180. 流れる時と人の暮らし、自分の生き方を思う

部屋に涼しい空気を入れるため20cmほど開けていた窓を閉めると、聞こえていた車の音がだいぶ静かになった。外はまだ薄明るく、通りを自転車で通り過ぎる人も多い。

昨日から滞在しているTilburgは、かつて紡績で栄えた街だった。滞在している駅の周辺のエリアは、工場などがあったところを再開発したようで、建物の構造やその中の機械の一部はそのままに公共施設や飲食店として活用されている場所がいくつかある。オランダは建物や土地の文脈を生かして新しい場をつくるのが上手なように思う。例えばアムステルダムにあるWaagという施設は、以前は解剖を行っていた場所で、今は様々な立場の人が一緒になってオープンイノベーションをつくっていくような場所になっている。まさに「開く」という文脈を受け継いで、さらに現代的に新たな価値を生み出す場所となっている。そんな、場所や土地の活用の仕方が歴史的なものなのか最近のことなのかは分からないが、とにかく今は古いものが再び生かされ、自然に街の人たちの生活に馴染んでいるという感じがする。日本でも不動産再生や地域活性化などの取り組みは盛んに行われるようになっていて、私もそういうことに関わってきたけれど、再生した場所が日本よりももっと身近にあり老若男女街の人の利用する場所になっているという印象だ。

かつて栄えた場所が一度は衰退し、再び街の人たちの手によって暮らしの一部になっている。そんな物語を想像すると、色々な音が聞こえてきて、タイムスリップしているような気にさえなる。私がこの街で感じているのはまだせいぜい500m四方くらいの広さかもしれないけれどそこに流れる時間を味わえることはなんとも感慨深い。この街の変化を、街の人たちはどんな風に感じてきたのだろうか。

だんだんと外が暗くなるにつれて、街灯の明るさが際立ってくる。昨晩気づいたのは、普段暮らしているハーグの家の中庭には人工的な明かりがなく(他の家の明かりは見えるけれども)自然な時間の移り変わりを味わうことができているということだ。当たり前のように薄いカーテンだけ閉めて寝ていたが、それができるのは街灯がなく、たまに月明かりが眩しいくらいというおかげだったのだ。明るい街灯の明かりを遮るためか、この部屋の窓には分厚い遮光カーテンがあるが、そのためか今朝は暗い部屋の中で半ば無理やり自分を目覚めさせたという感じだった。明かりを遮ろうとすると、必要な明かりまで差さなくなってしまう。「いい塩梅」というのはなかなか難しいものだ。せっかく太陽が明かりと暗闇をつくりだしているのだから、できればそのリズムを感じてそのリズムの一部になりたいと思う。

今日は近くの、やはりかつて何かの工場だったであろう場所がリノベーションされたレストランで夕食を摂りながら、自分自身の在り方について考えていた。例えばこうやって少しいつもとは違う場所に滞在しているときも、そこにはいつもどおり、仕事がある。もちろん、普段「仕事」と呼んでいるものに全く関わらないこともあるけれど、「自分が大切にしていることをしている」ということの一部が仕事でありたいと思う。仕事と暮らしの全体が大事にしているものをそのまま体現しているようなそんな在り方をしていきたいということを考えていた。

とは言え、旅先ではやはりいつもと違うエネルギーと時間の使い方をしているのだろうか。街灯は眩しいが、眠気は確実に頭の上から降りてきている。明日は場所を移すが、もう少しだけ旅は続く。ゆらゆらと感覚に身を任せ、まとまらずとも、降りてきた言葉や感覚を置いていきたい。2019.6.27 Thu 22:53 Tilburg