172. 近くにあるほど見えないもの
173. 小さな夢

172. 近くにあるほど見えないもの

散歩から帰ってきて家に入る扉を開けるとひんやりとした空気が身体を包んだ。外の空気は湿気を含んでいたが、レンガ造りの家の中は空気が乾いているようだ。ベランダにパソコンを持ち出し、いつも書斎の窓から見ている空よりもずっと広い空を見上げている。

いつものように簡単な夕食を終えて、少しでも運動らしきものをしようと運動靴を履いて外に出たのは30分ほど前だった。地図で見たところ、歩いて5分もしないところに建物に囲まれた大きめの公園があるようだったので、そこに行ってみようと思っていた。しかし、公園の入り口には柵があり中に入れなかったので、そのまま建物に沿って1ブロック分を歩き、さらにそのまま建物に沿ってぐるっと左折を繰り返し、家に戻る方向に足を向けた。そのとき、はじめて見る景色に出会った。オレンジに近い明るい茶色のレンガの壁が続いていることは珍しくない。その上に、木が見えたのだ。3階建もしくは4階建の建物の屋根を越えて、円錐の先のように伸びた木々が並んでいた。おそらく、いつも通っているエリアの方角を向いているはずだ。しかし、そんな高さの木があることに気づいていなかった。近くにあるものはその大きさを正確に捉えることはできず、その存在さえもざっくりと「景色」の中に溶け込んでしまうのだということを思った。

そんなことを思い出していると、随分と力強く張りのある鳥の声が聞こえてきた。よほど大きな鳥なのだろうと声のする方向を見るも、それらしき姿は見えない。それでも声は聞こえてくるので、もう一度正面の木に目をこらすと、木のてっぺんに黒い小さな鳥が止まってその口を動かしていた。その声に呼応するかのように、中庭の奥の方からカモメの声が押し寄せてくる。

大通りの裏にあたる道は静かで、そこにはゆっくりと時間が流れているようだった。いくつかの窓には買い手募集中の張り紙のようなものがしてある。いつもなのか、この時期なのか、今年なのかは分からないが、最近は売りに出されている家をよく見かける。借り手を募集する張り紙もたまに見かけるが、買い手を募集するものの方が圧倒的に多い。そしてそのうち3分の1くらいはリノベーション中だ。大抵、日本式で言う1階から3階までがまとめて売りに出されているが、建物の奥行きも考えると、全体でかなりの広さになるだろう。我が家は1フロアでリビングとキッチン、寝室とベランダに小さな書斎、シャワー・トイレがあるが、それが3層分あってかつ庭がつくということになる。家族で住むにしろ、子供が数人いないとさすがにスペースを持て余すだろう。ここは1階にはオーナーさんが住んでいて、2階と3階をそれぞれ人に貸しているが、そんな感じで建物内の一部もしくは全部を分割して人に貸すことを前提として買うのだろうか。このあたりは、1階がオフィスや小さなお店になっている場所も多いが、中には「いつ営業しているんだろう」と思うような場所も少なくない。(そういうところにかぎって床面積もなかなか広そうだったりする)不動産の仕事をしていた頃の名残か、すぐに「ここだと月このくらいの売り上げは必要だろう」と考えてしまうが、そもそも私の持つ不動産や経済の原理とは違う仕組みで回っているのかもしれない。我が家の前、大通りを挟んで斜め向かいは、おそらく以前飲食店があったであろう場所がそのまま残っていて、10ヶ月前に私がここに来たときからずっと借り手募集の張り紙がしてある。近くの商店街の入り口付近の落ち着いた空間の雰囲気のコーヒー屋があったところも、募集の張り紙が貼られたのは店が別の場所に移転してから3ヶ月以上経ってからだったし、それからさらに2ヶ月ほど経った今もなおそのまま空いた状態が続いている。不動産の持ち主は急いで貸そうなどとは考えないのだろうか。この、「がんばらない感じ」で経済と暮らしが回っているところがオランダの不思議なところであり、好きなところでもある。2019.6.23 Sun 21:02 Den Haag

173. 小さな夢

ビシーっとレンガ造りの家が並ぶ静かな住宅街を抜けて、運河の近くに出た。運河にかかる横断歩道を渡り、運河に沿って歩く。こちら側には先ほどの通りよりも古い家々が、そして運河の向こう岸(というほど遠くはないが)には、ボートハウスが並んでいる。古い家は出窓や小さなバルコニーが多く、家の扉や窓もそれぞれ大きく違っている。それぞれに個性がある家が連なって、どこか一体感のある景色をつくっている。ボートハウスのテラスのソファでのんびりと過ごす人たちを見て、今日が日曜日であることを思い出す。

今の私のささやかな夢であり目標は、福岡にいる父と母と一緒にオランダでのんびりとした時間を過ごすことだ。三人の兄妹にそれぞれ「どこの国にでも発音してもらいやすいように」と名前をつけた父と母がはじめてパスポートを取ったのは妹が海外で結婚式をすることを決めた後だった。自分らしく自由に生きることを願ってくれていた二人にとって私が欧州に渡ることを選んだことは、嬉しいことであり、でもきっと、どこか寂しさや理解ができない部分もあっただろう。言葉にはしないが、今でも私に対する願いと心配を、たまにする短いメールのやりとりの中からも感じる。母からは以前、「ストックホルムはどうですか?」とメールが来たことがあった。私はどうやら「とても遠い、北の方」にいることになっているらしい。父からのメールには「外国にまた行きたいと思っています」と書いてあったことがあった。

そんな父は少し前に足腰を悪くし、一時は歩けなくなっていた。運転を諦め、車を手放したことを知らせるメールから、これまで見てきた世界と自分が切り離されていく苦しさのようなものを想像した。4月に実家に帰ったとき父が母に「オランダに遊びに行って来たら」というようなことを言った。自分がいくことはもう諦めているのかもしれない。そうすると母は、最近耳が聞こえなくなっているという犬に向かって「毎日一緒にいようって約束したんだもんね」と話しかけた。母方の祖母は90歳をすぎ、犬は15歳を過ぎている。母は今、大切にしたいものがあるのだろう。それはきっとずっと続いていくだろうし、二人は(私も)年老いていく。ちょうどいいタイミングなんてないのだろうけれど、やはりいつかこの中庭や、運河に浮かぶボートハウスや、レンガ造りの家を一緒に見て、できればこんな、陽の長い夏の夜を味わいたいと思っている。

どこからか、子どもたちの歌声が聞こえてくる。うろこのように広がった雲は微かに東に向かっている。ピイピイと鳴く鳥の声がにわかに大きくなり、そして遠ざかって行った。2019.6.23 Sun Den Haag