176. ココナッツオイルの溶けた朝
177. 群青の音と食への警鐘

176. ココナッツオイルの溶けた朝

朝起きてオイルプリングのためにココナッツオイルを口に含もうとすると、昨日まで固形だったココナッツオイルが液体になっていた。ココナッツオイルの融点は約24℃ということで、昨日はキッチンがそのくらいの温度になるほど暑かったということか。先日その存在を知った「液体ヘリウム」が約-269℃で液体から気体に変わるという話を思い出す。あらゆるものが凍る(個体になる)と言われる絶対零度(-273.15℃)でも凍ることないというこの液体は研究機関などでしか見ることができないそうだ。液体ヘリウムは、絶対零度で超流動と呼ばれる一定速度以下で液体の粘性が消失するという現象が起こる。この状態では、通常は液体が通り抜けられない狭い隙間を通り抜けたり、容器の壁をよじ登ったりするという現象が起こるらしい。普段は目で見て確認することができないことやその現象の理由がまだ説明できていないことというのはきっと世の中にたくさんあるのだろう。基本的に多くのことは観測結果に過ぎないわけで、特に人間(の心)に関わることなどは、現象として観測されることはあっても、なぜそうなるかは分からなかったりもする。「全てのことは深層心理でそうしたいからそうしているのだ」という考え方もある。人間のメカニズムが分かった気になるほどに、生身の人間から遠のいていくような気もしている。

ココナッツオイルは溶けていたが、ベランダに続く扉を開けると、冷たさを感じる空気がそこにあった。昨日の熱気を含んだ空気のことなどすっかり忘れたかのように、山の中の早朝のような空気がすましてかけていく。

今日もしっかりと夢を見ていたような気がする。「もう十分夢を見ました」という自覚とともに目を開けると、空は青白く明るくなっていて、時計の針はちょうど5時を指していた。昨晩眠りについたのは23時すぎだったので、普段より睡眠時間は短いが、やはり長さではないということだ。むしろ、本を読む余力もないくらい眠い状態でベッドに入ったので、短い時間で深い睡眠に入ったのだろう。

先ほど、書斎の窓の近くには先日一度目に留まった、両方の羽の途中に青い模様のある茶色い鳥が止まっていた。その鳥が今度は庭の木の上の方にとまり、その鳥を狙ってか、小さな黒猫と、ひとまわり大きい、足の先の白い黒猫がゆっくりと歩き回っている。今日も、生き物たちの朝はすっかりはじまっている。2019.6.25 Tue 7:19 Den Haag 

177. 群青の音と食への警鐘

22時近くなろうとしているが、ハーグの夜はまだ始まってさえいないようだ。そういえば最近は、空が暗くなることを待たずに眠りにつくことも多い。そして、朝起きると、既に明るさは空に満ちている。昼と夜という概念さえ、この国での生活を通して変わろうとしている。先ほどまで私に日記を書くことを勧めてくれた友人が作った曲を聴きながら彼の日記を読んでいた。その、音の重なりと奥行きが時の流れに織り込まれ認知したメロディーから、なぜだか薄群青(うすぐんじょう)色が頭に広がった。「青が群れ集まる」という語感が音の世界を更に広げていく。岩絵具の群青はもともと瑠璃(ラピスラズリ)から作られていたそうだ。ラピスラズリは幸運をもたらすパワーストーンとしても知られているが、目先の幸せを運ぶのではなく、むしろ厳しい導き手として、試練や苦難を乗り越えることで魂を成長させようとする性質があるという。友人も、そんな道を歩んでいるのかもしれない。自由や選択というのは一見、心地よく気楽なようにも思えるが、決して楽しく楽なだけではない。外的な基準の中ではなく自らを律して生きるということは、何の印もない岩を掘っていく作業のようなものなのかもしれない。以前仏を掘る仏師さんから、木や石の中には既に仏の姿がありそれを掘り出していくのだという話を聞いたことがある。そんなことにも近い、人生を終えるときにそれが終わるのかも分からない道のりに、それぞれの人はいるのかもしれないと、そんなことを思った。

パワーストーンと呼ばれるものは、一般には「効能」のようなものが強調されているが、結局のところ、それは何らかの「学び」とセットであり、効能のようなものはその結果得られるものなのだろう。あるときはそれが「試練」と呼ばれるのかもしれない。

ここ数日、一度増えた日記を書く量が減っているが、それは、やはり一日の中でのエネルギーの配分がうまくいっていないということなのだと思っている。もちろん、ここ数日の暑さのせいもあるだろうけれど、一旦、質として大きく変化させた食を、もう一段、自分自身の身体に合わせていくということが必要だと感じている。具体的にはビタミンB1が不足してきているのではと推測している。ビタミンB1は、イモ類や果物などに多く含まれる糖質をエネルギーに変える性質がある。サツマイモやリンゴ、バナナなどは日々摂っているが、ビタミンB1が多く含まれているという豚肉や玄米などは摂っていないため、糖質が十分にエネルギーに変換されていない可能性がある。ビタミンB1が不足すると乳酸がたまりやすくなり、欠乏症の初期症状として手足のしびれなどが起こってくる場合があるという。ここ数日、ひざ下の感覚が非常に鈍くなっているような感じがしていて、それは先週末にぴったりしたズボンを履いて長い距離歩き、肌が刺激されたせいだと思っていたが、それだけではないのではとも思う。主に豚肉などの肉類に含まれるビタミンB1だが、大豆や昆布にも含まれているようなので意識して補給をするようにしたい。欠乏症と書くと大げさだが、通常の食生活ではそれに匹敵するかそれ以上に多くのものが過剰摂取になっているだろう。それが脳や身体に与えている影響に気づかないまま、過剰摂取による負担を解消するためにエネルギーを消耗するという生活を続けていくと、その結果体はどんどん鈍感になる。鈍感な体は鈍感な心を作ると言っても過言ではないように思う。働くことと暮らすことが分断され健康のように見えるものを買う(その中身には無関心・無頓着)というライフスタイル自体を変えていくことが現代人には必要なのではないか。この仮説自体もこれからまた変わっていくかもしれないが、やはりまずは私自身が粛々と、生きることに取り組んでいくということが、自分の心や他者の心とつながる人が増えていくことに少しでも貢献できるのではないかと思っている。2019.6.25 Tue 22:44 Den Haag