもこんなに人が多いのだろうか、それともバカンスに向かう人々だろうか。到着ゲートの前には「WELKOM」(オランダ語でwelcomeの意味)と書かれた大きな布と赤い風船を持った人々が集まっていた。布にはチェコの国旗らしき絵も書かれている。この人たちは、どんな理由で、どんな人を迎えようとしているのか。

オランダに来てもうすぐ丸11ヶ月が過ぎようとしている。その間、何度スキポール空港に来ただろう。日本、ドイツ、イギリスへと自分が向かうよりも多く、パートナーを見送りに来た。数えきれないほど出迎えと見送りをしても、そのときに感じる嬉しさと寂しさは褪せることがない。それはお互いが日々アップデートされて「知らない人」になり続けているからだろう。セキュリティチェックのゲートに向かう姿を見送り、相変わらず出迎えの人々で賑わう到着ゲートの脇を抜けて電車のホームに向かった。

空港の賑わいとは裏腹に、ハーグに向かう電車はガラガラで、駅に着いたときには同じ車両に1人しか人が乗っていなかった。珍しくすぐにやってきたトラムに乗り、出入り口近くの席に座り、電車の中で読んでいた本を再び開いた。家の最寄りの駅でトラムを降りると、駅よりもさらに静かな、土曜日の街がそこにあった。2019. 6.29 Sat 9:41 Den Haag

182. ライデンでシーボルトに想いを馳せて

昨日滞在していたライデンの街は、ちょうどお祭りのようで、普段も観光客で賑わう街中がさらに賑やかになり、街全体がアミューズメントパークになっているようだった。街中にあるいくつかの小さな広場にはメリーゴーランドなど移動式の遊園地のアトラクションのようなものが据え付けられ、通り沿いのレストランはこぞってテーブルや椅子を外に出し、人々はそこでビールらしきものを飲んでいる。運河に停められた大きめの船はレストランの一部となり、小さめの船でもパーティーをする一団があったり、家族でのんびりと過ごす人々がいたり、人々が思い思いの時間を楽しんでいる。ライデンの中心部を囲む運河は比較的幅も広く、両岸に停泊した船の間を、クルーズ(と呼ぶのだろうか)を楽しむ人々の乗る船が通り過ぎてゆく。卒業のシーズンでもあり、若い人たちがパーティーをしているのかと思ったがそうでもない。おそろいのシャツを来ている年配の男性たち、白いドレスを着た女性たち、船乗りの格好をした男女、蛍光色のつなぎを着て歌う人々。何だかは分からないが、とにかくそれぞれの人たちがめいめいの時間を楽しみ、そしてその楽しみが運河を、街を包み、呼応し合っている。

15時すぎにライデンに着いてすぐ、賑わう街中から少し出たところにあるシーボルトハウスを訪れた。世界史を専攻しなかったのでシーボルトに関する知識は「オランダから来ていた医者」というぐらいだったが、展示を通して、「優れた医者だったシーボルトは、出島を出て病人を診察することを特別に許されており、診察料を取らなかったので、患者たちは感謝の気持ちを物に託して贈り、それがシーボルトのコレクションとなった」ということを知った。彼は日本のことを調べるようにという命令を受けていたと言うが、彼の収集した日用品から工芸品、動植物の標本に至る幅広いものたちの展示を見て、彼が日本文化に心底興味を持っていたことを感じた。そして日本が開国した際には日本がその立場を守れるように、ヨーロッパ各国の元首との間を取り持ったという説明文を見て「なんとありがたい。どうしてそんなに日本のことが好きになったのだろうか」と思った。さらに今しがた、「シーボルトが収集していた物の中に日本地図など当時日本から持ち出すことが禁止されていたものがあったことから、長い取り調べを受けた末、1829年に日本から追放をされオランダに戻った」ということを知り、それから25年後の日本の開国の際になぜそんなに日本のために力を尽くしてくれたのかということにますます興味が湧いてきた。日本を離れてからもなお日本に関する研究を続けたシーボルトの想いは計り知れない。60歳をすぎて再び日本にやってくることができたときに彼はどんなことを感じ、そのときの日本に何を見たのだろう。ライデンにはライデン大学というオランダでも最古の大学と言われる大学があり、そこには日本学科がある。そのため、お店などでは日本語で話しかけてくれるか、「日本から来たのか」と聞いてくれる人も多い。私たちがオランダのことを想像するのとは少し違う感覚で、彼らは極東の地のことを感じているのではと思う。

シーボルトハウスを出て、小さな店の並ぶ路地を進んだところ、以前ランチをしたことのあるお店の近くに出た。そのときはこじんまりとした店内が人で賑わっていたが、閉店時間が近いせいか、開け放ったガラス戸付近の席に座る人々がワインやビールを飲んではいるが店内に人はいない。人の間を抜けて店内に入り席に座るとすぐに店主らしき恰幅のいい男性が、「新鮮な素材で作っているので今日は既になくなっているものもあるし、店は18時までだがそれでいいか」と聞いてきたので、問題ないことを伝え、まずはオレンジジュースを注文した。その後、料理を待っている間にまた店主が来て、テラスの席でなくてもいいかと聞いてくる。「あそこに座っているのは自分の妻だから(席を開けることもできる)」ということだ。別のテラスの席に座っている女性はどうやら正面の雑貨屋のスタッフのようで、17時半になろうとするところでさっさと店の鍵をかけ、席に戻り、新たなビールを注文した。料理を作る音に混ざって口笛も聞こえてくる。近所の人が飲みに来て、どんなに外が明るくても店を閉め、自分たちもおそらくゆっくりと食事を楽しむ。そうやって機嫌良く働き、暮らす人々が、この店の、この通りの、この街の、心地いい空気を作っているのだろう。食事を終えてもまだ外は明るく、運河の周りは何かの終わりと何かの始まりを楽しむ人たちの熱気に包まれていた。2019.6.29 Sat 10:50 Den Haag

183. 暮れる空に光る星

22時すぎ、地平線に沈む夕日を見た。正確には、太陽は地平線ではなく、「木々の連なるシルエットの向こう」に沈んで行った。国土が平らなオランダでは、普段太陽は建物の向こうに沈んでいく姿しか見えないが、昨日はオランダ式の10階(日本式の11階)にあるスパの一角からいつもとは違う夕暮れを味わうことができた。オランダに来て日が沈むところをゆっくり見たのは初めてかもしれない。

白に近い黄色の光が、金色のような眩しい輝きに変わり、そこから橙に変わっていった。同時に、空の高い位置の青が藍に変わっていく。地上から上空に、七色よりももっとたくさんの色が重なる虹の幕のようなものが引かれ、その中で朱に近くなった太陽がつぶれはじめる。その少し上に、明るく瞬く星があった。キラキラと白い光を放ちながら、微かに上に登っていっているようにも見える。「地球は動いているわけだし、星もあんな風に動くように見えるのかもしれない」そう思ってその星を見つめていたら、にわかに白い光が黒い点に、そして線に変わった。偶然こちらに真っ直ぐ向かってきていた飛行機が進路を変えたのだということをその瞬間に理解した。黒い線はあっという間に飛行機になり、北の空へと抜けていった。これまでそんな景色を見たことはなかった。いや、見ていたのかもしれない。見ていた星は飛行機だったかもしれないし、飛行機は星だったかもしれない。でもそれに気づくほどにじっと、星や飛行機を見守り続けたことはなかった。人間も同じではないか。ものすごく狭い角度かもしれないけれど、キラキラと輝く角度がある。それを捉えることができているか、色々な角度から、ゆっくりと見守ることができているか。そんなことを考えながら、姿が見えなくなった太陽から尚も織り出される光の端を見ていた。2019.6.29 Sat 11:17 Den Haag

184. 「本物」になれなかった男

時刻は21時半に近づいているが窓の外にはまだ明るさと熱気が広がっている。今日は午前中にLeidenから戻り、いくつかの仕事をし、ひと段落したところでオーガニックスーパーに買い物に行った。いつも通りバナナとリンゴ、サツマイモ、そしてなくなりかけている小麦若葉のパウダーとカカオニブを購入した。スーパーの前にはドラッグストアに寄り、液体などを小分けする容器を購入した。明後日からまたロンドンへの滞在を予定しているので、ヘンプオイルなどを持って行こうと思ったためだ。今回のTilburgとLeidenでの滞在にも普段飲んでいる飲み物を作るためのパウダーなどは持って行き、バナナとリンゴと豆乳だけ現地で購入した。おかげでこれまでハーグ以外のところに滞在したときよりも幾分か良い食を摂れたように思う。例え、仕事と呼んでいる対外的な活動がないとしても、よりクリアな感覚と思考を保つための取り組みは欠かせない。出かけるとその分、いつもとは違う環境で学びや気づきもあるが、とにかく食生活が変わりがちで、その結果、もったりとした空気の層に包まれたような、外界を感じづらい状態になってしまうので、旅先での食を改善していきたいというのがここのところの課題だった。ある意味暮らしの場所の変化も暮らしの一部であり、やはりゆっくりとした波のようなものをイメージして、大きなスパンの中でも一日一日の中でも自分を整えていきたい。明後日までに食べ切るであろう量の食材を買って、空気の眩しさに目を細めながらてくてくと帰ってきた。

その後、今回の旅の間に読んでいた本の、残った部分を読み切った。読んでいたのは『ピカソになりきった男』という本だ。贋作作家としてピカソやダリ、シャガールの贋作を作り続けた人の手記を通して考えていたのは「本物とは何か」ということだった。この手記を書いたギィ・リブという男性は、ただ有名画家の絵を真似るのではなく、画家の感じたことや考えたこと、人生そのものを味わって絵を描いていた。だから描いたのは既にある絵のレプリカのようなものだけではなく、その画家が描いたであろう(実際には描いていない)作品を想定したものだった。購入者の中には贋作と知りながらも絵の芸術性そのものを評価して購入したという人も少なからずいたということだ。そして贋作を本物たらしめていたのは、鑑定家は画家の家族がそれを本物であると認めた証明書だった。仮に、絵画の価値というのが描いた人の積み重ねた人生を通じて感じたことをその過程で身につけたテクニックや表現力で表現されたものそのものにあるとしたら、その結果、人の心が惹きつけられるのだとしたら、同じように心が惹きつけられた人がいた作品を、何を持って「偽物」だと言うことができるのだろうか。

そして湧いてくる疑問は「この人はこれだけの情熱と技術を持っていながら、なぜ自分自身の(誰かの贋作を作るというのではない)表現をしていくことができなかったんだろう」ということだ。そこにはアート業界の持つ構造も関係しているが、「模倣をし続けるのか、その枠を出るのか」というのは芸術に限らず人が向き合うことになるテーマのように思う。贋作作家(と呼ばれることになってしまった)ギィ・リブの場合は、贋作を描くことに大きな経済的なメリットがあったことに加えて、そうしている自分が所謂上流階級と呼ばれる人々や彼が憧れを抱くような人々の近くにいることができたということも大きい。ピカソは「画家とは結局なんですか?」という質問にこう答えたそうだ。−「それは、自分が好きな他人の絵を描きながら、コレクションを続けたいと願うコレクターのことだ。私はそうやって始め、するとそれが別物になっていく」「巨匠をうまく模倣することができないから、オリジナルなものを作ることになる」(ギィ・リブ著 『ピカソになりきった男』より)

ギィ・リブにも、自分の絵を描くように勇気づけてくれていた人がいた。しかし彼は別の画家になりきることにエネルギーを使い果たしてしまった。しかしそれはやはりいつまでも続けられる訳はなく、彼は逮捕された。逮捕の経緯は彼の判断ミスが招いたものだが、心のどこかで本来自分が望んでいることと違うことをしていることに耐えられなくなっており、その歪みが無意識に行動に現れたのではないかと想像する。実際彼が逮捕されたときに感じたのは、安堵感だったと言う。

何かを体得していく過程で、誰かの真似をするというのはある種必要なプロセスなのだろう。そもそもこれから学ぶことについて何か判断することもできないのだから、自分が良いと思うか、そうでないかは別にしてとにかく全部を真似てみるというのが有効なときもある。しかしいつか、その先に自分なりの方向性を見出していくときというのが来るだろう。そんなときに、これまでの場所に留まり続けるかどうかは、今得ているものを手放せるかどうかにもかかっているのではないか。あまりにも多くのものを得過ぎて、それが自分の外部にあるにも関わらず自分自身と一体化し自分のアイデンティティとなり手放せなくなったギィ・リブの顛末とそのプロセスでの葛藤から、人間について思いを巡らせている。2019.6.29 Sat 22:18 Den Haag