075. 到着予定の友人たちが出てくる夢

今朝早くに友人家族が日本から到着する予定だったので5時過ぎの目覚ましの音で目を覚まさせた。(もう空港についているはずだが、まだ特に連絡はないが)シャワーを浴び、身支度をしてヨガをし、少しの瞑想をしていると、鳥の声が聞こえてきた。中庭から聞こえるのは聞き慣れた少し高い音で一定のリズムを刻んで鳴く鳥の声だが、リビング側からも、遠く微かに鳥の声が聞こえた。

まずは覚えている夢について書き留めておく。夢の中で、私は父母と、3歳くらいの男の子と一緒にいた。妹のところにそのくらい歳の甥がいるが、夢の中で妹はいなかった。そこに今日から滞在する一家が到着する予定だったが、友人の女性から連絡が入り、空港の近くのホテルで休んでいるとのことだった。私は彼らの到着予定に合わせて準備をしていたので、彼らが予定通りに到着しないことを少し残念に思ったが、少し経って彼らが家に到着をした。滞在中に使ってもらう部屋のクローゼットなどを開け案内する。彼らの子どもはやはり男の子で、うちにいる子どもよりは少し小さく、どうにか歩き出したくらいという感じだった。食事をとろうとリビングに案内したところ、6人分の箸などの準備をした長方形の座卓があり、私の向かいに友人の女性の夫が、そしてなぜか、その隣ではなく、私の隣に友人が座ろうとした。彼らが斜めに向かい合って座るのはなんだか不自然でかつ、私の向かい側がお客さん向けの席であるので友人に向かいの席を勧めた。しかし今度は彼女は私たちの席に対して垂直な辺の側の席に座ろうとした。その席は、そのリビングにおいてはなんとなく家長が座るような席だったので、私はお客さんである彼女がそこに座ろうとしたこと、そしてそこを自分が家長の席だと思っていることにおかしさを感じた。結局彼女の夫がさりげなく箸などの全体の配置をずらし、なんとなくそれぞれが落ち着く場所に座った。食事をしながら話をしていると母が、この後幼稚園に動物(豚か兎だったように思う)を見に行けばと提案してきた。3歳くらいの男の子がそこが好きだからということで、友人家族と連れ立ってそこに出かけていくことにした。その後、街中を歩いていったシーンがあったように思うが、その先はもうぼんやりと消えてしまっている。

目覚める直前は、今見ているものが夢であるということに薄々気づきはじめているように思う。昨日の友人との対話の中で、夢は「遅れてきた表現者」であるという言葉がおりてきた。言葉とは別のことでもっと自分自身が持っているもの、感じているものの全体(特に普段は脇に追いやられてしまっているもの)をもっと自由に表現したとき、夢に何か変化はあるのだろうか。夢が何を指し示しているかなど(そもそも何かを指し示しているのか)手応えはまだあまりないが、夢を書き留め、こうして文章にしていくということを続けてみようと思う。2019.4.26 6:28 Den Haag

076. 小さな彼との穏やかな時間

家の中も外も、すっかり闇に包まれ寝静まっている。今日は朝の日記を書いたあと、昨日の日記を見直し、少し編集をし、アップしたところで友人からのメッセージに気づいた。既に彼らが家に到着する予定の時刻が近づいていることを知り急いで通りに出ると、ちょうど友人一家が最寄りのトラムの駅から家までの道を歩いてきているところだった。

それから、彼らが就寝する数時間前までの間、時間が不思議な流れ方をしていた。1歳半ほどの歳彼らの息子が一緒に来ていることから、慌ただしく賑やかな時間になることを想像していたが、思いのほか、穏やかで静かな時間に感じた。

16時頃、昼前からの外出から彼らが帰ってきたとき、私は明るくなってきた日差しの中でバルコニーにある椅子を拭き、ちょうどそこで本を読み始めようするところだった。外でたくさん遊んだのか小さな彼は比較的落ち着いて、でもベランダの質感やそこに見える景色を興味深そうに眺め、そして私の手にしていた本に手を伸ばした。どうぞ、と渡すと、本を足元に置き、ページを開く。そして、ページを閉じ、私に渡そうとする。どうも、と受け取ろうとすると、またその本を引こうとするのでどうぞ、と渡す。そうするとまた足元に置き、ページを開く。何度かそんなことを繰り返していると、あるとき、開いたページの、文章の一部を彼が指差した。そこに書いてある文字を読み上げると、今度はまた別の単語を指差す。それを随分長いこと、繰り返していたように思う。少し落ち着いたときに、彼を抱き上げ中庭を見ていると、向かいの、斜め前の家の庭に男性が出てきて、こちらを向いてにこにこしていた。この上の階のベランダにも人がいてその人を見ているのかと思い、上を見上げてみるけれども誰もおらず、確かにこちらを見て微笑んでいることがわかった。東洋人から見ると西洋人の子どもが随分と可愛らしく見えるが、西洋人から見ると東洋人の子どもが同じようにとても可愛らしく見えるという話を聞いたことがあるが、隣人の目にはそんな風に、異国の子どもが映っていたのだろうか。

小さな彼を降ろすと、彼は両親のいる寝室に、ベランダとの境目をよいしょと越えて戻っていった。なんだか随分とのんびりと過ごした夕方だ、もう18時くらいを過ぎているかと思って時計を見ると、時刻はまだ16時半を回ったところだった。

目の前の小さな存在とただ一緒にいる時間というのは、なんと穏やかな時間だろうと思った。いくつかのものに同時に追われるのとは全く質感の違う時間だ。もちろん普通の暮らしを共にしていると、いつも穏やかというわけにはいかず、どちらかというとあれやこれやと気にかけ、落ち着かない時間の方が多いだろう。しかし、そうなるのは本当に仕方がないことなのだろうか。できれば他者と生活を共にしていても、(それが小さな他者であっても)日々を穏やかに過ごしていたいし、それはできるのではないかという気がしている。今日はこのあと夜中のセッションまで2時間ほど時間がある。それまでの間、日本で買った本を読み進めることにする。2019.4.26 23:00 Den Haag