170. 朝を小さく変える
171. 日常の中の異国、異国の中の日常

170. 朝を小さく変える

日記を書こうとパソコンを開いたら、随分とたくさんのウィンドウが開いていた。パソコンのデスクトップの画面は頭の中とリンクしているように思う。一つ一つ、保存するもしくは閉じるという作業をしていくことは頭と心の中を整えることにつながるだろう。向かいの家の庭からうっすらと煙が上がっている。男女の声も聞こえる。家族でバーベキューをしているのかもしれない。

今日は目が覚めると10時を過ぎていた。昨夜、というか今朝、セッションを終えて、振り返りなどを整理していたらすっかり頭が冴え、ベッドに入ったのは4時すぎだったことを覚えている。天気が良く寝室は暑いくらいだったが、眠りの質が悪かったのか意識がやってきてもなかなか起きだす気が起きなかったが、いよいよ横になっているのにも飽き、ベッドを出てシャワーを浴びた。オイルプリングのためにココナッツオイルを口に含むと、なぜだかホッとした気持ちになった。一昨日から朝のヨガは「太陽礼拝」と呼ばれる、おそらく非常にベーシックな流れを行うものに変えた。それまではYouTubeの動画をガイドにしており、それはそれで自然の中でヨガをする画像と使われている英語が美しく気持ちがよかったのだが、流れてくるガイドの通りにポースを取っていくことに慣れてしまっていたためもう少し能動的に動いてみたいと思ったことと、できるだけ(勝手に広告が表示されるような)電子ツールとは距離を置きたいという考えからやり方を変えることにした。本を見ながら新しい流れをやってみると、シンプルな動きの繰り返しだが、数回繰り返すだけで体があたたまることを感じた。ガイドに耳を傾けるのではなく、より自分の呼吸と動きに意識を向けたことで、体の反応が受け取りやすくなっているようにも思う。長すぎた睡眠の後はなんとなく身体が置ききらないまま一日を過ごしてしまうことがあったが、ヨガをし白湯を飲むようになって、どんな時間帯に起きてもどうにか一日を始めることができるようになってきている感じがする。あとはできれば一日の中でどこかにランニングなどの軽い運動を入れたいけれど、いつがちょうどいいタイミングなのかこれもいろいろやってみることが必要だろう。運動をすれば体力がつくが、運動をするだけの体力がない。と思っているが、運動をする明確な理由や利点がまだ自分の中にないということなのだろう。しかし、身体的な活動から自分を変革したいという思いは強まっている。2019.6.22 Sat 20:31 Den Haag

171. 日常の中の異国、異国の中の日常

今日はハーグのマーケットまで出かけてきた。ハーグには月水金土に開いているヨーロッパ最大級と言われる屋外のマーケットがある。家からはほぼ一本道で歩いていくことができて、自転車を使えば10分ほどで着くが、自転車は何かと気を遣うのと(オランダ人は普段は穏やかだが、こと自転車道では我先にと道を急ぐ)少しでも体を動かしたかったので、散歩がてら歩いていくことにした。マーケットと家の間にはサッカーコート2面にテニスコートも備えた運動広場のような場所があり、その脇には馬を遊ばせる(?)スペースもあった。そのあたりまでは比較的静かなエリアだが、その後、一本大通りを渡るとそこからは街の雰囲気が少し変わる。マーケットの近くは特にイスラム系の移民が多いエリアだ。ヘジャブと呼ばれるスカーフのようなものを頭に巻いた人も多く、自分が「ヨーロッパ」もしくは「外国」を、いかに欧米人的な人々がいる場所として想像していたかということ、そしてオランダが180カ国以上の人が住む移民大国であるかということ、さらに自分も移民の一人であることを思い出させられる。

マーケットは塀のようなもので区画されているが、その周囲にも出店のようなものが出ていて、近づくにつれて人も増え、お祭り会場のようだった。入り口付近の屋台で焼きトウモロコシを買って食べ、マーケットの敷地に入るとそこはもうオランダではなかった。

どうやって使うか分からない、色とりどりの光沢のあるスカーフに、アジアの物価にも負けない価格の衣料品やバック・時計などが並ぶ。耳に入ってくるのは自分が認識できる言葉ではなく、「異国の音」が身体を包む。以前、フランス人の友人が日本のどこかのエリアを「エキゾチック」と言っていて、全くピンと来なかったことを思い出す。「エキゾチック」とは「異国情緒のある」という意味で、それは「母国」に対する「異国」であり、同じ言葉がそれぞれの人にとって全く違うものを意味しているのだとそのときに知った。私にとっての「エキゾチック」はまさにハーグのこのマーケットだ。小さな店が並び、怪しげな商品が並んでいるというあたりはアジアの各国にあるマーケットにも近いが、それらとの違いはアジア独特の香辛料や街の香りがしないところだろう。真っ直ぐに伸びた通路を進むと、野菜やフルーツが売られているエリアに入る。道ゆく人は一段と増え、店の人が体全体から出す声が活気を増幅させる。体系も顔立ちも服装も言葉もそれぞれに違う人たちの流れの中で、これまで過ごしてきた異国での時間が頭の中で再生されていった。

ドイツで通ったドイツ語学校で最初に教えられたのは「ドイツ語は名詞の最初の文字と、文章の最初を大文字で書きます」ということだった。「名詞の最初の文字を大文字で書く」というのは英語と違う点なので、知らせるのは当然のように思えたが「文章の最初を大文字で書く」ということがわざわざ伝えられたことには驚きを覚えた。どうやらアラビア語には大文字小文字の区別がないようだ。そういえば日本語も「文章の始めだから文字を大きく書く」ということはない。

授業の中で、働く時間やライフスタイルの話題が出てきたときにインドや韓国から来た生徒(そして私も)が「仕事をする以外の時間も大事だ」というようなことを言ったときに、南アフリカからドイツに来て医療を学んでいる生徒が「3rd countryはそうはいかない」と英語でつぶやいた。

欧州で暮らす前、はじめてドイツのミュンヘンに行った帰りに乗ったエミレーツ航空の飛行機が遅延し、ドバイでの乗り換えができなかったときは急遽12時間ドバイに滞在することになった。ここ50年で急速な発展を遂げたドバイは、建築途中の高層ビルが並ぶ人工的な場所だったが、砂漠に車を走らせ赤い月の下で歌や踊りを楽しむ人々は、祖先たちが過ごしてきた悠久の時を名残惜しんでいるようだった。

活気と熱気に包まれたバンコクでは、バリバリと仕事をしていた元同僚の女性が「結婚してゆっくりと暮らしたいと思っている」と、煌めく街の明かりを見下ろしながら話してくれた。

見たこともないアラビアンナイトの世界に迷い込んだような気にさえなるハーグのマーケットのことを、私はいつか「懐かしい」と思うようになるのだろうか。それとも、人生を閉じるまでこの場所は、私の「エキゾチックな日常」であり続けるのだろうか。

マーケットを出てまたてくてくと真っ直ぐな道を歩き家に向かった。途中、赤いトラムが線路の上を滑るように通り過ぎていった。2019.6.22 Sat 21:10 Den Haag