103. 胃にねずみが居座った朝の夢

そういえば朝鳴いている鳥の声に少し厚みが出た。カモメが木の枝を加えて、随分近くを飛んでいく。ぼこぼことした押し寄せる波のような雲は速いスピードで東の空から南へと動いていく。明日のこの時間にはすでにスキポール空港に向けて出発しているだろう。そう思うと、いつまでもこの書斎の窓から見える朝の景色を味わっていたくなる。

そんな中、胃のあたりにはまだ、何かが丸まってる。お腹が鳴っているので消化は終わっているのかもしれないが、昨晩ベッドに入ってからずっと、心地よくないものがそこにある。そのためか、昨晩はなかなか寝付くことができなかった。二十二時近くまで日記を書いていて、頭と目が冴えていたこともあるだろう。思考も感情も眠りの質も、食べ物に起因するのかもしれない。特に今のように絶えず人とのコミュニケーションが発生したり、人混みの中に身を置くわけではない環境の中では自分の内側の状態から影響するものが多いだろう。運動と食と自分の状態の記録をつけていくとその関係性が見えてくるかもしれない。今使っている手帳にはメモを書き込める欄がたくさんあるので、記録をつけてみようと思う。

今朝の夢は、起きる前に見ていた少しの部分だけ覚えている。夢の中で私は、スポーツ大会のようなもので選手宣誓をする予定になっていた。一人の女性が先にマイクの前に立ち選手宣誓をしたが、彼女は選手宣誓をするのが自分一人だと思ったらしく、宣言文が書いてあるファイルのようなものを持ってその場を立ち去ってしまった。私もマイクの前に立つが、宣誓文がなくてどうしたものかと困惑していると、間も無く二人の人が来て私の前で大きなファイルを開いてくれた。しかしそこに書いてあるのは選手宣誓の文章ではなかった。「選手宣誓くらい見たことがあるし」と思うけれど、私も「宣誓」という先に何と言ったらいいか分からずどうしようかと焦っていた。そのあと、場面転換があってから目が覚めたように思う。

庭の木の、向かって左側が太陽に照らされ黄緑色に輝いている。その下に黒い小さな猫の足が見えている。今日もセッションは打ち合わせがあり、明日の旅立ちに向けての準備もあるのであっという間に一日が過ぎてしまいそうだが、目の前にある小さなものの美しさに目を留めたい。2019.5.15 7:15 Den Haag

104. 満月に向かい旅立つ前夜に

見上げると、空に薄いねずみ色の布のような雲がかかっていた。空に干された大きな布が風でなびいているようだ。真南を過ぎた月は左下の丸みを増している。明日の出発に向けて荷物をほとんど詰め終わった。と言っても、あたたかくなるにつれて衣類のかさが減るので、スーツケースの中はまだ余裕があるくらいだ。今回は最初の滞在先の一つである京都で新しい急須とお湯のみをお茶を買えたらいいなと思っているので、普段旅行の際に持ち歩いている小さな急須とお湯のみとお茶を荷物に入れていないので、それもあって空きスペースが増えている。京都に行くのは、4年ぶりくらいだろうか。京都にいる次の土曜は満月だが、そういえば前回京都に行った日もちょうどスーパームーンと呼ばれる満月が特別大きな日で、鴨川沿いの料亭のような店の外の席で食事をしていたら、隣の席で食事をしていたグループの一人が大きな月に気づき、「月が、月が」と興奮気味に他の人に話しかけていたことを思い出した。3年前にミュンヘンの帰りに飛行機が遅れ、ドバイで乗り継ぎができなくなって飛行機を待つ間に砂漠のツアーに出かけたときも、空にはちょうど赤い満月が昇っていた。満月というのは1ヶ月に1回必ず見ることができるけれど、そのときの体験と重ね合わせて特別なものになることがある。今回の京都はどんな体験がそこにあるだろうか。

時間の割に眠気が強いのは、午前中から夕方まで打ち合わせやセッションが続き、日本へのお土産のチーズを買いに出てそこそこ歩いたからだろうか。明日は6時半すぎのトラムに乗らなければならないので今日は日記を書き終えたらできるだけ静かに眠りに入りたい。随分と遠くまで旅に出るというのに、日本への旅はもう新鮮さのあるものではなくなってしまった。「忘れ物があってもいつでもどこでも必要なものはそこそこの価格で手に入るだろう」という安心感もあるかもしれない。せっかく時間とエネルギーをかけて行くのにまだ見ぬ景色を想像して心踊るということがないのは残念な気もしている。そんな中でも今回の京都滞在は楽しみもいくつかある。できれば今回は宇治まで足を伸ばして、江戸時代に中国から日本に煎茶を伝えたと言われる隠元禅師の創建した萬福寺に行き、萬福寺の中かその周辺でお茶を飲みたいと思っている。萬福寺全国の煎茶道の流派が一堂に会する大会が年に一度開催される場所である。そう思って萬福寺のホームページから大会の案内を辿ると、なんと、今週の土日にその大会が開催されるということが書かれている。それを知って、今にわかに興奮がこみ上げてきている。数行前に「まだ見ぬ景色を想像して心踊るということがない」と書いたのが嘘のようだ。心踊るかどうかというのはどんな場所であれ、訪問先に対して自分が興味を見出そうとするかどうか次第であり、こんな風に「自分の中の大切なものとつながる機会」が気づかないだけであちこちに転がっているのかもしれない。興奮もあるが、幸い強い眠気も襲ってきている。楽しみを胸に、休みをとろう。2019.5.15 22:06 Den Haag