1. 黒いスカートと赤いニットを着ている夢

遠くで重なり合うカモメの声が止んで、静けさが家の中そして中庭中に広がっている。昨晩から家の中では物音がほとんどしない。上下の階の住人たちはどこかに出かけているのだろう。書斎の机の上に据え付けられたベッドの足元の方から光が差し、昨日の朝起きたときよりも遅い時間になっている思ってベッドから出ることにした。空には既に、全面にグレーがかった雲が広がっている。

頭の先の方でカモメとは違う澄んだ鳥の声を聞いていたのと夢を見ていたのはどちらが先だっただろうか。今日は夢の途中で「今日は随分とハッキリした夢だなあ」「おかしな夢だ」と考えていたように思う。シャワーを浴びる間にいくぶんか記憶が遠のき、そして今も浮かんでいた映像が薄れつつあるが、思い出せるところから書き出してみる。

覚えているのは、一人の男性と一緒に公園の中にあるホテルに到着をするシーンからだ。彼は仕事に出かけ、私は公園の中を散歩することにした。黒くて膝下まで広がる、ミモレ丈と呼ばれる丈のスカートの上に赤いふわふわとしたニットを着て、今より長い髪をゆるくまとめ、しっかりとお化粧をしている。普段とは大きく違う洋服と化粧の様子に「これは夢だ」と気づいた気がする。起伏のある公園の中を歩いていくと、クラブハウスのような建物があり、鏡張りの室内にはトレーナーと10人ほどの男女がいて筋トレのようなことしていた。その中に中高の同級生のFさんがいることに気づいたが、筋トレの様子を見つめるのも悪い気がして、建物を通り過ぎたところにある木でできたに腰かけ、手元にあったチラシのようなものをやはり木でできた机の上に広げてそれを眺めたり、遠目にクラブハウスの様子を見たりしていた。間も無くトレーニングが終わったようで、中にいた人たちが建物から出てきた。トレーニングウェアや、着替えた後の身なり、髪型などから彼らが経済的に裕福なことが分かる。男性の一団が近づいてきて、私が読んでいるチラシを指し、英語で話しかけてきた。「このあたりに住んでいるお金持ちは英語で会話をするのか。それとも私が海外から来たと思われているのかな。日本語を話せますというのも面倒だからこのまま英語でいいや」と、英語で言葉を返と、周囲にいた4,5人の男性が順番にやはり英語で話しかけてきた。2人目の男性に言葉を返すときに「あ、今の文法違ったかも」と思ったが、結局はみんなに英語で言葉を返していた。

男性の一団が去ると、今度は同級生のFさんともう一人、女性が近づいてきた。Fさんは現実世界でも実際、私がSNSをやめている間なども連絡をとってくれて、他の同級生とのつなぎ役となってくれていた人だ。Fさんに今はオランダにいることを伝えたが、特に驚く様子はなかった。Fさんたちと別れ、「この辺はお金持ちの人が住んでいるエリアなんだなあ。こういうところに住むと人間関係が大変だろうな」と思いながらホテルに戻ろうとする途中で、今度は25mプールのような四角いプールのプールサイドでエアロビクスのようなダンスを踊っている人たちが目に入ってきた。子どもたちや新たに踊りの輪に加わる人もいる。楽しそうに踊る人たちを横目に公園の中を進み続けると、左右にゲートのようなものがある広場のような場所に出た。気づいたらホテルのある公園の敷地から出ていて、もう一度敷地の中に入り直さないといけないようだ。右手にある入り口はアトラクションのようなものがある遊園地のような敷地で、入り口付近には人ごみができている。一方、左手にある入り口はアトラクションなどがない公園につながっているようで、人はまばらだった。ホテルのある公園はアトラクションはない左側の入り口の中にあるだろうと思い、入り口に近づき係の人と話をすると、ホテルは右側の入り口から入る敷地の中にあると言うので、大きな入り口の横にある、人の並んでいない小さな入り口を通って右側の敷地に入った。ホテルはちょっとした丘の上にあることを確認し、坂道を登っていくと、丘の頂上近いところで一人の男性に話しかけられた。40代後半から50代前半に見えるその男性はその外見から何かスポーツをしていることが予想された。男性は、丘に据え付けてあるソリのような乗り物に乗らないかと言う。これも何かのスポーツだという説明をされたが、一緒に宿泊している男性がそろそろ帰ってくるだろうし、そこまでの散歩で既に満足感はあったので、断ろうとしたが、結局はその乗り物に乗ったところまで覚えている。2019.5.5 8:53 Den Haag

088. いなくなる私、猫に見えるもの

書斎の机に座り、友人の綴っている日記を読み進め、ふと顔を上げると、中庭を挟んだ斜め向かいの家の窓の向こうに座っている黒猫がこちらを見ていた。首元に白い模様がある。おそらく足先も白い、靴下を履いたような少し大きめの黒猫だろう。実際にこちらを見ているかは定かではないが、小さくとがった耳のシルエットとうっすら見えるグレーがかった目の位置からこちらをまっすぐ見ているかのように受け取れる。日中は中庭で遊んでいる猫たちは、夜になるとめいめいの住まいに帰っているのだろう。

14時を過ぎた頃だったと思う。来週から始まる非暴力コミュニケーション(NVC)のテキストとなっているkindleの本をリビングの端にあるソファで読んでいた。その30分ほど前には結構な眠気に襲われ、iPadとノートを片手に意識が遠のきかけていたが、そのピークを過ぎ、文字通り本に「読みふけって」いた。正確には、その瞬間には私は本を読む体験そのものになっていて、読みふけっている自分には気づいていなかった。そのとき、視界の右上を黒いものが動いた。何本かの黒い棒と、くにゃりとした黒いシルエットが見えた瞬間、それが、いつも中庭で遊んでいる少し小さな身体の(おそらくまだ幼い)黒猫であることが分かった。リビングのテーブルの向こうを横切り、テーブルの向こうにその姿が見えそうになる手前で、黒猫は私の意識が外の世界に向いたことに気づいたのか、はたと立ち止まり、方向を変えてあっという間に寝室を抜け、開け放ったベランダの扉から出て行った。結局その胴体や顔は捉えておらず、私が見たのはテーブルの下を動く脚と尻尾だけだった。

これと似た体験が半年ほど前にもあった。エネルギーワークのクラスで習ったクリアリングを実践しようと、リビングの椅子に腰掛け、呼吸を整え、白い雲のようなものが足の裏から入ってきて一旦頭を抜け、それがまた頭の先から身体の中に入ることをイメージしていた。あたたかいものが身体の中にある感触を確認し、居住まいを正すのと目を開けるのがほぼ同時だった。そうすると、目の前に黒猫がいた。あたかも「今この瞬間に目の前に現れた」私の存在に驚いたかのように、一瞬目を合わせたかと思うやいなや、黒猫は足早にやはり開け放っていた寝室のバルコニーの扉から出て行った。そのとき私は「もしかして、イメージしていた白い雲のようなものが猫には見えていて、それに興味を持って部屋に入ってきたのではないか」と思った。

そのときと今日、共通して言えるのは、黒猫が部屋に入ってくるとき、自分は体験そのものになり「体験をしている自分を認識する自分はいなかった」ということだ。今思えばそのときは、時間や空間の中にいるという感覚もない。外界を感じる感覚自体がない。ただ、呼吸や、学びがそこにあるだけだ。

今日は新月だ。満月から新月にかけてはデトックスの時期だと言われるけれど、身体や意識から、何か自然に剥がれ落ちていくものがあったのだろうか。気づけばオランダに帰ってきて間も無くの時期に聞こえていた耳鳴りとも違う、微かな星の音のようなものがまた聞こえている。月の姿を見ることはできないけれど、月は今日も空のどこかを巡っている。2019.5.5 21:14 Den Haag

089. 土地と言葉の中に身を置いて

21時を回り、読書に戻ろうかと思う自分と、もう少し書いておきたい自分がいる。少しでも心にいつもと違う音が鳴ったことを書き留めておきたい。気になっているのは友人が書いている日記についてだ。現在は旅先で綴っているものがアップされているが、先ほど読んだのは、ちょうど新しい滞在先に移動した日に書かれたものだった。内容からも身を置く場所が変わっていることが伝わってくるが、興味深いのは文章から醸し出される雰囲気自体がそれまでとは全く違う空気を帯びているように思ったということだ。例えて言うと、ロ長調の曲がハ長調に変わったように、文章の内容ではなく、そこにある言葉と言葉の間にあるものが違うように感じた。そういえば以前も、数日間の断食中に書かれたものがいつもとは違う重さ(どちらかというと軽さ)を帯びていることを感じながら読み進めていくと、気分が少しハイになっているというような著述があり、その人の状態というのは直接的に表現されていなくてもどこかに滲み出ていくものなのだと思ったことがある。

自分が身を置く場所というのは意識にも無意識にも大きな影響を与えているのだろう。「国民性」という言葉があるが、それは地理的・政治的な背景から形作られたものがあるとともに、気候から来るものも大きいのだと思う。現在形と未来形を明確に区別する言語形態の人たちは現在形と未来形を明確に区別しない言語形態の人たちに比べて未来のことを今とは別のものだと捉える傾向があり、その結果貯蓄が下手で肥満の人が多いという研究結果を見たことがあるが、気候と言語、そして人の思考というのは強く関係し合っているように思う。

いつも住んでいる場所とは違う土地を訪れるということは、その土地の空気や気候が作る人々が作った建物や街並みの中に身を置くということであり、たとえそこで人との交流を深くしたわけではなくても、その土地を流れる血脈のようなものと交わるということなのかもしれない。このテーマに私が今関心を抱いたのは、明日からドイツ、そしてその後オランダのライデンに数日ずつ滞在することによって自分に何が起こるのかということを気にかけているからだろう。様々な場所に身を置き、多少外を出歩くも基本的にはいつもと変わらず仕事をしているという日々は、日常になっていくのだろうか。こうして日記を書き続ける中で、ゆらゆらと文体さえも定まらない自分がいるが、それも含めて、今の自分自身なのだろう。2019.5.5 20:41 Den Haag