143. 啄木
144. 走り去ったような1日の終わりに

143. 啄木

薄くすくったバニラアイスクリーム。今日の空にはそんな雲が浮かんでいる。赤い嘴を持つ緑の鳥は、今日も隣の庭の木になる実を啄ばんでいる。先ほど、ヨガを終えて白湯を飲んでいるときにふとリビングからトラムの通る通りを見ると、通りの真ん中に立ち並ぶ木の一つに、頭の先が赤い鳥が止まっているのが見えた。ちょうど真横から姿を見ることになったその鳥は苔のついた東側の幹をコツコツと嘴で小突きながら登っていく。いっときその姿を眺め、そしてリビングから続く寝室の、さらにベランダへと続く、ガラスの入った扉を大きく開けた。今日も肌に触れる空気は冷たい。ベランダの先まで出て中庭を眺めると、2軒ほど西側の家の屋根に座った小さな黒猫がこちらを見ていた。今この瞬間にこちらを見たのか。それとも私が扉を開ける音が聞こえてきたのだろうか。私を一瞥し、東の方に視線を戻した猫は、にゃあと話しかけてもそっぽを向いている。あの猫も、そのうち「小さな黒猫」ではなくなるのだろうか。中庭の先の、木の茂みから聞こえてくる鳥の声に耳を澄ませて、リビングに戻ると、先ほどお湯を沸かしたケトルの先から、白い蒸気が出ていた。美しい朝だと思った。

先ほど見た頭の先の赤い鳥はキツツキではないかと思い、調べてみると確かに見た通りの鳥の写真が表示された。古い言葉ではケラ(啄木鳥)とも呼ばれるらしい。「啄木」という字を見てヘッセの言葉を思い出す。『鳥は卵の中からぬけ出ようと戦う。卵は世界だ。生まれようと欲するものは、一つの世界を破壊しなければならない』(ヘルマン・ヘッセ 『デミアン』より)

一つの世界から出ようとするときに感じる苦しみを、ここのところよく感じている。それは自分自身もそうであるし、クライアントさんの姿からもだ。長い時間を過ごしてきた世界から出るとき、それが自らの選択であってもそうでなくても、無意識のうちに自分の一部であり全部となっていた世界と自分を引き離すには寂しさや痛みを伴う。自分の中の大切なものがどこかにいって穴が開いてしまうような、そんな気持ちになる。そして、そうは言ってもすでに変化しつつある自分がそこに身を置き続けるのは具合が悪く、自ら、過ごしてきた世界の殻を破ることになるのだが、それは勇気がいる。殻の外にはどんな世界が広がっているのか、そこで自分が何を感じるのかは分からない。分からないものに人は様々な想像をする。そんなとき、私にできることは何だろうかと考える。

禅語に「啐啄の機」(啐啄同時)という言葉がある。「啐」は卵の中から出ようとする雛がコツコツと卵の中からつつく音、「啄」は卵の外から母鳥がそれをつつく音であり、そのタイミングが合っていることが重要だという意味だ。母鳥が外からつつくのが早すぎても遅すぎても雛は死んでしまうという。しかし私は母鳥ではない。人間の仕組みとして、これまで一体となっていたものから離れる苦しみを伴う時期の先にまた新しい世界が広がるということは頭では理解している。しかし、一人一人の人生はその人の人生であって、その先に広がる世界は一人一人違うものであって、少なくともやはり私が、「その人が今いる殻の外側」にいるわけでは決してない。もし、クライアントさんが、自らの世界から抜け出ようと、その殻の中にいて、その殻を叩いているとしたら、私はどこにいるのだろうか。きっとどこにもいないのだろう。例え物理的に存在を確認できたりするとしても、やはり人の生きる「世界」という意味では、一人一人は全く違う中にいて、それぞれの意味や物語で世界を捉え生きているのだ。私の生きる世界と誰かの生きる世界が同じものになるということはないだろう。だからもし、私がいるとすれば、「その人の中」ということになる。その人独自の世界観、「心の中」で私が生成されている。それは、「希望」と呼んでもいいかもしれない。苦しい中でも自分を信じる心を失わず、コツコツと微かに聞こえる殻の外からの音に耳を澄ませる。そんな、「人の持つ希望」であり、「生きる力」が私をそこに存在させているのだと思う。結局のところ内側から殻を壊そうとするのも、殻の外側からコツコツとつつくのも、その人自身なのだ。たまたま、何かのきっかけで相手の中で「私(佐藤草という存在)」を感じるようになったが、それはもしかしたら、他の人であったかもしれないし、動物や植物、何かもっと違うものであったかもしれない。とにかく、その人が何かを望んだから、それが私という存在として、その人の中もしくは外に投影されているのである。

私は、人の中にある小さな震えを少しだけ聞こえやすくする、空間にある粒子のような、共振体のようなものなのかもしれない。普段は聞こえていない音、相反する音、それらが聞こえ始めたとき、それが不協和音となることもある。しかし一つ一つの音に耳を澄ませて、全体を聞いたなら、それらは実は音楽となっていることに気づく。そして音楽を奏でているということ自体が、人が生きるという営みそのものであるということに気づくだろう。私が見る周囲の人々もまた、私にとっての「希望」なのだと思う。2019.6.12 8:13 Den Haag

144. 走り去ったような1日の終わりに

先ほど、と言ってもつい3分ほど前だったと思う。書斎の窓から空を見上げたら、うろこ雲が連なり、ちょうど魚のような形になっていた。大きな魚は西の方から射すオレンジがかった太陽の光を受けて、東の方に悠然と進みつつあった。そして今既に大空原(空を海に例えるとそういうことになるだろうか)に姿を消している。世界に現れる美しさとは、様々なものが重なり合った瞬きなのだということを実感する。

中庭からはまだいくつかの種類の鳥の声が聞こえてくる。向かいの家の1階の、おそらくリビングスペースには珍しく明かりが灯っている。遠く東の空には、またゆっくりと動く雲の一団が見える。「この景色をもっと味わっていたい」そういう想いを、確か昨日か一昨日、書斎の窓から外を見たときにも味わったが、それは目にしたときだっただろうか。

今日は12時すぎから21時前までずっとパソコン作業をしていた。午前中の対話の時間に湧いてきた、というか心と体にピタッと一致した言葉や視点があったので、それを早速言葉や形にし始めたら思いの外没頭してしまった。12時すぎにリンゴを、15時すぎにバナナにカカオとマカのブロックを混ぜて豆乳をかけたものを口にし、16時すぎには朝飲んでいなかったチアシードを飲んだが、18時を過ぎても食の必要に迫られず、むしろ波に乗っている作業を止めたくないという気持ちから「まだ大丈夫だ」とねばり、やっと夕食らしきものを口にしたのは19時をすぎてからだった。それもサツマイモ1つにココナッツオイルを塗ったもののみだ。昨日まではレタスと豆腐に塩とヘンプオイルを食べた後にふかしたサツマイモを食べていたが、それだとある程度満足しかけたお腹に、駄目押しのサツマイモを入れるという感じで、食べ過ぎになっている気がするのと、サツマイモそのものを味わいきれていないという感じがしていたので今日は順番を変えようと思ったのだった。しかし、サツマイモを食べ終わったところで満足してしまった。やりたい作業が残っていたからかもしれない。

随分とパソコン作業をしたし、明らかにもう思考力は下がってきているので今日は日記を書かずに身体を休めようかと思ったが、一昨日の書で感じた仮説が思い出された。自分が限界だと思うところを越えてからの鍛錬の積み重ねが、長い目で見ると変化を生んでいくのではないか。日記についてそれが言えるかは分からないけれど、とにかく今日も、少しでも何かを書いてからベッドに入ろうと思った。

「自己一致」という観点から、サイトやサービスの整理については一刻も早く取り組みたかったので昨日、今日と1日の大半の時間を使ってきたが、学びや実践、言葉を作ることも、できればこれからはゆっくりと行っていきたい。1日でどんなに量を積み重ねたとしてもその中だけで質的な変化は起こりづらいのではないかという気がする。違う領域のことに並行して取り組むことによって、それぞれの中にある固有の構造や共通点が見えてきて、ある方面での気づきがこちらの方面でも活かせるということが起こるように思う。「急がば回れ」とはこういう意味もあるのかもしれない。

もう頭は働かないと思っていたが、書き始めると意外に指が進んでいるのは日中の食のせいだろうか。おなかの左側あたりに少し「もたれ」のようなものを感じるが、これは今日サツマイモにココナッツオイルを塗って、油分を取り過ぎたためだろうか。今日は洗濯物をしようと思っていたがそれさえもすっかり忘れていた。振り返ってみると、思考のスイッチが入ったのはおそらく12時すぎに雨が降り出したときだろう。昨日9時すぎに15分ほど運河沿いを走ると(走ると言っても大した速さではない)、鳥の声が聞こえて気持ちがよかったのでこんなに気持ちがいいのなら明日も走ろうと思っていたのだが、今日はひといきついたところで雨が降り出した。買い物にも行けないし、であればのってきたこの作業をどんどんと進めてしまおうと無意識と意識の境目くらいの意識が決めたのだろう。

日記はこのまままだまだ書けそうだし、書き留めておきたいことはたくさんある。しかしこのままではいつまでも眠りが始まらない。最近は、次の日が来るのが夜のうちから楽しみだ。しかし、と思う。今日は走ってはいないが、ここのところ走るように1日を過ごしていた。このランナーズハイのような状態の快感と、それによって見逃してしまうものがあることを思い出す。呼吸を整え、静かに耳を澄まし、ゆっくりと世界に溶け込むように。明日からはいまここにある時間を味わう暮らしに戻っていこうと思う。2019.6.12 22.17 Den Haag