077. 子どもを眺める土曜の朝のメモ

今朝は昨晩のセッションを言い訳にしてだらだらと布団の中での時間を味わっていたが、思ったよりも早く、その時間に飽きてしまい、シャワーを浴びて、髪を吹きながらリビングに行くと、友人とその息子がパンを食べているところだった。聞けば、2時、4時、8時に子どもが目を覚まし、その度に何かを食べたという。それに合わせて暮らすのは大変だろうけれど、大人とは全く違う生態が本当に興味深い。彼の昨日からのお気に入りはキッチンの一角にあるドラム式の洗濯機だ。ちょうど、彼の目線の高さに、その扉や扉の中が見えるのだろう。洗濯機の中に周囲にある様々なものを入れては出してを繰り返して、満足そうな顔をする。そして、洗濯機についた回転数や洗濯モードのついたつまみをカチカチを回す。そういえばリビングにあるオーディオのボリュームのつまみも時折クルクルと回している。物の形は人間をアフォードする(行動を自然に認知させる)というが、本当にそうなのだと実感をする。それにしても、ボタンよりもつまみの方が幼い子どもをアフォードするというのは面白い。まだ平面の状態のものを「押す」という動作は想像できないのだろうか。スマホは小さな子どもでもあっという間に使えるようになると聞く。動作を喚起させ、その結果の反応があり、それによって、その動作を繰り返させたり、応用させたりするということをきっと人間は既に随分と研究してきているのだろう。ただ残念なことにその多くが、人間を終わりのない消費活動に向かわせているのではないかということを想像する。無意識の行動を起こさせる社会に仕組まれた壮大な罠に気づいたとき、人はやっと、深い幸福感を持続させるような自分にとって本当に価値あるもの(それはときに単に嬉しいことだけでなく、様々な感情を経験すること)を探すことを始め、自らの人生を歩み始めるのかもしれない。もしくは、それは、無意識にやってきたことに対する何らかの違和感が生まれるところからはじまるのだろう。

子どもたちが、持って生まれた感性を存分に発揮し、人と恐れではなく愛という接点を持ちながら生きていくことを後押しすることと、その子どもたちを受け入れる社会というか大人たちがもっと解放されることが今、そしてこれからの私にとってのテーマなのだとここ数ヶ月感じている。まずは小さな子どもが目の前のことに没頭し、一体になっている感情をそのままに表現することをただ見守りたい。2019.4.27 14:10 Den Haag