121. 知らない人になる

ドイツでの2泊3日をあっという間に終えようとしている。フランクフルト空港のターミナルは行き交う人の足音と話し声、時折聞こえてくるアナウンスに包まれている。

一昨日、この空港に到着したのは19時半を過ぎた頃だった。結婚式で着るためのワンピースと靴、パソコンなどを入れた小さなスーツケースを機内に持ち込んでいたので、あっけなく到着エリアを出ることができた。そのままスムーズに滞在先であるマインツに向かう電車に乗れるかと思ったが、券売機で思わぬ足止めをくってしまった。フランクフルト周辺には長距離電車であるドイツ鉄道(DB)と都市内交通であるラインマイン交通連盟(RMV)の二種類の交通機関があり、フランクフルト空港の鉄道駅にある券売機もDBの赤色の機械とRMVの青緑色の機械の2種類が並んでいる。ドイツに暮らしていたときは券売機ではなくアプリで切符を購入しており、前回ドイツに来た時はレンタカーを利用していたので鉄道駅で切符を買うのは一昨年ドイツに初めて来た時ぶりかもしれないくらい久しぶりだった。滞在先のマインツはフランクフルトから約40kmほど離れていて、二つの街の間にフランクフルト空港がある。フランクフルト空港からマインツまでは長距離列車で行くのでDBの券売機で切符を買えるだろうと券売機を操作するも、行き先を上手く見つけることができない。隣の券売機では同じように、フランクフルト中央駅までの切符を買おうとしているインド系の男性がいたが、彼もやはり行き先までの切符を見つけることができないようでどうしたらいいかと声をかけてきた。最終的には近くにいた案内員のような人に私が買いたい切符はRMVの方の券売機で買うのだと教えてもらい、「ヤパン(日本)から来たのか」「そうだ」という会話をしながら、どうにか切符を購入することができた。ヨーロッパで知らない街を訪れると交通機関の切符の買い方が分からないということはよくある。しかし、自分が1年以上を過ごしたフランクフルトでそれが起こるとは思ってもみなかったので、なんだかとても新鮮だった。自分がその場所のことを知らない人であれるというのは、知った気になって目的地にただ真っ直ぐ向かうよりもずっと心地いい。マインツに近づく頃には20時をとっくに過ぎていたが外はまだ明るく、電車の窓からはオレンジ色にキラキラと揺らぐ、マイン川が見えた。2019.6.4 17:30 Den Haag

122. ドイツでの結婚式という新しい体験

約48時間ぶりにハーグの家に戻ってきた。体感温度が31度を越えていたドイツのフランクフルトやマインツに比べると随分と涼しい。開け放った寝室の窓から入ってきた風がふわりとカーテンをなびかせ、足元をすり抜けていった。いつもなら書斎で日記を書いているところだが、書斎では隣の保育所の庭で遊ぶ子どもたちの声が大きく聞こえるため、寝室の机の前にバランスボールを持ってきてパソコンを開いている。フランクフルト空港は朝、ちょうど混み合う時間帯だったのか、セキュリティチェックの手前から人の多さを感じた。幸い、並んでいる人がそう多くない入り口への誘導を見つけ、10分も並ばないくらいでチェックを受けることができたが、日本で買っていた日焼け止めを没収されてしまった。液体だからと透明の袋に入れていたが、それを見た検査員が日本語で書かれた容器をまじまじと見つめ、これは100mlを超えているから持ち込みできないと言った。見ると確かに容器には120mlと書かれている。使っているので中身は120mlより少なくなっていると伝えてみたが、「100ml以下の容器に入れなければいけない」という規定に引っかかってしまうことは免れなかった。同じ容器に同じ状態で行きのオランダでのセキュリティチェックは通過していたが、それはラッキーだったということだろう。

足元をさらう風が冷たくなったと思ったら、雨が降り出していた。ベランダに置いた椅子の座面にあたる雨粒の音がパタパタと聞こえる。暑くなったかと思えば雨が降る、この季節のオランダはそんな天気が続くと聞いたが本当にそうみたいだ。それでも日本の梅雨のように気持ちまで晴れないということは今のところあまりない。しとしと、じとじと。そんなこの時期の雨を形容するような言葉が湧いてこないのは、この地域の建物の材質や植生なども関係するのだろうか。日本人のもつ音の感覚については以前日記でも触れたことがあるが、森羅万象の中に人間を超えた存在を感じてきた日本人の感性と、自然の中にある音に対する感性というのは関連があるのかもしれない。昨日体験したドイツでの結婚式も、日本人の本来持つ感覚とは何かを考えさせられるものだった。

昨日のドイツ人の友人の結婚式は、まず教会での挙式、そして場所を変えてのパーティーが開催された。それだけ聞くと日本の結婚式と変わらないように思うが、その内容は日本のそれとは全く違うものだった。

挙式をした教会は、街中の住宅街の一角にあり、当たり前だが普段から教会として使われている場所だった。招待状に書いてあった時間の10分ほど前に教会の前に到着すると、ワンピースを着た女性たちと、スーツにネクタイをした男性たちの比較的若い一団と、服装は同じような感じだがもっと年齢が高い人たちの一団ができていた。「随分若い人がいるな」と思うと同時に、結婚式を挙げるドイツ人の友人の女性は学校の先生であることを思い出した。日本でいう中学校か高校にあたる学年の先生だったと記憶しているが、若い人たちの一団の中には大学生と言われてもおかしくないくらい大人っぽい女性たちもいる。挙式の時間が迫っていることを誰かが告げたのか、広場にいた人たちがぞろぞろと教会の中に入り始めたのでそれについて教会の中に入った。(後から彼女に聞くと、難民でドイツ語があまりできない人は実際の年齢よりも下の学年に入っているため彼女のクラスには15歳から18歳までの子どもがいるということだった)

日本では真朱(まそお)と呼ばれるピンクがかった赤色に塗られた外壁を持つ教会の中は、白い壁に様々な色や形のレリーフが施され、その中に多く使われている金色の映える、荘厳ながらも華やかな空間だった。高い天井いっぱいに描かれた絵の端には1775と文字が読める。それが建設した年だとすると、もうすぐ250年を迎えることになる。華やかな装飾と祭壇にある十字架、そして椅子の足元に横板が渡してあること(一見、そこに足を置きそうになる)から、そこがカトリックの教会であることを予想した。 

新郎新婦と直接関係がある人以外で参加しているのは神父さんとオルガン奏者のみで、式は、思った以上に宗教的な儀式としての流れに則って進んでいった。新郎新婦の誓いの言葉のようなもの、新郎新婦の友人たちが読み上げるもの、全員が声を合わせて復唱するもの、そして歌われた3曲の賛美歌。そのほとんどは意味が分からなかったけれど(そして、席に置いてあった冊子に賛美歌の楽譜が書いてあったにも関わらずオルガンに合わせて賛美歌を歌うこともほとんどままならなかったけれど)、その一つ一つに意味があり、それを新郎新婦や参加者が理解をして式が進んでいっているということを感じた。同時に、日本で行われているキリスト教式の多くが、参加者がその意味を理解せずに演出として行われているもので、教会を模した日本の結婚式場が一つ一つの装飾の意味も十分に理解されないまま形になっているハリボテのようなものかもしれないという考えが浮かんできた。きっと、最初にキリスト教式の結婚式を見た日本人は純粋な気持ちで、そこにある美しさと神聖さに感動したのだろう。しかしそれが日本に持ち込まれ、商業的に広がるとともに、そこにあった宗教的な意味や歴史は置き去りにされてしまったのではないか。そもそも古来の日本人はどちらかというと見えないものに意味を見出すのが得意だったのではないかと思う。例えば相撲の土俵は神聖な場所だと見なされているが、その周りに厚い壁を作るのではなく、藁を編んだものや、四隅に立てた柱などでその「内と外」が区切られている。神社の鳥居も、そこに厚い扉があるわけではない。それは、キリスト教式において、そこで唱えられる言葉の中に神との約束となる誓いを見出す概念と共通するものもあるかもしれないけれど、そして「型」から入りそこに本質を見つけていくのが日本人の特徴とも言えるかもしれないけれど、借りてきた型をそのままに、そこに本来自分たちが信じていたものは何なのかを問い直さないというのはあまりに浅はかなのではないか。そもそも今となっては自分たちが何を信じてきた者なのかというのも忘れてしまっているのではないか。そんなことを、教会での時間を振り返って考える。

実際にその場で過ごしているときは、「言葉は分からなくてもここで起こっていることをただ味わおう」という気持ちでいたので、たびたび聞こえてくる知っているドイツ語の単語を頼りにしながらも、言葉そのものではなく、それを発する人の想いやエネルギーに耳を傾け、意識はその場の空気に溶け出していた。

教会での式の後、山の中のパーティー会場のようなところに場を移して行われたパーティーは、教会での式のように宗教的・儀式的なものでは全くなかった。招待状に書かれている開始時刻になっても新郎新婦は現れず、参加者はそこに設置されたポラロイド写真が撮れる機械で写真を撮って新郎新婦に渡すアルバムを作ったり、出される飲み物や食べ物を楽しんだりしていた。新郎新婦が到着してからも、何となく参加者たちと話しをして、その場で調理されていた料理が出来上がる頃を見計らって、ようやく席につくように促され、二人がそれぞれ挨拶をし、参加者を紹介した。そしてビュッフェ形式の中、おのおの自分で料理を取っていく。食事がひと段落するとなんとなく庭のようなスペースに参加者が出て、バラバラと話をする。その間、司会者のような人はいないし、日本の結婚式で定番の新郎新婦の生い立ちのスライドのようなものもない。途中、ダンスタイムでは新郎新婦の踊りが最初に披露され、それは事前にネットで調べた「ドイツの結婚式の定番」のようなものではあったけど、その後、出てきたケーキに二人でナイフを入れるものの、二人は切り取ったケーキをあっけなく自分たちの席に持って行ってケーキを食べ始めるだけで驚いた。日本のように「シャッターチャンスです」という煽りや「ファーストバイトでケーキを食べさせましょう」といった演出がないのだ。友人である新郎新婦がドイツ人の中でも特に形式的なやり方にとらわれないという考え方が強かったのかもしれないけれど、過剰な演出がされていないパーティーは居心地よく爽やかなものだった。

もう一つ驚いたのは、参加した人たちの多様さだ。ポラロイド写真を撮ろうと並んでいたときに話しかけてきた老人は新婦の父親の兄弟にあたる人だったようだが、元々はベルギーに住んでおり、娘さんはアメリカに留学したときにできた別の国出身の(国の名前を聞いたが忘れてしまった)ガールフレンドができて、そのガールフレンドはオランダのハーグに住んでいるという。そんな話をしていたことを聞いていたようで、その後、新婦の父親が「あなたはオランダに住んでいるのか。オランダ語は話せるのか」と聞いてきた。「残念ながらまだ話せない」と伝えたものの、その後もまた新婦の父親の別の兄弟が同じように「あなたはオランダに住んでいるのか。オランダ語は話せるか」と聞いてきた。オランダ語が話せないことを伝えるとその人も残念そうな顔をして、「ブリュッセルの北側で話されている言葉はオランダ語と同じなんだ」というような話しをしてくれた。極東のアジア人と母語で話ができるかもしれないということに喜びを感じてくれたのかもしれないと思った。また、別の場所では新郎の従姉妹だという女性が話しかけてきた。現在はオーストラリアに住んでいて、オーストラリア人の旦那さんとともに1ヶ月の休暇を取りドイツに遊びに来ているという。(オーストラリが冬の時期に毎年遊びに来ているということだった)「あなたもベルギーに由来があるのか」と聞くと、そちらの血筋には関係がなく、新郎の父方の親族とは会うのも初めてだと言う。一方新婦側の親族たちは目鼻立ちがハッキリしているがゲルマン系の人たちのようなガッチリとした感じはなく、どちらかというと東欧系の人たちのように感じた。血縁関係というのが国をまたいで存在し、その人々が一堂に会して、一緒に二人の結婚を祝い、思い思いの時間を過ごす。そこに人が持つ自然な心の形があるように思えた。

はじめての日本以外の結婚式は、特別であり自然なものだった。あれがどんな体験だったのかは、この先繰り返し更新され、新しい意味をもたらし続けてくれるだろう。向かいの家の屋根には一羽のカモメとまり、時折キョロキョロと顔を左右に動かしている。リビングの向こうからは、定期的に通りすぎる路面電車の音も聞こえる。そういえば家に帰ってきてすぐに回し始めた洗濯機がとまってからだいぶ時間が経っているはずだ。静かな暮らしの中でぽこぽこと浮き上がってくる言葉や気づきをつかまえる。そんな日常に戻ってきた。2019.6.4 18:04 Den Haag