106. ただいまを言うように

トラムを降りると、雨の匂いがした。空港でスーツケースから引っ張り出したスプリングコートを羽織っているが、それでも空気をひんやりと感じる。家の扉を開けると、玄関脇の棚に郵便が積み重なっていた。私宛のものは一通。それ以外はオーナーのヤンさんに宛てたものだった。中には見覚えのあるものもある。どうやらヤンさんは私が留守にしていた間ずっと帰ってきていなかったようだ。階段を昇り、寝室の扉の鍵を開けると、この部屋独特の、洗剤のような匂いがうっすらとした。昨年の8月末に初めて部屋を見にきたときに感じた匂いだ。「帰ってきた」と思った。

シングルマットが二つくっついたベッドには片側だけシーツがかけてあり、掛け布団はきちんと畳まれている。リビングの広い机の上には何もない。キッチンにも出しっぱなしにしてあるものはない。出かける前にきちんと片付けをしていた自分と、この気持ちのいい家に暮らせていることに感謝の気持ちが湧いた。

日本から帰ってきたせいだろうか。天井が随分高く感じる。私の背丈の倍近くあるように感じるということは3mくらいはあるだろうか。部屋が必要以上に広く、ましてや豪華である必要は全くないけれど、この余裕のある空間は私にとってとても大切なのだと改めて実感する。ここでの思考は、この空間からも影響を受けているのだろう。

書斎から、向かいの家の庭で男性が煙草を吸っているのが見える。久しぶりにこの窓に明かりがついて、人がいることに気づいているだろうか。強くなった雨が、庭の藤棚のような木の棚に伸びた植物を濡らしている。出発前よりも随分と葉っぱが茂っている。庭の角にある木にポンポンと咲いていた花はすでに盛りを過ぎ、茶色くしおれかけている。庭に咲いていたいくつかの花も、すっかり葉に変わったようだ。斜め前の家の屋根につけられたポールの先にはカモメの形をした黒い凧がぐるぐると飛び回っている。

中庭の景色は少し季節を進めているが、変わらない静けさがここにはある。それを見る私は何か変化があっただろうか。

日本での時間を振り返ると、走りさるようにあっという間で、しかし、日本で暮らしていたときは、そんな風に毎日を過ごしていたように思う。朝起きて、心の準備が整うよりも早く一日が始まり、一日を振り返る余力がないまま目を閉じる。そんな環境のせいにして日記を綴らないままになってしまっていたが、それによってこれまでいかに、昨日の延長線上にある今日をただ過ごしてきたかが分かったように思う。そこには、できることこなすことの量的な変化はあるかもしれないけれど質的な変化は起こりづらく、少なくともそんなことに自分が意識を向ける間も無く、放っておけば数年という時間があっという間に過ぎてしまう。

日本滞在中のことは、これから数日の間に振り返っていくかもしれないしそうでないかもしれない。いずれにしろ私はオランダに戻り、ここでの暮らしを静かにまた始めようとしている。来週はまた友人の結婚式で数日ドイツに行くが、それ以外はこれから数ヶ月間、できるだけ静かにここで暮らしていきたい。今回は京都でも東京でも中心部から少し外れた静かな場所に滞在していたので気力体力の消耗は前回ほどではないが、ここからはとにかく自分の内側と向き合うことに重点を置き、それを関わる人や世界に粛々と還していきたいと思う。

京都から東京に移動し、飛行機を降りた途端と言ってもいいくらい突然に右手の親指と人差し指の間がかぶれたようになった。そして東京滞在から日本を離れる間に右手の手のひらに少し手荒れが出てきた。ドイツにいたころは手荒れが出る時期があったがオランダにきてからは落ち着いていたので久しぶりの症状だった。これは日本での食生活が影響を与えているのではないかと思っている。久しく食べていなかった卵と肉が含まれる食事が続き、全体としては明らかに過食になっていた。明日からはまた控えめな食生活に戻し、何にどう身体が反応するかを確認していきたい。

書斎の机の上に置いていたキャンドルが、煙をあげ消えた。外はまだ明るい。日はさらに長くなっているのだろうか。特に京都で過ごした時間は良い時間だったが、それ以上にオランダで普通の暮らしに戻ってきたことを嬉しく思っている。明日からの静かな日々に向けて今日もこのまま休むことにする。2019.5.26 22:00 Den Haag