094. 夜の書斎より、コミュニケーションの難しさを振り返る

久しぶりに書斎の窓からの景色を見ている。久しぶりと言っても、家を出たのが月曜だから4日ぶりということになるだろうか。既に世界は彩度を失っているので中庭の変化は定かではないが、階下の庭にある木の枝に、ポンポン小さな球の形に咲く白い花の総量が増えているように思う。小さな球が集まって、うすぼんやりとグレーがかった空間にふんわりと白い綿菓子が浮いているかのようだ。斜め向かいの家の屋根の上のポールに括り付けられていたカモメの形をした黒い凧は、ポールごと姿を消したままだ。滞在している友人一家は眠りについたようで、3階建ての建物の中に静けさが広がっている。

昨日のことを振り返ってみると、3日分くらいの体験と心の乱高下があったように思う。昨日は午前中のフライトでフランクフルトからオランダに戻る予定だったが、滞在先を出る前に、KLMからフライトがキャンセルになったとの通知が来た。振替便は未定で、本日中の便に振り返るには追加料金がかかるという。とりあえず空港に向かうと、どうやらフランクフルト空港から出発する多くの便がキャンセルになっているということで、各航空会社のカウンターには長い列が出来ていた。(今、ネットニュースを見るとどうやら滑走路内でドローンの目撃情報があり、1時間ほど離発着を中止していたようだ)昨日は14時からNVCNonviolent Communication)の講座の1回目に参加する予定でその時間に重ならないように移動を計画していたので、講座に参加できなくなりそうなことを残念に思ったが、幸いにも新たに用意された17時すぎの振替便にネット上で予約をすることができて、並んでいた変更手続きの列を離れた。

そして空港内の飲食店の一角で仕事をしながら数時間を過ごし、その後無事講座にも参加をすることができた。フランクフルトを離れ、スキポール空港に到着し、滞在先のLeidenのホテルに荷物を置き、すぐ近くのアジアンレストランでブラックペッパーの効いた、炒めうどんを食べた。そこまでは良かったのだが、途中で一緒に食事をしていたパートナーとの会話がどうも噛み合わなくなってきた。質問という形で投げかけられている言葉の意図がどうも分からない。あれこれと答えを返してみるも、何か違和感があるという感じがお互いにしていたのだと思う。結局はその違和感を抱えたまま、一日を終わることになってしまった。すでにそのときのすれ違いについては解決をすることができたが、人と人とがコミュニケーションを交わすというのは、こんなにも難しいものかということが今も頭の中にある。振り返ってみると、今この瞬間に心の中にあることを交わせなくなった瞬間から、「私はこう思っていたのに」「そう思っていたならこうしてほしかった」と、どこか自分を被害者にし、相手を加害者に仕立て上げ、そんな相手を攻めるような、まさに暴力的なコミュニケーションが始まってしまっていたのだ。話しながらも「自分が今伝えたことはそんなことではない」ということは分かるものの、本当に伝えたいことをそもそも自分の中でどうやって捕まえて、相手に伝えたらいいのか分からない。そんな場面では「スキル」と言われるコミュニケーションに関する知識のあれこれは、全く意味をなさないものになってしまい、言葉では伝えきれないことが、もどかしくも身体の中にふつふつと溜まっていくことを感じた。

あのときどうしたら良かったのか、まだ答えは分からない。せめて、自分の中にはどんな気持ちがあったのか、そして相手の中にはどんな気持ちがあったのかということを見つめ直してみようと思うが、結局は課題も解決も、私たちの間にあるのだろう。頭で理解したようには簡単には上手くいかないものだ。それがコミュニケーションの難しさであり、奥深さでもある。最近読んだ記事で「コミュニケーション障害の人の困難が、他者といる場面のみならず、一人でいる時、自分の身体との関係や、物との関係においても起こっていた」という内容があり、とても興味深かった。
−「自立」とは、社会の中に「依存」先を増やすこと ――逆説から生まれた「当事者研究」が導くダイバーシティーの未来 https://bit.ly/2PUIFbe

これはおそらく、「障害」と呼ばれる症状だけでなく、実は様々な「個々の違い」からも生まれている現象なのではないかと思う。私たちは他人も自分と同じように世界を感じ、世界に接していると思い込んでいるが、実際には多かれ少なかれ、感じ方や接し方に違いがあるのではないか。そういう意味で、人と人との間に起こったコミュニケーション上の課題であっても、その構造の発見と解決の糸口は物との関係の中にも見出すことができるのかもしれない。物との関係性もすでに多くのことが自分の中では「当たり前」になっているけれど、その中の多くは自分にとっての当たり前であって、それらを見つめることによって、人と人との間に起こることを紐解くヒントになるのではと思う。上手くいかないことを経験するのはエネルギーを使うしときに苦しさを感じることもあるけれど、それは肉体と心を持って人と向き合っている証しでもあるように思う。

中庭にはすっかり黒が降りてきた。今日は24時から2件のセッションがありその後眠れなくなることが予想される。明日はゆっくり起きると開き直って、久しぶりに静かに自分の心に向き合うとともに、できれば読書も進めたい。2019.5.10 22:37 Den Haag