085. 受けなくていい試験にほっとする夢

強い風が吹き、向かいの家の屋根の上のポールに括りつけられたカモメの形をした黒い凧が、バタバタと羽の部分をはためかせながら舞い上がった。声を重ねて鳴き始めたのは本物のカモメだろう。カーともガーともつかない声が連鎖しながら遠ざかっていく。おそらく1時間ほど前、書斎の机の上に備え付けられたベッドで、おぼろげに聞いていた鳥の声は、私が普段起きてから聞いている鳥の声とは違う、もっと小さな澄んだ声だった。鳴いている鳥の種類が時間帯によって違うのだろうか。それとも寝室のベッドは窓際の天井近くに備え付けられているので、バルコニーのある寝室よりも随分と窓の近くに寝ていることになり、小さな声が聞こえてくるのだろうか。ともかく、澄んだ柔らかな声を遠くに聞き、足元から少しずつ明るくなる景色を見ながら私は夢の中にいた。

覚えているのは大学か高校の校舎の中にいるシーンからだ。何かの試験が始まるらしく、その前にとトイレに向かった。廊下の途中にあるトイレは入り口のところにスリッパが置いてあったが、上履きのようなものを既に履いていた私はスリッパに履き替える必要はないと思い、そのまま扉の並んでいる場所に進んだ。扉は4つあり、全てが閉まっていたが、そのうち右から2番目の扉は10cmほど扉と枠の間に隙間が空いており(中に人はいないようだったが、扉は閉まっていた)、そこに入るのを躊躇し、他の扉が開くのを待った。人が来て私の後ろに並ぶ中で、「全く勉強をしていないけれど今日からの試験は大丈夫だろうか」と考えながら扉のどれかが開くのを待っていたが、なかなか扉は開かず、試験が始まることを気にした私は仕方なく教室のような場所に戻った。

教室の黒板には今日から1週間分の試験の時間割が書いてある。それを眺めながめていると、ふと、これから始まる試験のところに「世界史」と書いてあることに気づく。しかし私は世界史の授業など受けたことがない。そこで、黒板の前にいる先生らしき人に「私、世界史の授業は受けていないです」と言うと、近くにいる友達が、「受けていない授業の試験は受けなくていいんだよ」と教えてくれた。さらに世界史はそもそもこれまでまだ1回も授業が開催されたことがなく、むしろ今回の試験を受ける人は授業を受ける希望者なのだということも教えてくれた。勉強をしていない科目の試験を受けなくて済んだことにホッとして、黒板に書いてあるこれからの時間割を見ると、自分が授業を受けている科目はほとんどない。週の後半には「世界済民」(なぜか経世済民ではなく世界済民と書いてあった)の文字があったが私は世界経済に関する授業も受けていないので試験を受ける必要はない。その次の日に書いてある「数2C」(これも本来は数2Bか数3Cだがなぜか数2Cと書いてあった)は「試験を受けないとね」、と側にいた小柄な女性が半分独り言のように話しかけてきた。黒板の左端には、来週の前半の予定が書かれている。その左から二日目の欄に書いてある文字は読めなかったが、周りの人の話しから選抜のスポーツ大会のようなものが開催されるようだった。そのままさらに次の日の予定を見ようと黒板に目をこらしていると、教室のような場所がグラウンドに変わり、「ここで練習をするから」とそこにいた人に声をかけられ、私はグラウンドを離れることにした。

このあたりではいい加減眠りが浅くなり半分意識があったように思うが、場面が変わったことを機に、窓の外へ向けた意識が強くなり、目を覚ますことにした。2019.5.4 7:29 Den Haag

086. 足るを知る、強めて行う

突然バタバタと雹が降り出した鋭い昼間の天気とはうって変わって、南西の方角からやわらかな光が中庭に差し込み、少しだけグレーがかった雲たちが南の方へとおだやかに動いていく。こうして日記を書き始めながら、ふと、例えばこれから1年間、新しい本を買わないようにしたら、もしくは新しいことを学ぶのをやめたらどうなるだろうかと思った。書斎の本棚に並んだ本は日本にいたときほどの数はないにもかかわらず、まだ読めていない本が多くある。KindleやPDFで購入した英語の本も何冊かあることを考えると、まだ読んでいない本を読み進めるのにある程度の時間がかかるだろう。もちろんそのときそのときの自分に合わせた読み時(タイミング)というものがあり、「持っているから」という理由で優先して読む必要はないけれど、ざっとタイトルを見るだけでも、必要なものはもう十分にあるのではないかという気がする。勉強の分野についても同じだ。ここ5年ほど心理学を中心としたいくつかの領域について学びを深めてきたけれど、それらを深めることは必要だとしても、一旦は広げることより、それらを繋げていく段階に来ているのではないか。おそらく、どんなに新しいことを学んだとしても、それを何か他の分野と掛け合わせたり、独自の理論を作ったりしないことには、いつまで経っても「学べば何かに辿り着ける(まだ足りていない)」感じがし続けるだろう。結局独自の理論などなく、またゴールや完成もないものなのだということに行き着くだろうと思うけれど、想像をするだけなのと、実際にそこまで到達するのでは天と地の差があるように思う。そう考えると、30代の残り半分は、これまで経験してきたこと、学んできたことを統合する時なのかもしれない。このプロセスを、いかに急がず、自分なりのペーズで、そして宇宙の波長に身を委ねて体験することができるかが、深く根を伸ばし、枝を伸ばしていけるかにつながっていくだろう。

「オランダにいるからこそ学べることを学ばないと」と思っていたが、それはきっと普通にここで暮らしを営むこと、友人と語らうこと、社会に向き合うことで自然と身体に染み込んで、滲み出ていくことになるだろう。

今日の日中は、冬が戻ってきたかのように寒かった。こうしてこの土地ならではの季節を感じることを何より大切にしていきたい。できれば週に3日は、目の前にあることや人とのやりとりとは距離を置いて、静かに井戸の底にあるものを熟成させることに身をおくとともに、1日の中でも、その日起こったことを消化させる時間を取っていきたい。2019.5.4 21:03 Den Haag