101. 移動と食べ物

ちょうど真南だと思っている方向に、左下の部分の欠けたお月さまが浮かんでいる。この季節、太陽は思ったよりずっと東側から昇り、思ったよりずっと西側から沈んでいる。自分が認識している方角が本当にそれで正しいのかは分からないが、トラムの走る大通り沿いの木々の、片側には苔のようなものがつき、片側はカラッと乾いているのを頼りに、大きくあちらは東でこちらは西だと認識している。

気づけば日記の通し番号が100を超えた。日記を書くことを勧めてくれた友人が、同時に通し番号を振ることも勧めてくれてその通りにしたのだが、これは本当によかったと思っている。どちらかといえば三日坊主で飽き性、目移りがしやすい性分なので、自分が一つのことを百積み上げたというのは何かとても励みになる。百の日記を綴った約五十日の間に、中庭の様子は随分と変わった。くねくねとした枝をつけた庭の木は、その枝の形が分からないくらいにパリッとした葉をたくわえている。どれだけの花がこの庭に咲いただろうか。何度鳥の声を聞いただろうか。見上げる空は今日も青白く、リビングのほうからは時折、バイクや車の通りすぎる音が聞こえてくる。

この国にいる理由、この場所にいる理由を考えることがある。そのときどきでそれらしい理由はつけられるのだけれど、それはやはり、自分にとって誰かにとってわかりやすく納得のいく建前であり、結局私は今ここにいるというそれだけなのだと思う。惰性や諦めではなく、そして、偶然でも必然でもなく、ただここにいるというだけなのだ。

今日の友人との交換セッションの中で腸内環境が話題になった。ここのところ友人がそのことについてよく日記にも書き留めていて、私も人間にとって大切なものをたどると身体の状態だということに行き着き、それはおそらく腸内環境のことなのだろうと思っている。そんな中、私の胃にはげんこつ大のねずみのようなものが丸まっていた。それはおそらくその一時間ほど前に食べたパンとチーズである。最近は一日一食半くらいの食生活になっているので、食べるものの影響をダイレクトに受けているようだ。交換セッションが終わって散歩から戻った後、ここ二週間我が家に滞在していた友人たちが残していったポテトチップスを見つけ、試しにと食べてみた。その直後、強い眠気が襲ってきた。それはたとえば昨晩の睡眠の質だとか今日の朝からお昼過ぎまでの過ごし方も関係していたかもしれない。しかし、身体が何かを発しているようだった。「あれだけ言ったのに」という感じかもしれない。思ったほど本が読み進められないときがあるというのはやはり、食生活つまりは腸内環境が関係しているのだろう。だとすれば起きている時間である人生の三分の二もしくは人生全ての質が食べるものによって無意識のうちに決まっているということになる。これは本当に恐ろしいことだ。身体はすでに色々なサインを発してくれているのだろう。それをしっかりと観察し、自分にとっては何が良いものなのか、学びとともに実践をしていきたい。そのためにもできるだけ食べ物の影響が分かりやすいように、いっとき、日中はお茶を飲み、空腹を超えた状態で、できるだけ、複雑でない(種類の多くない)ものを摂取し、その後の思考や身体の具合を観察しようと思う。明後日からの日本滞在中は多少調整が難しいかもしれないが(そして日本では外食をすると一食あたりの量がとても多く過食気味になるが)できる限り調節と観察を続けたい。

思えばこれまでの人生、移動に食べ物は付き物だった。その発端はというと、小学校の遠足の時にお菓子が配られていたことだと思う。私の実家はどちらかというとチョコレートやスナック菓子のストックはなく、蒸かした芋や果物などをおやつに食べていた気がする。そんな中、遠足のお菓子というのは特別だった。遠足の喜びはおやつだったと言っても過言ではない。そのせいか、大人になってからも遠方に出かけるとなると移動中に食べるためのお菓子を買い込むというのが習慣になっていた。海外への十時間以上のフライトともなると、その間、お菓子が切れることがないようにお菓子の入った小さなバックを手元に置いていたくらいだ。そのお菓子を実際に食べきるということはなかったけれど、とにかく私にとっては、移動と言えばお菓子だったのだ。飛行機の中にわざわざお菓子を持ち込まなくなったのは、一昨年ドイツに渡った頃からだろうか。離陸をしてしばらくすると軽食もしくはしっかりした食事が運ばれてきて、デザートがついていることもある。寝て起きるとまた食べ物が運ばれてくる。わざわざお菓子を持ち込まなくても、飛行機の中では胃が休まることなく食べ物が与えられ続ける。そして一度だらしなく広がった胃は、本当に必要な量を無視して「空腹のような感覚(と音)」を発するようになる。日本にいると身体がぼんやりと鈍く重いのは、常に消化にエネルギーを使っているというのが大きいように思う。これを少しでも変えることができたら、旅先での感じ方、過ごし方は違ってくるだろう。偽造された食の喜びではなく、本当の食の喜びを感じることができるようになったら、人生はもっと軽やかなものになるかもしれない。2019.5.14 21:02 Den Haag

102. ことはね

先ほどの日記を書く前、そしてこの日記を書く前に、それぞれ一枚の絵を描いた。絵というほどだいそれたものではなく、自分の一部に色と形を名前を取り戻したというのが近い。自分という輪郭をなぞり、それがユニークな存在であると確認をすることについて、振り返ってみると私は本当に心が望むのとは「ずれた形」で体験をしてきたように思う。十代の終わり頃は自分という存在をはっきりさせることに強い憧れを抱いていた。しかしそれは、本当に心が欲したのではなく、憧れに向かわせる(その世代の女性を対象としたマーケティングにまんまと嵌まったような)大きな外的な力によるものだった。しかも、実際にそこにあったのは本来のユニークさではなく、作られたモデルに自分を当てはめるようなものだった。幸か不幸か私は、持ち前の前向きさと、バイタリティと小器用さといくつもの幸運のおかげでその見せかけのユニークさに自分を当てはめることができてしまった。そしてそれを周囲からも評価をされ、そんな自分を味わうという時間を過ごした。

それから数年後、今度はまた「自分というユニークさを打ち出すことを是とする」波が世の中に広がろうとしていた。それは、ノマドワーカーと呼ばれる、会社には所属せずに「自分」という看板で仕事をする人が出てきた時期だ。ユニークな肩書きを持つことが礼賛され、自分自身をブランディングするということの必要性が声高に語られた。しかしそれも、結局は社会的には新しいと呼ばれるスタイルを商業的にプッシュするような、数年前に経験した外的な基準に自分をあてはめる自分と本質的には変わらないものだったのだと思う。その中で私はまた、何者かである自分を描こうとした。しかし、それらしいものが一向に見つからない。むしろ、無理やり名前をつけることが胡散臭く見える。個の欲求として、純粋に自分自身をはっきりさせたいという想いと、世の中の流行りに乗ることに抵抗を覚える自分のどちらもがいたように思う。そしておそらくそのとき私は、自分のために自分自身が感じる自分に名前や形や色を与えないままになっていたのではないか。

先ほどの日記を書く前に、心の中にある、小さな、「ここだよ」と言っている声に耳を傾けてみた。羽のようにふわふわと、葉っぱのようにのびのびと、三日月のように凛々しく。珊瑚色をした私の形がそこにあった。その中にはおそらく、かつて人に言われながらもそのときは素直に受け取ることのできなかった自分を形容する言葉が含まれていた。最後に名前をつけた。最初は季節や色、雨や月の名前や大和ことばから取ろうかと思ったが、不変的な名前とは、きっと、すでにある何かを表現しているものに重ねるのではなく、それこそ自分の中から取り出すものだろうと思い、音の一つ一つに聞いてみることにした。五十音の一つ一つには、自分の中の何かとのつながりがあるという。五十音の一つ一つを声に出してみて、身体から出たがっている音を見つけた。「ことはね」は、「言葉音」でもあり「言葉根」でもあり、「言羽」でもあり、きっとまだとらえていない色々なものが含まれているだろう。ならべると意味を持つ言葉のようになるが、その音の一つ一つが体の中で美しい音を響かせ、もっと外に出たいと言っていた。「あわい」をゆるさない防衛的な自分は舛花(ますはな)色と呼ばれる青みがかったグレーに近い。それはきっと珊瑚色の中にある色でもある。私の中でまだ形や色や名前を与えていないものが他にもあるかもしれない。「あわい」を生きるということは、あいだをつくりだしているものの存在を認め、共に生きるということなのだと学んでいる。2019.5.14 21:55 Den Haag