082. 青い浴衣を着る夢

中庭の木々が東の方角から差す太陽の光を浴びて黄色く輝いているが、太陽の姿は見えない。以前よりもさらに北に近い位置から太陽が昇っているのだろう。斜めに開いた書斎の窓からはひんやりとした空気と鳩のようなカラスのような(カモメかもしれない)鳥の鳴き声が吹き込んできて、夏の朝を感じさせる。これがオランダの5月なのだろう。

今朝も随分と長く夢を見ていたような気がする。おそらくは時間にすると20分やそこらだが、ただ見るだけでなくそこに体験がある。起きているときの時間の進み方・感じ方とは全く違うものが夢の中にはあるのかもしれない。寝ぼけまなこで書き留めたメモを見るとどうにか解読できる単語が3つ、意味の分からない言葉の羅列が1つある。

夢の中で私は、浴衣を着ようとしていた。知り合い(中高の同級生のFくんのように見えた)と出かけるためだった。学校の校舎より少し天井も高いホールのような場所で同じく中高の同級生のRさんが試しに羽織ってみていた青っぽい色の浴衣が気に入り、Rさんが試着をやめたあとに同じ浴衣を手にとる。浴衣は急遽着ようと思ったため、帯やその他必要なものはありあわせのものを使おうとしている。たくさんの人がいるホールの中で私は一人の女性(小学校の同級生のTさん)に「着付けできたよね?」と声をかけた。Tさんは「うん、できるよ」と嬉しそうに答えた。一旦ホールの外に出て着付けに使うタオルのようなものを探し、ホールに戻ってこようとすると、ホールの中、入り口近くにFくんがいたので、私は浴衣を着終えたところを見せたいと思い他の場所で待っていてほしいと伝えた。ようやく着付けを始めようとすると近くにRさんがいて、どの浴衣を着るかまだ迷っている様子だったので「この浴衣着るつもりだった?」と聞くと、「大丈夫大丈夫」と返答がきた。Rさんは本当はこの浴衣を着たかったのかもしれないと思い、周囲を見回すと薄紫色の浴衣があったので、私はそちらでもいいかなと思ったけれど、結局は先ほど手にした青っぽい浴衣を着ることにした。その後、赤い帯を合わせるも、あれこれと時間がかかってしまい、Fくんを随分と待たせてしまったことまで覚えている。

夢から離れて、ぼんやりとした意識の中で枕元のノートにメモを取り、そしてベッドの足元側に見える朝の光をそのままぼんやりと眺めていた。今、何時かな。起きようかな。と思いながらまたまどろみの中に戻った。2019.5.3 7:54 Den Haag

083. 朝の小さなメモ

東の方角から昇る太陽の光がさらに眩しくなったが太陽の姿は見えない。太陽は書斎の窓の縁のちょうど外側をなぞるように進んでいるようだ。先ほどまで聞こえていた鳥たちの声は遠のき、どこかで工事をしているような機械音が聞こえてくる。隣の家の塀にとまっていた鳩が、別の塀に飛び移り、その隣にもう一羽の鳩が降りてきた。

昨晩は22時すぎには書斎の電気を消し、ロウソクを灯して少し読書をして寝るつもりだったが、来週から参加するNVC(Nonviolent Communication)の講座の教科書になっている本をKindledで購入し読み始めたところ、調べたいことが出てきてスマホでネットを開くということを始めてしまった。興味を持ったことをその場で確認するのは必要だけれども、遅い時間に白く光る画面を見て情報の身をさらすことはできれば避けたいと思っている。昨晩は結果的に(どういう流れだったか忘れてしまったけれど)iPadで使える絵を描くツールのようなものを見つけたことは収穫だった。最近、言葉や音を質感を伴った色で表したいと思っていたが絵の具を使うのはなんだかハードルが高く、もっと気軽でかつ身体感覚を伴った方法はないかと思っていた。様々な質感を表現できるそのアプリをつかって、まずは表現することを存分に楽しみ、それから、宇宙から降りてくるものを媒介することを試してみたい。2019.5.3 8:07 Den Haag

084. 指を通じて色を描く

夕方すぎから雨が音を包み込んでいる。そう思って窓の外を眺めていると、バタバタと雨が強くなり、書斎の窓から見える階下の屋根にできた水たまりに、次々と丸い波紋が広がっていく。今日は朝から首の後ろの張りが気になっている。このところ書斎の机の上のベッドスペースで寝ていて、寝室のマットレスとは具合が違うからだろうか。そういえば昨晩布団に入るときに少し寒さを感じたが、夜の間、体が縮こまっていたのかもしれない。今は目の疲れも感じるが、これはお昼前からパソコン作業が続いたからだろう。

今朝は日記を書いた後、昨晩ダウンロードした絵を描くアプリで、感覚をイメージに変換するということを試みた。まずは道具の使い方に慣れるために、遊んでみたと言ってもいいかもしれない。私はいわゆる絵心というのはあまりなく中学生の頃はイラストを上手に描ける友人をとても羨ましく思っていたが、色をつくるのは好きだ。イラストレーターをしている従姉妹の話によると、絵というのは3つのセンスの組み合わせで、一般的に人はそのうち2つしか備えることができないので、その人の得意な組み合わせで絵を描くのがいいと言う。3つのセンスというのは、「形」「色」「質感」で、従姉妹は「形」と「質感」を表現するのが得意なので、色を使わないデッサンの作品が多い。私はおそらく、「色」と「質感」なのだろう。形ではなく色と質感で何かを表現するということに今日も気づけば没頭していた。今日は、オランダに帰ってきたときの、澄んだ世界を感じる感覚をイメージにし、そして、どちらかというと頭を働かせているときの感覚をイメージに、そしてその二つを重ね合わせたときに浮かび上がってきた新たなイメージを色と質感に落としてみた。使い始めたアプリは様々な道具を使ったような表現ができるが、特に、筆を使って、水をたっぷり含ませた紙の上に絵の具を落とすような表現ができるのが心地いい。小さい頃に通っていたシュタイナーの教室でにじみ絵に馴染んだからかもしれない。明確な境界を持たずに、ゆるやかに色々と色が混ざり合う様子は、感覚を通じて捉えた世界を映し出しているようだ。

どちらかというと感性が発揮されている状態と、その逆の思考が発揮されている状態を重ね合わせたとき、どうしてだかそこにカモメを描き込みたくなった。いつも書斎の窓から見えるあのカモメの形の凧のことだ。絵の中のカモメは本物のカモメなのか、凧なのかは分からない。カモメが空に舞う様子は、私の中で、感覚を通して捉える世界と、視覚的に捉え、脳で処理される世界の交点になっているのだろう。どんな環境の中でも、空を見上げ、もしくは木々に目をやり、そこにいる鳥の姿を捉えたとき(それが本物であっても幻であっても)、私は確かに自分が感覚と思考の間にいるのだということを思い出せるのだと、この絵を描いて分かった。

もし、もっと無心に、世界を感じそのまま指先からそれを出すことができれば、絵も書と同じようなものになるのだろうか。それとも夢と同じようなものなのだろうか。まずは表現の喜びそのものを感じて、無邪気に色を置くことを楽しみ、そしてその先にある世界を感じていければと思う。2019.5.3 21:01 Den Haag